【断服式】 なりたいを見つけるために 今の「なりたくない」を引く
「着ないものリスト」を決めたことで、断服式が始められる。
断服式とは、
「自問自答ファッション」を実践されているスタイリスト、あきや あさみさんがおすすめしている、
「着ない服を手放すセレモニー」のこと。
違和感を残すのか 決断を迫られる
まずはコンセプトを決めないことには、「自分が着ない服」も設定できない。そう思って、リストを作るタイミングを逃してきた。
その陰には「手放した服が後から必要だったら、どうしよう」という、想いがあったと思う。
自問自答ファッションの取り組み方は、実践する人により本当に多種多様。noteでJJG(自問自答ガールズ)のアウトプットを拝見して、心から実感する。
自問自答ファッションのPDCAを素早く回し、爆速でコンセプトとつながって、制服と対面をしていくJJGの姿を、巣穴から顔を出しては眩しく見つめる。
(そのための自問自答に、真摯に取り組んでおられることは重々承知しているつもり。それに、私が知ることができるのは、その人の自問自答のほんのわずかな部分。あえて公開を選んで書き起こされているところでしか、窺い知ることはできない。書かれていることがすべて、というわけではないのだと思う。励みとなるシェアを有難く思います)
私は自問自答で、少し核心をずらした自分への問いかけをしている。そんな自覚はある。
外堀を掘っては埋めるような、遠まわりとも思える問いや疑問を投げかけては、掘り返している。
そんな調子だからか、自問自答ファッションと出逢って半年以上は経つのに、まだコンセプトとつながっていない。
それでも、自分の「なりたい」像を見つけるために、必要なことだと思っている。快適な巣穴を作るにあたって、私の土壌はあまりに固すぎた。改良してると思えばいい。
ただ自問自答ファッションは、コンセプトが決まってようやくスタート。
そこが決まらないので目指す方向が見つからず、ひたすら自分の周囲を掘っている状況だ。
もう少し、軽くしよう。
自問自答を続けているが、停滞感も否めない。
コンセプトとつながるために、自分の中で明らかに違和感が出ているものは手放そう。そんなふうに思い立って、「着ないものリスト」を作った。
その結果、自分が「着たい服」について理解が深まったが、気がかりもあった。
リスト化の段階で、「もう着ることはないだろうに、手放しにくい服」がいくつかあることに気づいていたから。
思い入れがあって残しておきたいなど、気持ちがこもっているなら別だ。大切なものだと思う。
だけど、私がクローゼットで眠らせてしまった服は、そういう想いが込められているものではない。
「一度も着ていないのに、もったいない」
「コンセプトによっては着るかもしれない」
そんな感情から手放せないものだ。
リスト化を終えて断服式を始めるまでの間、少し二の足を踏んでいた。気持ちが決まらなかった。
ふと、積ん読の一冊が目に入る。
最近、気になり始めたことのヒントになりそうだと思ったら、急に読みたくなった。
数ページ捲ったところで、手が止まる。
そこには、あきや神からのご神託のような(?)一文があった。
こんなにピンポイントで、タイムリーな話──
あった。
第1章の見出しに、これである。
読むしかない。
手放しのセレモニーがスムーズに開始できないタイミングで手に取ったのは、「行動経済学」の本。
お察しの通り、行動経済学についてわかりやすく書かれている本だ。片付けや整理整頓に特化している内容ではない。
それなのに。
目次を抜けたら、例の問いかけが視界に飛び込んでくる。現実逃避ではなく、読むしかない。
行動経済学とは、このような専門分野なんだそうだ。
そのわかりやすい例として、「長い間着ていない服」をどうするのか、という人間の心理について取り上げていた。
もう少しだけ、この行動経済学について紹介したい。著書によると、新しい学問だという。
経済学との違いは、こんなふうに書かれている。
そして、本の肝となる行動経済学とは、こんな感じ。
「着ない服を手放せない」という心理については(少し先で触れようと思う)、最終的にこんなふうにまとめられている。
最後の一文の力強さ。
この振れ幅がいい。
人間の「ダメな行動」に焦点を当てているからか、懐の深いおもしろい分野。
損得や合理性を追求するために、利己的に動くことを推奨しているわけでもなく、人間の不可思議さを検証して、感情的な部分も想定範囲としているところが、個人的には興味がある。
例の「着ないとわかってても手放せない服」については、こんな視点から掘り下げていた。
……。
まさに、自分の心理。
このような思考のクセの総称を、「バイアス」というらしい。
こういう思い込みは、日々の生活でたくさん存在しているという。買い物で失敗しがちなところも、もしかしたらバイアスが関係しているのかもしれない。
では、「もう着ない服を手放すのに、抵抗感がある人」は、どんなバイアスの影響があるのか。
「保有効果」と言うそうだ。
私には、この傾向があるんだろう。
本書では「こういうバイアスがあるから、それを理解して服を手放そう」と勧めているわけではない。
先のまとめが、
という、ややどんでん返しのパワーワードで締めているように、解説役の先生キャラクターも「捨てられないものがある」と語っている。
このあたりの、いわゆる「ダメな行動」が含まれているのが行動経済学。
「こういうバイアスがあって、あなたは今、思い込みの影響下にあるんだけど、どうする?」
そんな、問いかけめいた学問のような気がする。
「わかっていながらも、ままならない」
それが、この学問の神髄なんだろう。
一方の経済学が「かしこく完ぺきに自己管理できる人」の学問だと紹介されているのは、「もう着ないから手放そう」という、合理的な選択が迷いなくできるケースだけを想定しているからなんだと思う。
でも、そう割り切れることばかりでもない。
行動経済学は、そこで合理的な判断ができなかったとしても、「そういうことありますよね?」という包容力を感じる。別の視点を用意するのが目的で、なんというかエラー込みの学問だ。
ただ、今回は事情が違う。
断服式のタイミングで目にすることに、意味がありそうだ。「決心して手放せ」ってことなんだろう。
決断を迫られている気がした。
自分の「なりたい」へシフトする。
まずは、クローゼットから「なりたくない」を取り出すことにした。
断服式 開催
コンセプトが決まっていないので、今回は「着ないものリスト」を元に断服式をする。
もともと、手持ちの服はそう多くない。
すべて把握していると思っていた。
それなのに。
記憶が抜け落ちている服が数点見つかって、固まった。引き出しの底が定位置となり、眠らせてしまったらしい。
かろうじて、「自分が買った事実」と「着たことがある記憶」は思い出せた。クローゼットで自然発生するわけがないんだから。
(値段関係なく、コンセプトぴったりの制服が自然発生してくれたら嬉しい)
初回の断服式で手放した服と、その理由などを書き留めておこうと思う。
今後の買い物の指標となりますように。
この中には、JJGのどなたかが制服として推しているものもあるかもしれない。
あくまでも、私のクローゼットとして捉えてもらえたら幸い。
【Aライン/裾フリルスカート(ボルドー)】
試着なし、単体で購入。
色・デザインともに「好き」だし、「似合う」と思う。
このスカートは、しばらく穿いていない。
久しぶりに合わせてみたら、バイブスが違うことになってた。
それを着ることに違和感がある。
【総レース/タイトスカート(ネイビー)】
試着なし、単体で購入したもの。
中途半端なドレッシー感が出て、合わせるトップスに苦労した。オンには若干華やかで、オフだと妙にかしこまった印象になる。その服を着た自分がどこで存在していても、望んだものではないというか、しっくりこない。
カジュアルダウンしようにも、バランスが難しかった。レースやデザインは「好き」でも、それを活かせずに出番が減る。
【Aラインスカート(マリーゴールド)】
きれいな色のスカートだが、買ったきり一度も穿かなかった。パーソナルカラーがイエローベースのため、無意識にそれが決め手になった可能性も。
服の上から合わせただけで、試着なし。
色が「好き」「似合う」だけでは、穿かないことが判明。シワになりやすそうな素材でもあった。
【ギャザーワンピース(マルチカラー)】
試着なし。
自宅で試してみたら、適度にラインが出てきれいに着られた。
ただ着丈がかなり長かったな、という印象。
デザイン込みで「好き」で「似合う」とも思ったが、買ってから一度も着ていない。
これも若干、シワになりやすそうな素材だった。
よく考えてみたら、この服で一番惹かれたのは生地の柄そのもの。もしシャツなどのトップスなら、ヘビーローテーションしていたと思う。
【Vネックワンピース(花柄×幾何学模様 / 赤系)】
同じく一度も着ていない。
これは店頭で試着をしていて、そのときは「似合う」と思ったし、「好き」だとも思った。
民族調に入り乱れた柄の、少しとろみ生地。
これもトップスだったら、ヘビーローテーションしていたはず。
【薄手パーカー(ライトイエロー)】
肌寒いときのルームウェアとして、購入したもの。
着ないものを決めたあとでは、カジュアルさとスポーティーさが強く感じられた。
ここでも、パーソナルカラーを取り入れようとする意識が見える。
【クルーネック長袖Tシャツ(ライトグレー)】
これもかなりカジュアルが強い。
今思えば、怒り耐性が低かったなと思う。
たっぷり怒りを吸収してるだろう。
大変なときに着ていた服だ。
主張せず、動きやすく、延々と、滞りなく。
手放します。
私も服も、お疲れ様。
【半袖インナー(グレー)】
買ったことを忘れてしまった服。
しかも、以前の整理のときに買った記憶がないことに驚いたのに、今回また驚いている。(それを思い出した)
申し訳ない、お疲れ様でした。
【襟元フリル プルオーバー(アッシュブルー)】
試着なし。これも、着てたのに買ったことを忘れていた。
購入時に気に入ったところ。
色、襟元フリル、バックリボンで結ぶスタイル。
■ 実際に着てみて、気になったところ ■
- 試着の旅 検証ポイント
断服式をしてみて、こんな疑問が出てきた。
これは、コンセプトが決まったあとに、試着の旅で体感しながら確認したい。
断服式 終了
今回の断服式で、ワンピース・スカートのほどんどは手放した。
「一度も着ていないのに、どうしよう」と踏ん切りがつかなかったものは、クローゼットから卒業してもらった。検証したくて残しているものも数点あるが、「なりたい」に違和感があるものは取り出した。
引き出しの中が、かなりすっきりしてる。
これなら、底で眠らせてしまう服はなくなるだろう。
季節のタイミングで断服式をして、違和感が出てきたものはできるだけ言語化して落とし込み、何がひっかかるのかを理解したい。
手放したものは、当然ながら「着ないものリスト」に挙げた項目がネックになるものが多かった。
コンセプトが見つからないまま「着ないものリスト」を作ると、「コンセプトが決まったときに必要なものまで、手放すことになるんじゃないか」と思っていたが、コンセプトに関係なく、着ないと決めたものは、実際に着ていないことがわかる。
今着ていない服のその理由や、ストレスポイントがわかれば、コンセプトに必要な服まで手放してしまうということもないのかもしれない。
少し気になる点があって、手放すかどうか「決めきれない」なら、そうした服のみ残すようにするだけでも、自分の焦点がはっきりしてくる。
どうあっても遠回りを自覚するが、地道に続けると、クローゼットが「なりたい」を核にした制服だけになっていくんだろう。
- 新たな指標
断服式をしてみての、気づきをまとめてみる。
服を選ぶときの自分のこだわりが、だいぶ整理されてきた。
コンセプトが決まっていなくても、「着ないものリスト」を元に断服式をしてみると、クローゼットの中の違和感に気づくこともある。
「なりたい」の手がかりが遠かったり、プランに時間がかかって停滞しているように感じるときは、
という流れを経てみても、ファッションに対して新たな視点が見つかり、コンセプトにつながるかもしれない。
コンセプトの前に、「引く」ことを意識してみる。
何も残らないような気がしてしまうけど、自分が思ってる以上に、「精神的」にも「選択に使う基準」にも余分なものを持っている可能性がある。
物質的なものだけじゃなく、見えないものを持ち続けていることもあるから。
この「着ないものリスト」→「断服式」のアクションをしたことで、ほかにも明確になったことがあった。
「好き」「似合う」「違和感」。
制服を選ぶ過程で重要なポイントになるのは確かだが、場合によってはそれがうまく機能しないことがわかった。
たとえば、私の「着ないものリスト」の中には、【カジュアルすぎるもの】が入っている。その理由を考察しているときに、こんなことを書いた。
この言葉の解像度が上がった。
私にとってカジュアルな服は、「機能性・実用性」の要素を一番に感じているものらしい。
だからなのか、そこに「好き」とか「似合う」とか「違和感」で表すような感情のフックの在処を、うまく探れない。
優位の基準が「機能性・実用性」なので、先ほど挙げた感情がそこまで目立って出てこないようなのだ。
まずは、機能性・実用性。
そして、快適さ。
そういう役割が優先される。
それが理由で、「好き」や「似合う」という感覚が強く出る服よりも、「何かしらの感情をかき立てられるわけでもなく、一番抵抗なく着られてしまう服」だ、ということなんだと思う。
大きな感情の動きがないので、そのぶん服へのOKが出やすくなる。「着るときは、意識的してコンセプトに添ったものを選ぶ」というチェックポイントは、それを防ぐために作ったのかもしれない。
ルームウェアには、特に「快適さ」を取り入れたいし、指標としてこれも追加。
こういうことは、認識ができないと気づくのは難しい。
それで言うと、「着ないものリスト」を作ってクローゼットを改めなければ、私は今の自分が「なりたい」を意識して服を選びたいことに気がつかなかったと思う。
「好き」だし「似合う」という思い込み(バイアス)で、「潜在的には優位でない服」を選択し続けていただろう。だから、購入しても結局は着ないし、「好きで似合うのに、なんで?」という服がクローゼットに増えていく。
無自覚ループから、抜け出せなかったかもしれない。
カラクリに気づいたあとも不思議に思うのだが、「どうしてか着ていない服」は、デザインが苦手というわけではない。「好き」で「似合う」ので、身につけると、ある種の高揚感すらあるのだ。(そこがトラップ)
でも、実際には着ない。
高揚感の中に、確かに違和感が存在する。
ずっと、そこの見極めが難しかった。
感情がだぶっているようなイメージだ。
「好き」で「似合う」服を着て、喜びがある自分がいるのを感じながら、もう一人の自分が何かを受け入れがたそうに、こちらを見ている。その二重の感覚のうち、不和を放つ方がクリアになってきてる。
今回、その違和感を重視して、「今の」クローゼットからは取り出した。
スカートやワンピースは、自分の「なりたい」と明確に結びついたときに制服として迎えよう。
そういうこともあるかもしれない。
でも今じゃないし、今「なりたい」と思ってるわけじゃない。
それが断服式をしての、今の想い。
「終わり」から新たに「始める」
あきやさんによると、自問自答ファッションにおける「PDCA」は、こうだ。(若干、認識違いはあるかもしれない)
このPDCAをまったく機能させてなかったことに、ようやく気づく。
私の場合はこうだった。
……。
連動性がまったくない。
購入後のチェックがしっかりできていれば、「一度も着ていない服」があることにもっと早く自覚的になっただろうに。
前回のnoteで、そんなことを書いた。
くり返しにはなるが、行動経済学の本を読んだ後ではこれも思い込みなんだと思う。
結局着ていないのは、ご存じの通り。
振り返りがあれば、この「違和感」に目を向けるきっかけにもなったはずだ。実際の自分の行動と比較してみると、PDCAを連動させることの大切さを実感する。
とはいえ、私はプランが低速……。
こうして、ラストのアクションからの変則使用となった。
それでもあきやさんは、こうおっしゃる。
何でもお見通しだ。
「一度も着てないのに、もったいない」
「コンセプトによっては着るかもしれない」
断服式前は、そんな思いでモヤモヤしていた。
でも自分の中の違和感を見つめて手放したら、「好き」で「似合う」けど「今なりたいわけではない」ものが見えてきた。
それがくっきりしたのは、こうしてアウトプットにまとめている段階だ。断服式の最中はもっとラインがおぼろ気で、ただ「手放せた」という達成感の方が強かった。
改めて思う、チェックとアウトプット効力の強さよ。
それから、断服式前にあったモヤつきは、実際に手放すための作業に取りかかると落ちついた。「手放す」決断をし、その行動に切り替えたので、バイアス効果が弱まったのかもしれない。
自問自答で見つかるのは、自分の軸だけじゃなかった。
掘り当てた違和感を見つめて、手放す──。
この過程も、最高な制服を迎えるコンセプトにつながるためには、同じくらい必要なことなんだろう。
時間はかかっても巣穴を掘っていると、自分の土壌と長らく一体化していた「かたまり」をいくらか発見できる。
それを、どうにか外に出そうとしてる。