「社会課題」のこと
今年一番の注目の女性
(…の割にはあまり読んでないのは難読症のせい😅)
中村タカ女史。
彼女みたいな”女性の”チェンジメーカーがどんどん出てくるのは嬉しい限り。
ただね。
うーん…
「社会課題とは?」
そこを大上段に論じる必要があるんだろうか。
そのせいでさっさと解決しなきゃならない身近な問題がなおざりなんじゃ…とも。
もっとカジュアルに、「社会課題=自分が生活の中で感じる不満」…でいいんじゃないかな。
例えば子供の立場ならまず学校のことだろう。
いじめ、不登校、ブラック校則などあるあるなことから、勉強内容や試験に不満や疑問がある子もいるよね。受験や進路のことも単に個人の悩み以上だってこととか、好きな先生がいるなら先生ってどれだけ大変なのかにも気付いてるかも知れない。
通学で駅前の放置自転車や田舎の子なら通学時間や交通機関のことに不満や不安がある子もいなくはないだろう。
問題を抱えてる家庭なら、貧困やネグレクト・虐待は切実だし、親を思いやる子なら仕事で辛そうだとかは気になるだろう。
社会人なら、当然給料やサービス残業とかのことはよほど恵まれていない限り悩みの種だろう。都市圏なら朝晩のラッシュ。そして最大の悩みはお金のこと。食費や光熱費、車を持ってるならガソリン代と何もかも値上げだ。
将来の結婚のことも不安だろう。結婚資金とか生活資金とか、そもそもパートナーが見つからないとか。
もしかしたら今から老後の心配をしてるかもしれないし、それより先に親の介護のことが現実的な人も少なくないだろう。
そういう身近な不幸を誰もみな「自分が我慢して頑張るのが当たり前」と声を上げない。いわゆるメディアに出てる「賢者」はそういうアドバイスしかしないし。それに声を上げようにもどこにどうやってなんて言えばいいかもわからない。
実はどれも掘り下げていけば「社会問題」だ。そしてそれらすべてが政治に繋がっている。というか話は逆で、そういう市民に身近な問題を解決していく活動こそが実は「政治」なのだということ。
そういう地に足が付いた話を掘り下げないから、なんだか遠いフィクションみたいな「社会課題」を見つけては、やった気になる。
日本人は概してわが身はさておき誰かの問題を解決してあげようとする。それは立派なことだ。たしかに世界の戦争や大規模自然災害で苦しむ人たちを救うには、自分のことはさておきじゃないとどうしたってできない。
そうやって、自分自身がそして実は多くの人が共感する日本の不幸は放ったらかし。そういうことは政治がちゃんとしてくれるものと思ってるが全然期待外れ。そうやって、政治に関心が持てず、政治家も空理空論で踊るばかり。
社会起業家は儲からない?
そう思われるのも無理ない。少なくともマネーを握る連中を説得するのは至難の業だ。前例がないしあっても稀有だし。
でも実際そうだろうか。
世の中には「社会課題」に無関係なビジネスはない。反社とて、よく考えれば実際「社会課題」の裏返しだよね。
そしてGoogleやFacebookはギガマネーを稼ぎ出してる。
貧困者数は2000万人。年収200万円以下の超ワープアだけでも約1,200万人。
かたやFacebookの日本ユーザー数は2600万人で、5億円の利益を稼ぎ出してる。ユーザーは一銭も払ってない。
「社会課題」をどう定義するか。そして「解決方法」。その発想でどうとでもなる。
Googleも最初「検索サービス」をどうやってマネタイズするか、思いつかなかったという。なのに億レベルの資金調達をやっていた。カギは「実物」と「ユーザー数」。
さっさとパイロット版を作って、コネをフル活用してユーザー数を抱え込め。マネタイズはそこから考えりゃいい。
パイロット版アプリなんて100万円もありゃ作れるし、ハードウェアでもコワーキングスペースにある3Dプリンタでできる。難しいならメタバースで試作もありだろう。
ユーザーはターゲットの「社会課題」のステークホルダー。分野が決まっているからかえってアプローチしやすい。コンセプトデザインの段階で予めコネクションを作っておくのは当然だよね。マーケットが小さいなら、アイデア段階でその人たち全員と顔見知りになってるくらいじゃないと。
まだ看板がないなら「taliki」が貸せばいい。
社会起業家は感情的で論理がない?
実際そうなんだろう。で?そのどこが悪いのかな。
他人の不幸を横目で見て自分の懐を潤すことだけ考えるクールな利口。
世のため火中の栗を拾おうとするのはよほどのホットなバカだろう。
ましてや「ホットなハートとクールなブレイン」を併せ持つ人は奇跡だ。
だからこその「他力」。
この国には知恵のある人もものを作れる人も間違いなく掃いて捨てるほどいる。
ただ最も重要な足りないものがある。
それが「ホットなハート」。何が何でもそれを何とかしたいという執念。寝ても覚めてもそのことばかり考えてる多少偏執狂、みたいな。
これはプロジェクトを成功させるために”唯一必要不可欠”なもの。どんなプロジェクトもこれなしでは絶対に何も実現はできない。
そして極めて希少なもの。
むしろ「ホットなハート」さえあればプロジェクトは始められる。
ほかのリソースはいくらでも”買う”ことができる。逆に言えば「ホットなハート」だけは絶対に買うことはできない。たとえ買えてもそれは偽物でしかない。「ホットなハート」はそれができるかどうかを問わない。ただ「やる」。「できるにはどうするか」しか考えないから撤退はない。
そしてもう一つこの国で足りないもの。
それがその”買う”仕組み。必ずしもお金で買うとは限らないけど、「ホットなハート」とそのコーポレータをコーディネートする仕組み。
例えばRPGで冒険の仲間を集めるような。
『taliki』はそういうプラットフォームだと思ってるけど、どうなんだろ。
カジュアルなアプローチ
- メニューは揃ってる。あとは決めてやるだけ
以前政府関係者の誰か女性がこんなことを言ってたのを耳にした記憶がある。
その通り。「社会問題」にはほとんどすべてにそれを解決する「政策」がすでにどこかで誰かが提案している。もう30年も同じ課題に直面してるんだから当たり前と言えば当たり前。それを選んで決断して施行するだけ。なのに、決断しない。
難癖はいくらでも付く。やってみないとわからない。当然完璧なプランなんてどこにも存在しない。そういう百家争鳴の中、議論議論で何十年も失われる。
たとえプランに問題がなくても、関わる人に瑕疵があることは多々ある。上手くいかなかったら選んで決めた人が責任追及されるんだから、そりゃ誰も決めたくはない。
そのように世の中には、「こうすりゃいいじゃん」という極めてイージーなアイデアも腐るほどある。
でもそれを提案しても、「やってる?じゃないなら始めてから来て」と門前払い。
アイデアを持ってる人は、たいていいくつも持ってる。何か問題を見ればすぐに「こうすりゃいいじゃん」と思いつく。それもただの実現不可能な思い付きじゃなく、経験や実情に基づいたものであることも少なくない。特にその分野の現場で働いている人には「こうすりゃいいじゃん」と思ってる人も案外いる。
しかし如何せん、その当人は忙しかったり、あるいは日本人らしく口下手だったりすることがまた多い。人前でプレゼンなど恐れ多くて固まっちまう。それに「自分ごときが思いつくことなんかほかの偉い人も考えてるよね」と思うのが普通の謙虚な日本人だ。
RPGで言えば、これは「冒険の地図」みたいなもの。記した本人はだいたいはもうこの世にはいない。地図の目的地(ビジョン)に興味を持つかもともと自分が探しているものはこれかもという直観の元、道筋(ロードマップ)を示す手がかりを頼りに旅を進める。もし何か謎があったら、もしかしたら降霊術で制作者を呼べるかもしれない…みたいな。
『taliki』では是非ともそういうソリューションアイデアも拾う仕組みもやって欲しい。
勝手に『taliki』で妄想してみたけど、これから日本は良くなっていく予感しかしない。楽しみ!😆