見出し画像

出会いの赤、ともだちとの冒険

「25年分のありがとうと愛をこめて」の続きです。

私とポケモンとの出会いは、「ポケットモンスター赤」。
TVCMを何度か見て、ずっと気になっていたのだが、たしか買ってもらったのはその年の誕生日だったはず。何せ25年も前で、はじめは続編、派生ゲーム、グッズやアニメと展開するとは思っていなかったので、そのあたりの記憶は曖昧なのだ。でも、とにかく発売年の1996年のうちには、その世界に触れることが出来た。
最初に選んだポケモンはゼニガメ。トキワのもりに3%の確率で野生のピカチュウが出現すると知り、二時間以上粘って、ゲット出来た時は嬉しかった。ゼニガメ&ピカチュウをパーティに入れ、ニビジムもハナダジムも難なく制覇。Switchのグラフィックを見慣れた人には、想像もつかないような粗い黒単色のドットだったけど、それでもポケモンたちはかわいかった。特に自分のポケモンが背を向けて戦う、バトルシーン。夢中になって遊んでいると、一日で電池が切れたりもしたものだ。そう、当時のGBは単三乾電池を四本も使うハードだった。

ジムをいくつか巡ってバッジを入手し、私はふと、疑問に思った。
「ニャースっていつ、どこに出るの?」
そしてニャースが緑にしか出現しないと知った私は、緑もママに買ってもらう。当時、というか今もだが、友達がいなかったので、二台のGBをピカチュウの通信ケーブルで繋いで、緑でゲットしたニャースを、メインソフトの赤に移送したり、通信進化の子を進化させたりと、一人で遊んでいた。ポケモンの話がしたい一心で、緑を親戚の女の子に貸したこともあった。でも、残念ながら、彼女はそれほどポケモンにはハマらなかった。一週間ほどであっさりと四天王に勝利し、殿堂入りすると、その後の冒険はせずにソフトを返してくれた。それでも、私の「ポケモンを楽しんでほしい!」というアピールは止まず、その後のシリーズもメインでやらない方のソフトを貸したり、ゲーム機本体とソフトごとプレゼントしたりと、やたら熱心だった。
私が赤をやり込んでいた頃、親戚の小さい男の子は青を持っていて、「これは普通に売ってないんだ」と自慢げだった。
しばらくして、一般発売された青も入れて三種類のポケモンのソフトを揃えた私は、好きなポケモンだけレベルを上げ、タイプが偏ったパーティで四天王に勝とうとする。A6サイズの小さな攻略本を片手に、自分なりの楽しみ方でポケモンを集めていたが、「ポケモン図鑑を完成させよう」とは、一度も思わなかった。

金銀の前に発売された「ピカチュウバージョン」も当然やった。アニメと同じく最初にピカチュウをもらえ、さらに、ピカチュウはボールには入らずに、後ろをついてくる。話しかけると答えてくれるピカチュウがかわいく、内容は赤緑とほとんど変わらないのに、ピカチュウとの冒険は楽しかった。

そういえば、私が赤をプレイしていたとき、同じクラスのKくんは緑をやっていて、ミュウを持っているとのことだった。私が「すごいね!」「いいなー!」などと褒めると、Kくんは緑のソフトごと、貸してくれると言う。
「野生のミュウが飛び出してくるんだもん」
当時の私は改造やバグについては無知で、ただただKくんがすごい人だと思っていた。「好きなだけゲットしていいよ」と緑を差し出すKくんが神に思えた。私は借りた緑でゲットした野生のミュウを2匹、自分のソフトに移送した。
その頃、「ひとつのソフトにミュウを3匹以上入れるとバグが起こる」という噂があって、さすがにデータが壊れたらいけないと思った私は、2匹で留まったらしい。いくら「通常プレイでは入手出来ないレアポケモン」だとしても、私は元からそれほど欲深くはなかったし、自分が育ててきたポケモンの方が大事だったんだろう。ミュウを入手したあとは、ひとしきり野生とバトルをさせて楽しみ、ボックスに並べて喜んでいた。

ハナダのどうくつにいるミュウツーは、自分でゲットしたのか、それもKくんがくれたのか(後者有力)、バッジの数が足りずに指示を聞いてくれなかった記憶がある。なまけたり寝ちゃったり。そもそもその仕組みを理解していなくて、「ああ、伝説のポケモンはやっぱり孤高なんだな……」なんて納得してた。

そんな、初代組のおもいで。

いいなと思ったら応援しよう!

薫野みるく
これからもおもしろい読み物を目指して参りますので、よろしければサポートをお願いいたします。頂いたサポートは活動費や猫のごはん代として大切に使わせて頂きます。