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25年分のありがとうと愛をこめて

何から書けばいいんだろう。何をどれだけ綴れば、満たされるだろう。
本当はわかってる。「好き」の在り方に正解はなくて、人それぞれの楽しみ方があったからこそ、25年の歴史を作り上げたということも。
でも私は、悲しかった。悔しかった。初代から大好きなポケモンが、金儲けの道具として変わっていくことに、ついていけなくなった。つらい時にいつもそばにいてくれたポケモン。それこそがつらい現実となって、私を苦しめた。
自分にとって都合のいいところだけ見ていればいい、あとは知らないで構わない。何度もそう割り切ろうとした。でも、否が応でも情報は入って来る。やっぱり、GOなんて作るべきじゃなかったんだよ。「ポケモン」と名のつくものなら、全部やるのが「好き」の度合いに比例するとは言えないよ。

GOではじめてポケモンに触れた人たち。GOだけやって、ポケモントレーナーになったつもりの人たち。
「こんなポケモン知らないけど」
「光った!」
ネット上で軽く書かれる言葉の数々に、傷ついた。
それは金銀、20年くらい前から活躍してるポケモン。
そもそも色違いが出やすいように設定されてるGOなのに、色違いでなければ価値がないとでも?
本編よりもGOが優遇されていると感じる中、本編にまで「カネ」のにおいがし始め、私はそのたびにポケモンから距離を置いた。「カネ」のにおいはそのまま、ゲーム会社のおじさんたちを連想させ、まったく夢の世界ではなくなってしまったからだ。
ただ、ゲームが好きなのだったら、代わりはいくらでもあっただろう。でも、私が好きなのは、「ポケモン」だった。ポケモンという世界観そのものに意味があるのだ。私は、もう二度と、ドキドキワクワクして、ポケモンと一緒だから毎日が楽しいなんてことはないのだと理解しつつも、こうして節目には想いを書き連ねてしまうくらいには、ポケモンを愛している。

最近は、忙しさにかまけて半年くらい画面を見ていないし、アニメもHDDに溜まっていくばかり。それでも、日常的に触れることはなくなっても、私が今日まで生きてきた中で、支えになってくれた子は数えきれず、それを介した素晴らしい出会いもたくさんあったから、だから、願わずにはいられないのだ。きっともう取り返しのつかないところまで来ているのだろうけれど、昔のような夢と興奮を。孤独なわたしの宝物を奪わないでと。
ポケモン25周年。ありがとう、ポケモンと共に歩んだ人生でよかった。


私の初ゲームは、たしかマリオだったと思う。初期のファミコンが家にあり、その名の通り、かぞくみんなで遊んでいた。友達のいない私は、家で絵を描いたり、ゲームをするのが好きで、「ちゃっくんぽっぷ」「がんばれゴエモンシリーズ」「ロードランナー」などを経て、自分のゲームオンチさを思い知る。
GBでも「ドクターマリオ」「星のカービィ」などを遊んでいたが、1996年、ポケモンとの出会いによって、「ゲームはもうポケモンしかやらなくていい」と心に決める。対戦にはハマらず、育成もせず、まともにやらない月日もあったので、プレイ時間がカンストするような事態に陥ったことはない。ストーリーとコレクションのトレーナーである。
長くなってきたので、各シリーズを振り返るのは、いくつかの記事に分けようと思う。果たして読む人はいるのか?

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薫野みるく
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