反応性愛着障害と承認欲求
ちょくちょく気になっていましたが
「反応性愛着障害(リアクション・アタッチメント・ディスアビリティ)」※私の世代の呼称。今はディスアピアーだったかな?
なのに、私はなぜ承認欲求が無いのかと。
いやまあ期待するだけ無駄だと思うに至ってしまったからというしかないけど。
「助けてほしい」と言ってない時はグイグイくる割に、「助けてほしい」と言った時は無関係を決め込むんだよな他人って。
そんなものをどう信じろというのか。
無駄な問答です。
さて、反応性愛着障害(RAD)ですが
試し行動というものをしてしまっては自己嫌悪に陥ったり、人間不信を深めたりします。
それだけ他人を信じる力を形成するには保護者の世話が重要なわけです。
私たちが与えられなくて欠落しているのはそれですからね。私は神の信仰で埋めているに過ぎず、底が抜けたバケツは底が抜けたバケツのままです。
承認欲求ではないのかなと思っていましたし、まあ私が狂ってるだけで、他の子は承認欲求なのかもしれません。わからん。
絵を褒められて嬉しいという感情を忘れた。
褒めた人間に裏切られたので。
小説を書くのが楽しいという感情も忘れた。
褒めた人間が掌を返して悪様に言うので。
創作を楽しいと思わなくなった。
嘘吐きの言うことを鵜呑みにしたクラスタがガキの集まり過ぎて、火遊びが好きなら他所でやれって感じなくらい、私を悪者にして嗤ってるので。
記録を残したり、設定をきちんと残すのを楽しいと思わなくなった。
読んでる唯一の読者が物言わぬので。
承認欲求すら、期待するのを諦めたのかもしれません。無駄なんだよな。
チャラで描いたlogでも6時間は掛かってるので、無反応だったりすると描いた意味が無かったなと思うし。
幻闘を火力担当にされるのは構わなかったけど、仮に3.5人分の火力が要りますってとこに、0.5が2人居たら埋めるのは私達だし。
一緒にやらなくなって分かったんじゃないですか、1.2が3人いれば最後の一人は0.1あれば余裕であることも。
期待なんていつだって無駄だった。
私が頑張るしかいつだって現状は打開されない。
助けてと声を上げても無視するくせ、助けて欲しいと思ってない時はグイグイくる。いや良いんだけどね優しいね。
必要な時に、必要な感情も
物も
居場所も
そこにはない。
そんなことはとうに知っている。
スクラップになって廃棄される日だけを待っている。
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