ママのトラウマはメノクラゲ
「出会いの赤、ともだちとの冒険」の続きです。
はじめて「ポケットモンスター赤」をプレイして、三年以上経った、1999年。ついに「ポケットモンスター金・銀」が発売された。
先日、むかし集めていたシールやカードの整理をしていたら、金銀の攻略本の予約特典のシールが出て来て、それだけ楽しみにしてたんだな~、とほっこりした。
金銀発売前に、ルギアの映画が公開されて(たしか5回観に行った)、短編にピチューほかベビーポケモンがいっぱい登場していたので、とにかくピチューは早くほしかった。どこの草むらに出るのかな? と思ったら、たまごからしか孵らないという。
金銀は、ポケモンの性別、進化前、イーブイの進化後追加、タイプ追加、色違いといった、数々の新要素が生まれた名作。残念ながら、金銀当時の記憶はあまりなく、HGSS、それでも10年以上前のリメイク版なら、去年やり直した、というかHGが未開封だったので、「これをプレイしなきゃ、『全世代プレイ』って言えないじゃん……?」とDSにセットして電源を入れた。それの思い出がたくさん。
ダイパとHGSS時代は、まだツイッターでの交換が一般的ではなく、私はポケモン交換&対戦掲示板に入り浸り、そこでの交流を楽しんでいた。具体的なことは思い出せないが、当時すごくつらいことがあって、発売直後はすこししかやらなかったパールを引っ張り出し、大好きなポケモンに夢中になることで、現実逃避していたのだな。わかりやすい。
2009年の発売直後、SSを選んだ私は、掲示板でやさしい人たちにたくさんの色違いや育成済みなど、貴重な子をもらった。HGを進めていくうちに、当時のことをたくさん思い出して、懐かしく切なくなった。
あの頃は、ポケモンを交換するだけで、本当に楽しかった。ケーブルを使わなくても交換が出来るようになり、いわゆるテレホタイムには、なかなか繋がらずに、翌日のもっと遅い時間に仕切り直したりもしてた。
その時、交換や掲示板でお話していた人たちとは、もう連絡を取っていない。新作が出るたびに、あの人はまだポケモンやってるかな、今のポケモンをどう思ってるのかな、元気かな……と思いを馳せる。もしも同じ名前でツイッターをやってくれていたら、いつか見つけることは出来るだろうか。もしくは、私を見つけてはくれないだろうか。私は、15年前と変わらず、ずっと「みるく」だよ。
そうそう、1999年発売「銀」、たしかその時も私が選んだのは「銀」。
銀ではじめてゲットした色違いは、ヨルノズクだった。私がポケモンの移送をするようになったのはダイパからで、それより前のソフトは、あまりよく考えずに何度もリセットしてストーリーを繰り返したり、データが飛んだソフトは、中古ショップに売ったりしていたので、そのヨルノズクはもういない。
こんなに、25年以上もずっと大好きなシリーズだと知っていたら、初代から移送し続けたのに。大切な子を自分の手で消してしまったんだね。
翌年2000年発売のクリスタルは、たぶん200時間以上はやったと思う。私は昔から対戦をしないので、当然育成にかかる時間もなく、カンストするほどになったことはない。
それでも、GB時代に200時間超えとはすごいこと。一体何をそんなにやることがあったんだろう。孵化が楽しかったのか……。
クリスタルにハマっていた頃は、ママとよく一緒に出掛けていて、電車の中でやることも多かった。ある日、私が電車で寝てるあいだにメノクラゲを3匹ゲットし、起きたみるくに
「ゲットしといたよ!」
と報告。もちろんメノクラゲなんか、図鑑用に1匹しかいらない私は、「3匹もいらない」と機嫌が悪くなったそうだ。私にとっては、なんとなく憶えているくらいのエピソードだが、ママにとっては若干のトラウマらしい。
ママがもうポケモンをやらないのは、そんなことがあったから、ではなく、目が悪くなってしまったから。私も視力は低く、本当はコンタクトをした方がいいのだが、右目が修正不能なほどの乱視+遠視らしくてね。諦めてるの。