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代理ミュンヒハウゼン症候群の誤解
母親が小学1年生の次男を窒息死させた疑いで逮捕されたという事件がありました。
2019年8月6日午前8時45分ごろ~午後3時ごろ、自宅アパートで次男の雄大さん(当時7)の鼻と口を何らかの方法でふさいで殺害した疑いがある。
上田容疑者には次男の他に3人の子どもがいたが、02年に長男(当時5カ月)、03年に長女(同1カ月)、17年に三男(同1歳5カ月)がいずれも死亡。県や市は、上田容疑者に周囲の気を引くため子どもを傷つける精神疾患の一種「代理ミュンヒハウゼン症候群」の疑いがあるとみて対応に当たっていた。
最近、度々目にするようになってきた、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉。これ、最初の翻訳がまずかったのだと思うのですが、「症候群」と付くことで精神疾患だと勘違いされていますが、虐待です。
確かにうつ病などを患い、そこからネグレクトに繋がったり、母親が「統合失調症」になり子供に酷いことをするケースは多々ありますがそれらは必ずしも意図してやっているわけではなく、結果として虐待になってしまっているものだと思います。
「代理ミュンヒハウゼン症候群」とされるケースはそうではありません。
故意で計画的です。
病院で医師に嘘がばれそうになると、子供を別の病院に転院させるなど明らかに自分の行いを自覚しています。
なぜ、子供にそんな酷いことをするのか。メリットはあるのかという問いに関しては何をメリットとするのかが人によって様々なため一概には言えないのです。
病気がちの子供を世話していると周囲に優しくしてもらえる、とか、破綻した夫婦仲を繋ぎ止めるために子供を病気に仕立て上げて離婚を回避するなどがメリットになる場合もあります。
過去に起きた「代理ミュンヒハウゼン症候群」とされる母親たちの事件では、子供を病気にするために手段を厭わないケースもあり、たとえば尿検査などの際に採尿したものに遺物を混入し結果を誤魔化すようなものもあれば、下記のリンクにあるように子供の点滴の中に「尿」を混入するなどし、本当に病気に仕立て上げてしまうケースも多々ある。その場合、最悪子供は死んでしまうこともあるのだ。
この手の虐待が悪質なのは「代理ミュンヒハウゼン症候群」の母親が子供を病気にするのではなく、医師が母親を信じた結果間違った診察を行い、間違った薬を投与することで子供を苦しめることが多々あることである。
医師は患者が、親子連れで病院に来た場合に明らかな虐待の跡がなければ子を心配する母親の言葉を信用してしまうものであり、子も母親を信頼しているしそうでなくとも母親の前で母親を告発なんてできない。仮にできたとしても幼い子供の場合それがどこまで真実味を帯びて、心底心配している様子の母親の嘘を大人に理解させることができるかという問題になる。
2015年、アメリカで痛ましい事件が起こります。
白血病や筋ジストロフィーを患っている娘、ジプシーのために尽くしてきたはずの母親がジプシーのボーイフレンドに殺害されました。ボーイフレンドは被害者であるジプシーから殺人を依頼されたのです。
その後、この母親が、「代理ミュンヒハウゼン症候群」だったことが世間に知れ渡ると衝撃が走りました。
事件後、ジプシーは。刑務所内でインタビューを受けた際、ジプシーは「母と暮らしていた時よりも今の方が自由を感じる」と語ったそうです。
ジプシーが母親に受けてきた様々な仕打ちを考えるととても精神疾患で片付けられそうにない気がします。
「代理ミュンヒハウゼン症候群」を精神病とすると責任能力を問われ、減刑の理由になりかねないのですがこれは果たして精神病ではないのかという質問に対して答えを持てず、モヤモヤしていたところ下記の書籍を見つけました。
この本の中で「代理ミュンヒハウゼン症候群」は親につけられる病名ではなく、虐待の一類型だと明記されています。
また、ミュンヒハウゼン症候群の患者の脳検査を行うと、嘘にかかわる脳領域の活性が低下していたり不均衡になっていたりするとのことで、このような脳所見は、平気で人を欺き、自分の利益のためには躊躇なく他人を利用する冷血漢と言われているサイコパスの脳の特徴とも似ているという。そうであれば今後研究が進む中で脳障害とされる可能性もある。
なんにせよ、「代理ミュンヒハウゼン症候群」と聞いた場合には、虐待が起きたのだと理解することが大事だと思います。
母親の精神疾患だと認識してしまうと、虐待の事実が薄まり不幸な事故のように語られてしまい、それこそが子供にとっての不幸となりかねない。
本当の被害者は虐待されて命の危機にまでさらされようとしている子供たちなのです。