廃墟から立ち上がる。何度でも。@ポーランド🇵🇱
運河沿いに立ち並ぶ、旧市街のレンガ建物群。
そびえ立つ聖マリア教会の尖塔。
石畳の通り沿いにはカフェやショップが所狭しと立ち並び、ストリートジャジーなバンドが音を添える。
三枚目の船乗りですら絵になる街。(なっとんのんか?)
100人中99人がイメージするであろう、ザ・ヨーロッパの街並みが美しく残るポーランド北部の観光都市グダニスク。
(蛇足。この写真でしてるマフラーはマンチェスター・ユナイテッドのもの。そしてこのnoteを書いてる今日の深夜、彼らはヨーロッパリーグ決勝をここ、グダニスクで闘います。この強引な、、、、いや、運命的な巡り合わせがきっとユナイテッドを優勝に導く事でしょう。Glory Glory Man united!! 以上、現場から蛇足でした。)
どこもかしこも、数百年前から建ってます感ムンムンの建物ばかり。
「ほら流石のヨーロッパさんやから、そんな街もあらいでよ。大したもんやなー。」
そんな事を思った貴方!僕も最初に街歩きをした時全く同じことを思いました。
しかし
ほぼ全ての建物は、築60年程度。
どういうことか?
実はこのグダニスク
数百年に渡りドイツとポーランドの狭間で揺れ動き(一時は、国際連盟の保護下でどの国家にも属さない”自由都市”というなんとも複雑な立場にあったそうな)
第二次世界大戦時、ナチスドイツ軍によるポーランド侵攻の第一標的となった都市の一つでした。
そして大戦の結果、街全体が灰塵に帰したという壮絶な過去を持つのです。
完
いや、待て待て
いやいや
どう考えても築ウン百年経っとるやろこれ!!
何がどうなって、僕の目の前にこの旧市街が存在しているのでしょうか?
調べてみると、、、
第二次世界大戦が終結し、1952年にポーランドが主権を回復すると間も無く、街の再建計画が持ち上がります。
その過程でグダニスク市民は
「歴史書から図面を起こして旧市街地を完全再現する」
という方法を選択したそうです。
詳細な過程は分かりませんが
「街全体をそっくりそのまま昔通りに戻す」
言うは易く行うは難し。
途方もない努力と様々なドラマがあった事は想像に難くありませんよね。
メインストリートだけとか、教会だけ、とかじゃないですよ。
ブラタ○リ(©️NHK)好きなワタクシ。当然裏通りもしっかり歩きます。
裏通り↑でも石畳ひとつ手を抜かない徹底ぶり。
その完成度の見事さたるや、日本から来た船乗りに「数百年前から建ってます感ムンムン!」と唸らせるレベル。(どんなレベルや)
脱帽。リスペクトしかありません。
ここまでやり遂げたグダニスクは究極系ですが、ヨーロッパは歴史や過去に対する敬意を都市や文化から強く感じます。
北米やアジアにはちょっと薄い感覚かもしれません。
僕は基本的に日本めっちゃ好きで、世界に誇る我が母国と思っているんですが(日本食は圧倒的に世界一位、これは異論認めません。)
戦後復興の過程での都市建設をはじめ、過去を踏襲する事なく邁進してしまった部分だけは、本当に残念だなぁと思います。
ちょうど朝ドラのおちょやんが大正〜戦後を描いたドラマでしたが、あんな感じの”大正モダニズム”な街並みが現代にも引き継がれていたら、散歩するだけでエモいのになーとついつい思ってしまします。(おちょやん、泣いて笑って、泣いて泣いての泣き笑い、名作オブ名作でしたね)
もちろん、大阪淀屋橋界隈など風情が色濃く残る場所もあるし、近代建築にも素晴らしい建物はあるし、木造建築が主流の日本建築文化と地震水害が多い自然環境のミスマッチは致し方ないですが。。
ただ、昔イギリス人の友達が日本に遊びに来た時
「日本の家は全部形が違って個性的で、住宅街歩くの超面白いね。」
と言っていました。
イギリスはテラスハウスと呼ばれる、レンガ造りで画一的な住居が一般的です。(写真は昔ホームステイしていたマンチェスターの一角)
「絶対こっちしかカッコいいやんー」(しか=〜の方が の和歌山弁)
と思うのですが、そこはやっぱり人それぞれの価値観ですね。
すいません、話が脱線しました^^;
つまり、今回何やったかというと
ポーランド市民のド根性凄い!
って事です!
自分の街に対する愛情と、パッションのお話でした^^
さーて、来週のサ○エさんはー?
ぼちぼちアジア圏にも突入しようかと思っています!
香港行きましょう!
それでは皆さんまた次のnoteにてお会いしましょう
ほた、またよー!!
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