MyGO!!!!!外伝 RiRICO's STORY〜詩超絆至話〜
✳︎TVアニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」の同人外伝小説です。
TVのストーリーを裏側から描くノベライズ的な作りで、オリジナル要素は薄めです。物語を追体験したい人(=自分)のために書きました。
劇場版前編の要素も含んでいます。TVも含め見ていない人はネタバレ注意。
第1章 ライブの終わりに
1)トラブル
「なんで春日影やったの!!」
その声はステージ裏から聞こえてきた。
人を責める言葉なのに、あまりにも悲痛な、泣く様な叫び声だった。
「あちゃー、揉めちゃったか」
調光室に居たライブハウスRiNGの従業員、真次凛々子は頭を抱えて呟いた。
ステージは今、立希ちゃん達のバンドがライブを終えたばかりの転換時間だ。
さっきの声は、きっと観客の耳にも届いているだろう。
顔を見合わせて騒つく観客の様子が窺える。
「ごめんなさい。ここちょっと任せるわね」
凛々子は調光卓を他のスタッフに任せ、ステージ裏に向かう。
騒動が大きくなって、準備しているポピパのステージに影響が出たら大変だ。
2)名前の無い新人バンド
このRINGのアルバイトでもある立希ちゃんが組んだ5人組のガールズバンド(名前はまだ無いらしい)はこのステージが初めてのライブで、最初から完全にギクシャクしていた。
ギターの子がガチガチに緊張していて曲の出だしを何回も失敗したり、同じ様にボーカルの子も最初は声が全く出てなくて、ハラハラさせられたものだ。
しかし、最初の緊張が解けた後は、徐々にしっかりとした演奏になっていった。
ドラムとベースのリズム隊がしっかりと下を支え、その年齢に見合わない高い技術力とセンスを持つリードギターが旋律を掻き鳴らし、優しげな響きを持つボーカルが、その声からは想像もできない様な激しい感情を歌で叩きつける。最初は頼りない感じだったサイドギターも緊張が解けた後はステップを踏むほどの余裕を見せて、的確にリズムを刻んでいた。
そればかりか、この新人バンドは予定に無かった二曲目も演奏し始めた。
その演奏は、ライブ当初からは想像もできない様な素晴らしいものになっていき、観客からも賞賛の歓声が沸き起こっていた。
初めて観客の前でメンバー同士が音を合わせ、その経験を基にバンドそのものがその場で成長していく。
そんな様子が見て取れる、とても感動的なライブだった。
それなのに、そんなバンドのメンバーがステージを降りた直後にトラブルを起こしている。
3)立希ちゃん
凛々子は、自分がこのバンドを今回のライブに誘ったこともあり、最初から気にかけていた。
立希ちゃんはRiNGの新人バイトで、無愛想で接客を嫌う所はあるけれど、とても真面目で頑張り屋さんの高校一年の女の子だ。
バイトを初めたきっかけも、スタジオで熱心にドラム練習をしている立希ちゃんに凛々子から声をかけたからで、凛々子がバイト前後の閉店時間に練習できるよう提案したら、バイトの傍らより熱心にドラム練習をする様になった。
凛々子からみても、立希ちゃんのドラム技術はすぐにでも人前でライブができると思えるものだった。
けれども立希ちゃんは不思議な子で、とても熱心に練習するのにバンドを組む様子がなかった。
どうやら中学時代にバンド活動をしていたらしく、そのメンバーが尋ねて来ることもあったのだけれども、ずっと相手にせず、もっと言ってしまえば邪険にしていた。
しかし、どんな心境の変化があったのか、今ではその通ってきていた子も含めた5人でバンド活動を始めている。
そして、そのメンバーの中に楽奈ちゃんが居るのを知って、凛々子は更に驚いた。
4)楽奈ちゃん
楽奈ちゃんは、凛々子にとって特別な存在だ。
尊敬しているギタリストで前の勤め先のライブハウスオーナー都築詩船のお孫さん。
オーナーは凛梨々子にとって正に人生の師匠とも言える人であり、オーナーが凛々子に色々任せてくれていたこともあって、楽奈ちゃんには子供の頃からちょっとした世話をしたこともあるくらい長くて深い付き合いがある。
とはいえ、楽奈ちゃんはギターにしか興味がない様なエキセントリックな子で、誰にも懐かず、けれどもギターを弾いている人のところに寄っていってはギターを貸してもらったり教えてもらったりしている、まるで気まぐれな猫みたいな女の子だ。
凛々子も勤めていたライブハウスSPACEにはいつも入り浸っていて、そんなバンドマンと交流していた。
しかし、そのSPACEが閉店してしまった時にはとても落ち込んでしまい、一時期ギターを弾くことすらやめてしまっていたらしい。
そんな楽奈ちゃんに再度ギターを持たせたのは、今年からRiNGで働く事になった凛々子だった。
詩船オーナーはSPACEを畳んでしまったけれど、楽奈ちゃんにとってこのRINGがSPACEと同じ様な場所になれば良いと思い、このRINGでギターを弾くことを勧め、楽奈ちゃんはその言葉を受け入れてくれた。
2年ぶりに弾いたその楽奈ちゃんのギターは、ギターに対する愛情が溢れ出る様なとても優しい音色で、凛々子は思わず涙ぐむほどに喜んだものだ。
しかし、そんな楽奈ちゃんもすぐにバンドを組む様子は無かった。
ギターの申し子の様な楽奈ちゃんは、長いブランクをものともせずにその凄いギター演奏をRiNGのオープンマイクで響かせて、その場にいたお客さんを驚かせた。
当然、バンドに誘う人は沢山いたけれども、楽奈ちゃんはその全ての申し出を断っていた。
楽奈ちゃんがRiNGの野良猫と呼ばれる様になったのも、そんな気紛れな彼女の行動が故だった。
きっと楽奈ちゃんはまだ少し臆病になっているのだろう。
凛々子は楽奈とバンドが組める様なメンバーが早く現れて欲しいと常々願っていた。
5)凛々子の引け目
そんな凛々子にとってとても近しい二人がバンドを組んでいる。
凛々子にしてみたら、どうしても気にかけたくなるバンドだった。
今日のライブのスケジュールに穴が空き、代役が必要になった時も、真っ先に思い浮かんだのがこの立希ちゃん達のバンドだった。
まだ結成後間も無いことは知っていたけれど、早くその演奏を聴いてみたいという凛々子の望みが先に立ち、勢いで決めてしまった面があったのも事実だ。
実際のことろ、立希ちゃん達にはかなり無理をさせてしまった様だった。練習スタジオを毎日とって練習していたことからもその大変さは伝わって来た。
こうなると、凛々子はどうしても引け目を感じざるを得ない。
今日のライブにあたっては、自ら最初からPA卓についてサウンドチェックしていたのもその為だ。
ライブが始まり、演奏始めにメンバーが緊張で失敗を繰り返した時には、内心、居ても立っても居られない程心配したものだった。
そして、ライブ後のトラブルである。
これもまた、もしかしたらこのライブを急いだ無理が起こしたことかもしれない。
そうなると、凛々子には自分にもその責任の一端があるのかもと思わざるを得なかった。
6)そよちゃん
急ぎステージ裏に行ってみると、まだメンバー達の口論は続いていた。
あの悲痛な叫び声は、最後までステージに残っていたベースの子の声だろう。確か立希ちゃんにそよと呼ばれていた子だ。
彼女は、以前からバイトをしている立希ちゃんのところに足繁く通っていた子だ。
着ていた制服からするとお嬢様学校として名高い月ノ森女子学園の生徒で、彼女自身とてもお淑やかで大人びたお嬢様らしい雰囲気を漂わせていた。
立希ちゃんは何故か彼女から声をかけられるのを嫌い、邪険にすらしていたけれども、それは以前組んでいたバンドにあまり良くない思い出があるからなのかもしれない。解散したバンドメンバーには良くある話だ。
とは言え、新しく組んだバンドの中では皆から慕われるお姉さん的な立ち位置の様だったし、今日のライブでも一番落ち着いていて、サイドギターの子がライブを止めてしまった時には咄嗟の判断で時間繋ぎのMCを務め、バンドの窮地を救っていた。
正にこのバンドの心の安らぎ的な立場だったに違いない。
しかし、そんな彼女が今日のライブの二曲目途中から明らかに様子がおかしかった。
俯き加減で顔を見せず、機械的にベースを弾いていた。ステージから降りる時も、他のメンバーが降りても微動だにせず、スタッフに促されるまで立ち尽くしていた。
凛々子はそのあまりの変化に異様さを感じていたので、何かがある予感はしていた。
恐らく「春日影」とはあの予定になかった曲で、それをやったことがそよちゃんには許せなかったということなのだろう。
ステージ裏ではそんなそよちゃんが他のメンバーを詰り非難しているが、立希ちゃんの方は相手にしていない。
明らかにそよちゃん一人が孤立しており、そこに他者が声をかけるのは躊躇われる。
すると、そよちゃんはメンバーを見限ったかの様に捨て台詞を残してその場から離れてしまい、騒動は呆気なく終了した。
他のメンバーも押し黙って控え室の方に去っていった。
一体何があったのだろう。
ただ言えることは、このバンドはまだ結成したばかりで互いの関係性も薄いだろう。それなのに、こんな風に感情的な喧嘩をしてしまうと、今後のバンド活動に影響が出てしまいそうだ。
場合によっては、そのまま解散ということもあり得る。
メンバーに声をかけるタイミングすら失い、凛々子にはただ自責の念だけが残ることになった。
第2章 幕間
1)愛音ちゃん
トラブルのあった翌週、立希ちゃんは普通にバイトに来ていた。
しかし、やはりそよちゃんの件はまだ解決していないらしく、他のメンバーが立希ちゃんの働いているカフェに集って、対策会議の様なものを始めている。
凛々子は立希ちゃんの様子が気になってそれとなく彼女の近くで作業をしていたのだが、そんなメンバー達の様子を見て少し安心する。
メンバーの中に率先して仲を修復しようとしている女の子が居る。サイドギターの、確か愛音ちゃんという名の子だ。
愛音ちゃんは、最初はバンド練習にも積極的じゃ無い様な子だったけれども、最近では生真面目な立希ちゃんの練習にも頑張ってついていってる様子だった。
先日のライブでも、最初は緊張から何回も失敗していたけれど、最後にはちゃんと演奏が出来るようになっている。
初めて会った時の彼女の言動からすると、ギター初心者の印象だった。そんな彼女がこの短期間で前回のライブで披露した様なギター演奏まで成長したのは驚異的だ。
そんな才気溢れる子がチームの人間関係を調整してくれている。
凛々子が話しかけても、臆することなく逆に質問してくるような子だ。
こんな子が居るのならば、今回のトラブルもどうにかなるかもしれない。
少し安心した凛々子は他のお客さんに呼ばれてその場を離れた。
2)燈ちゃん
更に翌週、凛々子がメインカウンターに居ると楽奈ちゃんが話しかけてきた。
どうやらバンドメンバーと音を合わせたいらしく、慣れないスマホの送信を凛々子にお願いしてきた。
楽奈ちゃんの機械不精にも困ったものだが、それよりも、楽奈ちゃんが音を合わせたいと思うメンバーが居るということに、改めて驚かされる。
楽奈ちゃん曰く「おもしれー女」が居るらしい。
それはきっとメインボーカルの燈ちゃんという子のことだろう。
凛々子が燈ちゃんと直接話したのは、先日のライブのサウンドチェックの時くらいだ。
サウンドチェックでは、緊張した彼女がなかなか歌声を出してくれず少し困ってしまった。
それ以外でも、彼女が話している様子をあまり見たことがない。
いつも何処かおどおどしていて、人と目を合わせる事もない。
彼女がバンドのメインボーカルである事を知った時は驚いたし、そんな彼女がフロントマンを務められるのかとライブが始まる時まで心配していた。
ライブの始め、燈ちゃんの声が全く聞こえて来なかった時にはその心配は的中したかに思えた。
しかし、そんな燈ちゃんは、曲の途中から変わっていった。
突然声が出たかと思えば、その声を繋げるのにも必死な感じで歌い続け、しかし、その必死さは徐々に歌への熱へと変化していった。
その歌声は彼女の内向的な性格を表す様な籠もった声なのに、一旦歌い出すとその心の熱量そのままに叩きつける強さがあった。そんな独特な歌声に感心させられる。
唐突に始めたMCも、まるで誰かに語りかける様に始まり、そのまま本心をそのままぶつける様な叫びとなっていって、そのパフォーマンス力に唖然とさせられた。
そして、予定外の「春日影」。
その演奏はギターを弾き始めた楽奈ちゃんの独断だったのか、それとも燈ちゃんの熱のせいだったのか。
燈ちゃんの、その包み込む様に柔らかな歌声で心の中の暖かさを愛おしむ様に歌い上げ、しかし同時に切なさ悲しさも見え隠れし、その感情の行き来する歌声が激しくなって聴く者の心を大きく揺さぶる。
凛々子にはまだ燈ちゃんがどんな子なのか分からないけれども、その才能は本物と思えた。
そんな燈ちゃんに、ギターの天才とも言える楽奈ちゃんが強い興味を持ち、そのバンドに居着こうとしている。
それに、考えてみれば、立希ちゃんの燈ちゃんに対する態度も特別だ。
あのぶっきらぼうな立希ちゃんが、燈ちゃんにだけはまるで慕っているかの様な態度で接している。
立希ちゃんが突然バンド活動を始めた理由は、燈ちゃんが居たからとすれば納得出来る。
燈ちゃんはそんな何処か頑なだった二人がバンドを組んだ理由になっている様に思える。
彼女は、もしかしたらあの名前の無いバンドの中心的な存在、バンドが音を鳴らす意義そのものの様な存在なのかもしれない。
3)予感
そんなことを考えた時、凛々子には少し嫌な予感がした。
もし、燈ちゃんの歌があのバンドの中心的な存在だとしたら、なぜそよちゃんは燈ちゃんがあの歌を歌ったことを強く非難したのだろう。
少なくともそよちゃんの心は、燈ちゃんよりも別の何かに強く引っかかっているのではないか。
そう考えると、今回のあのバンドのトラブルは、凛々子の予想以上に重たいものなのかもしれない。
もしかしたら、これから何か新たな事件が起きるかもしれない。そんな予感がした。
そして、その週末の日曜日のことだった。
あの真面目な立希ちゃんが、突然午前からのバイトを休むという連絡を入れて来た。
こんなことは今まで滅多に無い。
それはもしかしたら凛々子の予想が当たって起きたことかもしれない。しかし、それを確認する手段は無いし、きっと立希ちゃんは何も教えてはくれないだろう。
ただ、もし彼女たちに何かがあった時は、ちゃんと助けてあげよう。
凛々子は心の中で強く思った。
第3章 ちいさな始まり
1)申し込み
「えぇ? ライブ? ソロで?!」
凛々子は思わず大きな声を出してしまった。
目の前には、決意に満ちた表情の燈ちゃんがいる。
その燈ちゃんが、メインカウンターにいる凛々子に申し込みをして来たのだ。「ソロでライブをしたい」と。
凛々子は瞬時にこれは何かがあったと察した。
燈ちゃんはこのRiNGに居る時、いつも立希ちゃん達バンドメンバーと行動を共にしていた。
特に愛音ちゃんと離れて行動している所など見た事がない。
それなのに、そんな愛音ちゃんも側に無く、燈ちゃんただ一人がこのカウンターに訪れ、ソロのライブをするという。
燈ちゃんの表情は決意に満ちているが、同時にとても必死で、その中には深い憂いも感じ取れる。彼女に何かとても重大な事態が起きたに違いない。
凛々子は心の隅でこの様な事態が起きる事を懸念していたため、内心大きく動揺した。しかし、それを顔に出してはいけない。
この年頃の女の子達の心はデリケートだ。普段のカウンター対応でも、万が一にも否定的な意識が伝わって繊細な心が折れてしまわない様に、注意深く対応している。
そして、今回はあらかじめ彼女達のことを懸念していた凛々子にしても特殊な状況だ。
凛々子は燈ちゃんのパフォーマンスを一度しか見ていない。
本来ならば、こんな冒険的な申し込みは、そのコンセプトや動機をしっかり聞き、申込者の実力をオーディションなどでしっかり測ってから判断すべきだ。そうしないと、万が一にもライブが失敗した時に、その子の心に深い傷を残してしまいかねない。
しかし、凛々子は瞬時にライブを認める判断を下した。
あらかじめ燈の才能には並々ならぬ物があると確信しているので、オーディションをせずとも出す結論は同じだろう。
それに、凛々子は楽奈や立希を通じて彼女達の事情を知り過ぎている。
そこに特別な気遣いがあることを燈ちゃんに気付かれたら、気後れしてしまうかもしれない。
この燈ちゃんの申し込みに細心の注意を払うならば、そのまま受け入れるのが一番良いだろうと思えた。
燈ちゃんの希望は出来るだけ早くライブをしたいということだけだった。
次の定期公演の枠は既に埋まっている。
しかしオープニングアクト用の開演前予備枠になら捩じ込むことはできるだろう。
それにこの時間帯ならば観客も少なく、燈ちゃんの冒険的なライブにも丁度良さそうだ。
凛々子がその日時を提案すると、燈ちゃんは覚悟を決めたかの様に頷いた。
2)ミーティング
凛々子は次の日のライブ周りスタッフのミーティングで、燈ちゃんのライブの追加を伝えた。
立希ちゃんはカフェ周りがメインなので、この場には居ない。
「凛々子さん、この子って立希ちゃんのバンドの子ですよね?
ソロってどういうことですか?」
「それに、ソロってどんなことやるんですか? 弾き語りですか?
楽器は何ですか?」
質問が続出する。当然の疑問だろう。
「うーんとね、確かに燈ちゃんは立希ちゃんのバンドのボーカルよ。
だけど、ちょっと事情があるみたいなのよね。だからその辺りは本人にも立希ちゃんにも聞かないでおいてくれる?」
「はい」
ここにいるスタッフはほぼ全てバンド経験者だ。当然、バンド内の揉め事にも心当たりがあるだろう。素直に納得してくれる。
ただ、問題は次の質問の回答だ。
「それでね、そのライブ内容なんだけど…、
特に楽器は使わないそうよ」
スタッフが騒つく。
「え、それってどういう?
アコースティック楽器の持ち込みですか?」
「いいえ、違うの。彼女、楽器は出来ないそうよ」
「なら、音源ですか?」
「それが、それも要らないっていうの」
「え?じゃあ、そうなると、ボーカルなら、、
アカペラ?」
「…」
凛々子にもこれ以上はっきりと答えられることができず黙ってしまう。
今、スタッフから浴びせられた質問は、凛々子自らも燈ちゃんにした質問そのものだ。燈ちゃんはその質問の全てに首を振った。
そして、ただ答えた。
「歌を歌います」と。
流石の凛々子も、その時ばかりは即座にライブを認めたことに後悔したものだった。
こんなライブは前代未聞だ。限りなく冒険的で危ういライブだ。
しかしその時、凛々子の頭の中に古い記憶が甦った。
それは、ライブハウスSPACE最後の年。
そのラストライブを目指そうとした一人の少女が最初に起こした前代未聞の出来事。
凛々子はその現場に立ち会っていた。
そう、これは前代未聞では無い。
強い想いを持った者が大きな壁にぶつかった時、そんな前代未聞の様な行動は、何の変哲もない当たり前になるのかもしれない。
凛々子はスタッフに語った。
「ごめんなさいね。
実は私も彼女から歌を歌う、ということ以外は聞いてないの。
だけど、私は燈ちゃんの希望するとおりにしてあげたい。
当日は私が燈ちゃんのサポートとしてステージ周りに付くわ。
皆も、出来る限り彼女をサポートしてくれないかしら?」
「はい」
スタッフの皆も真剣な面持ちになって答えてくれる。
「ありがとうね。」
さて、これで心構えは出来た。
後は燈ちゃんをしっかり迎え入れる準備をするだけだ。
凛々子は、燈ちゃんがどの様なことをするのかを思い、一抹の不安と、それ以上に不思議と大きな期待を抱いていた。
3)開演準備
定期公演の開演前、凛々子はいつも通りの忙しさの中にいた。
今日の最初の出演者は燈ちゃんだ。
さっきRiNGに到着したとの報告も受けている。
浅い時間なので学校から直接来たのか制服のままで、着替えだけを持って来たらしい。
学生はこの時間帯だとリハが出来ない場合が多い。事前に本人にも確認してみたが、遠慮がちに辞退されてしまった。機材も無いマイク一本の公演なのでOKを出したが、ぶっつけ本番はハコ側としても結構ドキドキだ。
そして付き人は無し。
やはり一人でライブをすることに変わりは無い様だ。
立希ちゃんにはバイトをしている時にそれとなく尋ねてみたが、彼女はこのソロライブのことを聞かされていなかった様だ。
立希ちゃんには燈ちゃんと合流することを期待していたのだけれども、聞いてなかった事がショックだったのか、バイト時間を理由にして助けを申し出ることは無かった。
また、一番期待していたあの愛音ちゃんも、今では全く姿を見せていない。
当然、あのトラブルの発端となったそよちゃんも居ない。
そして楽奈ちゃんは、今凛々子の目の前に居る。
凛々子はもうすぐやってくる出演者のサポートとして舞台袖近くで作業しつつ、開演準備に忙殺されるスタッフからの質問に答え続けていた。
そんな凛々子の目の前にあるケータリングコーナーに楽奈ちゃんは居る。
楽奈ちゃんは凛々子が今日の為に置いておいた抹茶コロネに興味深々の様子だった。抹茶コロネが楽奈ちゃんのお気に入りであることは凛々子も知っている。
凛々子は燈ちゃんのことで楽奈ちゃんに声をかけることはしなかった。
楽奈ちゃんが行動するのは、いつも自分が興味を持った時だけ。
楽奈ちゃんはとても敏感な女の子だ。こちらが彼女を動かそうとして声をかけたりすれば、猫の様なきまぐれさで逃げだしてしまうだろう。
今は少しでも燈ちゃんの近くに居てくれて、彼女のソロライブに興味を持ってもらえれば充分だと思っていた。
凛々子はステージの方から呼ばれる。
燈が登壇する時間だった。
舞台袖にやって来た燈ちゃんを見て、凛々子は少し驚いた。
燈ちゃんは手に何も持っていない。
どんなに強心臓でも手ぶらでステージに上がるのは勇気が必要だろう。何かを手に持っていないと落ち着かないものだ。
しかし、燈ちゃんは決意に満ちた表情で、ただステージに立つことだけを考えている様だ。
凛々子は、そのまま燈ちゃんをステージに送り出すことしかできなかった。
4)開演
凛々子に見守られつつ、燈ちゃんはステージの中央に立つ。
今日の定期公演の告知に燈ちゃんの出演時間が載ったのはとても遅く、観客の姿もまばらだ。
燈ちゃんはスタンドからマイクを外して手に取ると、おもむろにポケットの中から、何かメモの様なものを取り出した。
(挨拶のメモかしら)
固唾を飲んで見守っていると、要らなくなったマイクスタンドを下げるスタッフがいた。
(ちゃんと指示通りサポートしてくれてるわね)と凛々子は嬉しくなる。
燈ちゃんは、緊張を抑える様に大きく深呼吸をすると、おもむろに語り始めた。
そして、その語りはそのまま止まることなく続いていき、凛々子はその違和感に気が付く。
(違う!これは朗読だ!もうパフォーマンスが始まっている!)
「センタースポット!急いで!」
凛々子は、慌てて無線で調光室に指示を出す。
ほどなくして照明が燈ちゃんを照らす。
まさか、朗読とは。
バンドでもなく、弾き語りでもなく、音楽ですら無く、たった一人の朗読でライブに臨むとは思わなかった。
しかし、燈ちゃん自身が語る様に、この朗読は彼女にとっての歌なのだろう。
そんな燈ちゃんを興味深く見つめる凛々子は、しかしそのまま朗読を聞いている暇は無かった。
心のどこかで期待していた「物音」が舞台裏から聞こえてきたからだ。ガタゴトと、何かを引き上げる音だ。
「楽奈ちゃん」
舞台裏の階段には、ギターケースを引き上げようとしている楽奈ちゃんの姿があった。
「ライブする」
楽奈ちゃんの意図は明白だ。
けれども彼女の腕力では、ギターとエフェクターボックスを階段一段引き上げるだけでも一苦労している。
凛々子はそんな楽奈ちゃんに駆け寄ると、そのまま荷物をステージ袖まで引き上げて荷を解く。
「ギター、入るわよ」
凛々子は小声でPA卓に無線指示を出しながら、テキパキとギターを取り出して楽奈ちゃんに持たせた。
「楽奈ちゃんですね。いいですよ。いつでも繋いで下さい」
PA卓からお気楽な返事がある。凛々子が信頼を寄せているベテランスタッフだ。
楽奈ちゃんはというと、まるで着せ替え人形の様にセットが終わるのを待っている。その方が早い事を理解しているからだ。
「照明もいいかしら」
「合わせてスポットで行きますね」
「それでいいわ。タイミング音始まりでね」
「OKす」
「いいわよ。楽奈ちゃん」
凛々子は楽奈と一緒にステージに出てスポットライトの下の位置に立たせ、ギターをアンプに繋ぐと小声で声をかけて袖に戻る。
楽奈ちゃんは、まるで最初からそこに居たかのように平然とした顔で、燈ちゃんの朗読に即興のギターで入っていった。
この間、約13秒。
凛々子は一仕事を終えて、深いため息をついた。
PAも照明もこの突然の出来事に、完璧な対応をしてくれた。
後で大いに労ってあげないといけないだろう。
5)天才
楽奈ちゃんの優しいギターの音色の中、燈ちゃんの朗読は続いている。
(それにしても…)
凛々子は改めて燈ちゃんの朗読を聴いて、深い感銘を受けていた。
言葉の一つ一つに感情が乗っていて、まるで剥き出しの心そのものの様だ。
それに、それらは規則性の無い言葉の羅列のはずなのに、独特なリズムがあって聴いているだけで心地良くなる。
しかしそれ以上に、それらがまったく自然な言葉として紡がれているところに、大きな驚きを感じる。
最初、凛々子達がそれをパフォーマンスだと気が付かなかった様に、まったく自然に、燈ちゃんの心そのものが溢れ出ているかの様なパフォーマンスだ。
(これは一朝一夕に出来る事ではないわ)
一体彼女は何者なのだろう。
ステージのパフォーマンスとは本来異質な物だ。
下手なパフォーマンスは、例えそれがアドリブであったとしても作り上げたものを観客に伝えるという違和感が先に立ってしまう。
燈ちゃんは手に原稿を持っているし、それは作り上げたものの筈なのにその違和感が全く無い。
とても自然なものとなっている。
事実、これを聴いている観客は、その声に吸い込まれたかの様に、この朗読に聞き入っている。
それは、この朗読が演者の心その物の様に自然に感じられているからだろう。
こんなにも自然な朗読が出来るという事は、この台詞を何十回、何百回と繰り返し練習して来たということなのか。
いや、違う。燈ちゃんがこのライブを思い立ったのは数日前のはずだ。
もしかしたら、燈ちゃんにとってこの言葉達こそが当たり前のモノなのでは無いか。
彼女の心の中では、その思考の全てをこの様な言葉に変えて、この歌う様な言葉達を無限に集めては、常にその無数の言葉等の中に揺蕩っているのではないか。
凛々子は、知らず、ぞくりと身震いした。
「彼女、ホンモノの天才なのかもしれないわね…」
6)天才二人
そして、そんな燈ちゃんの朗読に、楽奈ちゃんがそっと添えるように優しいギターをつま弾いている。
凛々子は、今、燈ちゃんに感じた感覚と全く同じモノを、子供の頃の楽奈ちゃんに感じたことを思い出す。
子供の頃の楽奈ちゃんは、オーナーにくっついて来てはライブハウスSPACEに入り浸っていた。
その目的は、ライブハウスに来るバンドマン達からエレキギターを触らせてもらうこと。
小学生だった楽奈ちゃんは、親から中学に入るまで電気を扱うエレキギターを禁止されていたが、本人にとってその禁止事項は従い難いものだったようだ。
自分なりの解釈をして、バンドマンからコードの挿してないエレキを貸してもらっては、いつも練習していた。
バンドマンの方もそんな楽奈ちゃんが可愛くてギターの弾き方を教えたりしていた。
とは言え、そんな音の響かないギター練習は、少しおままごとじみた行為でもあった。
そんなある日。
それは楽奈ちゃんの中学校入学式の日のことだった。
凛々子がSPACEの開店準備をする為に早めに店に着くと、中から詩船オーナーのギターが聴こえてきた。
こんな時間にSPACEの鍵を開けて、ミラキュラスカーレットのギターを完璧に掻き鳴らすテクニシャンはオーナー以外に考えられない。
しかし、そのギターはあまりにも激しく、無邪気とも言えるほど楽しそうで、何時ものオーナーとはイメージが違い過ぎてもいた。
〔一体どうしちゃったのかしら)
少し失礼な事を考えつつ凛々子がSPACEに入ると、そこには驚愕の光景があった。
ステージの上でこの激しいギターを鳴らしているのは、今中学校の入学式に出ているはずの小さな楽奈ちゃんで、それを詩船オーナーと楽奈ちゃんのお母さんの詩さんが見守っていた。
「オーナー、これは一体…?」
「私の一番のギターを取られたよ」
確かに楽奈ちゃんが弾いているのは、オーナーのギターの中でも一番古いギターで、ミラキュラスカーレットの詩船がここぞとという時に使っていた伝説的なギターだ。
ぼやく様に呟くオーナーは、しかしどこか嬉しそうでもあった。このギターをこんなにも楽しげに鳴らせる存在がいて、それが自分の孫娘だからだろう。それはとても心温まる微笑ましい事だ。
しかし凛々子としては、聞きたかったことに答えをもらっていない。
昨日までの楽奈ちゃんはエレキギターを一回も鳴らしたことが無かった筈だ。
それなのにこれは一体どういうことだろう。
まさか、あのおままごとの様な練習でこんなにもエレキギターを操れる様になれるのだろうか。
いや、確かに楽奈ちゃんがエレキギターにこだわってアコースティックギターに触ってこなかったので、そのギター技術を見損ねていたという事はあるだろう。
しかし、それでもエレキギターをここまで完璧に操れる理由にはならない。
エレキギターは純粋に楽器の反応があってこそ技術を獲得できるものと思える。
その反応が無いまま練習するには、実際の演奏者の動きを完全にコピーしてその音を空想しつつ自身の技術にしていくしか無い。しかしエレキギターの繊細な指捌きでそんな事が本当に出来るのか。
凛々子にとっては、常識が音を立てて崩れ落ちる様な体験だった。
そんな凛々子が天才と認める二人が揃ってステージに立っている。
その事実に凛々子はなにか運命的なものを感じざるを得ない。
7)運命
(考えてみれば、楽奈ちゃんがギターを一時止めていた本当の理由は、孤独だった)
楽奈ちゃんはギターが本当に大好きだった。
けれども、そんなギターにのめり込んだ天才少女は、その心を共有できる存在がオーナーしかなく、常に孤独を感じていたらしい。
自分には好きなギターとおばあちゃんだけが居れば良い。
それはその当時の楽奈ちゃんの本心だったかもしれない。
けれども、そんな頑な心はいつしか楽奈ちゃんを押しつぶし、ギターそのものも嫌いにさせてしまうかもしれない。
そうならない為に、楽奈ちゃんが固執しているライブハウスSPACEから引き離す必要がある。
凛々子は、詩船オーナーからSPACEを閉じる理由の一つとして、そんな話を聞いていた。
そして、楽奈ちゃんはその後二年近くギターに触らなくなった。
それはきっと、既にギターと共にある孤独が辛く感じ始めていたからだろう。
そして、二年の月日が経った後に、凛々子は楽奈ちゃんに声をかけ、楽奈ちゃんは凛々子の言葉を受け入れてギターを再開した。
再開した楽奈ちゃんのギターの音色は、かつて無かった優しげな音色を伴っていた。
それは長い孤独を経験したからこそ、生まれたものだろう。
そして今、楽奈ちゃんはそんな優しいギターの音色を、何処か楽奈ちゃんと似通った心を持ち、孤独にステージに立つ燈ちゃんの、その朗読にあてている。
まるで全てが引き寄せられたかの様に、この一瞬のステージに集約している。そんな風に感じられる。
この二人の天才の出会いは、まるで運命の様だ。
そんな運命的な流れの中に、凛々子自身も知らぬ間に組み込まれている。
そんな不思議な感覚すら覚え、凛々子は天才二人のパフォーマンスを見守り続けた。
第4章 拡大
1)ライブ後
気がつくと、燈ちゃんの朗読は終わっていた。
このライブを見ていたまばらな観客も暫くは呆けていたが、朗読の終わりに気がつくとパチパチとまばらな拍手が響く。
誰もが、今起きた事をどう評価して良いのか分かりかねている様だった。
かく言う凛々子も同様だった。
本来ならすぐ次の準備を始めなければならないのに、ステージ上の二人に意識が行き動けずにいる。そんな中、楽奈ちゃんが何も無かったかの様にステージからはけ、燈ちゃんも、客席から起こった拍手を予想してなかったのか驚く様子を見せると、自分のしたことが申し訳ないといった態でそそくさとステージからはけて楽屋に去って行ってしまう。
ここにいたり凛々子も呆けてはいられない。次のライブの準備に取り掛かる必要がある。
しかし、その前に、凛々子は一つやらなければならない事があると気がついた。
「少しここ外すわね。すぐ戻ってくるから皆は次のライブの準備に入ってくれる?」
スタッフの返事を確認すると、凛々子はメインカウンターに向かう。伝言を一つ残しておく必要があるからだ。
ホールのまばらな観客もざわざわと今の出来事を話していたが、次のライブを観に入って来てくる客も増え始め、その中に紛れていく。
そうしてやっと、ホールにはいつもと同じ雰囲気が戻りつつあった。
2)ミーティング2
その後の定期公演は何時もと変わりなく進み、恙無く終了した。
そして、終演後に行っている次の定期公演に向けた定例スタッフミーティングに、今日のスタッフが集まった。
ところが、このミーティングがいつもとは様子が違っていた。
通常は単なる引き継ぎ会議なので、参加者も関係者のみになるのだけれど、今日の参加率はこの時間まで残っているホールスタッフ100%だったからだ。
しかし、その理由は分かっている。皆、今日のライブの感想を共有したいのだ。勿論、その対象は燈ちゃんのライブだ。
「こんなの、私、初めてです」
「あれはポエトリーリーディングっていうんですか?」
「あの野良猫ちゃんがステージでライブするの、初めて見ました」
「なんだかあの後、心が掴まれた感じがして、仕事に集中するのに大変でした」
皆、口々に燈ちゃんのステージの感想を言い合う。
スタッフはみんな女の子だが、現役のバンドマンも多い。ポエトリーリーディングを聴いて知ってるいる子もいる筈だが、やはり珍しいのだろう。ましてやこのRINGで演じられるのは凛々子の知る限り初めてだし、それもギター伴奏のみの朗読はかなり特殊と感じた筈だ。
「凛梨々子さん、あの子凄いですよ。あの朗読は完全にパフォーマンスとして成立してました」
皆の興奮が少し落ち着いた頃合いで、珍しくこのミーティングに残っているベテランスタッフからもこんなセリフが出る。
皆が凛々子の反応も知りたいらしい。視線が自分に集まるのを感じる。
「そうね〜。
けど、まずは打ち合わせの方を片付けましょうか」
凛々子ははぐらかす様に、少し強引に通常のミーティングの話に引き戻す。
明らかに皆が落胆する様子がある。ちょっと意地悪が過ぎたか。しかしそれには理由があった。
「今日入った予約はないかしら?」
「あ、あります。
そ、その…、高松さんが帰り際に、ライブ開催の申し込みをしに来ました」
今日のメインカウンター当番の子の言葉に、皆がまだ騒めく。
「それで?」
「高松さんの希望は、空いている日に出来るだけやりたいということだったので…、
その…、凛々子さんに言われた通り、月末までの空いてる日に全部予約いれちゃいました。
全部で六公演です。
あのー、これ、本当に良かったんでしょうか」
「オーケーよ」
皆が更に大きく騒めく。
「凛々子さん、これって…」
「聞いての通りよ」
凛々子は皆に説明する。
「今日の燈ちゃんの朗読を聞いて気がついたの。彼女、恐らく今後何回も今日の様なライブをするつもりだったわ。だから、それを全て受ける様に事前に伝えておいたのよ」
皆は少し唖然としてる。
「それで、予約を入れた時間はどの辺りかしら?」
「えっと、今回のライブと同じ様にOA枠なら空いているので、それで揃えました。燈ちゃんもそれで良いとのことでした」
「まあ、そうなるでしょうね。けど、後半の日程なら他に空いてる時間帯もあるんじゃないかしら」
「そうですね。もっと下の時間帯も空いてます」
「なら、時間変更してもらおうかしら。日程の後半になるにつれて下の時間帯にしたいわ」
凛々子がどんどん話を進めるので、皆がまだ少し状況に追いついてない様子がある。
凛々子は更に説明する。
「私は今日の燈ちゃんのライブを観て、今後、彼女の事をプロデュースしたいって思ったの。
だから、彼女がやりたいライブはどんどんやって欲しいし、それをライブハウスとして手助けしたいと思っているわ。
もしかしたら、皆もそう思ったから、今日ここに残っているんじゃないかしら?」
「…そうです」
そう答える皆の嬉しそうな顔を見渡して、凛々子はにっこりと微笑んだ。
3)プロデュース
「ライブハウスの仕事は、単にライブする場所を提供するだけじゃないわ。ライブしたい人を見つけて出演を依頼するのも仕事だし、才能有る演者の人気が出る様に様々なサポートをすること、つまりプロデュースすることも仕事よ。
このRiNGはとても恵まれていて、ライブをしたい人が沢山集まって来てくれるし、そんな人達は自分自身でやりたい事も沢山あるから、何時もはこちらのサポートも微々たるものね。
けれども、今の燈ちゃんは状況が違うわ。
あの子は、恐らく独りぼっちでこのライブを思い立ち、その朗読以外には何も用意していないでしょう。
あの才能に見合ったセルフプロデュースが出来るとは思えない。もしかしたら、そのまま埋もれてしまうかもしれない。
けれども、それは私達RINGにとっても大きな損失だと思ってる。
私はあの才能を世に送り出す手助けがしたいの。みんなにもそれを手伝ってもらえないかしら」
凛々子は努めて冷静に、事務的に話したつもりだったが、その内容に熱いものが篭ってしまっているのを自覚した。
スタッフのみんなからも少し高揚している様子が伝わってくる。
「やらせてください」
「何からやれば良いかな?」
「RINGのSNS記事なんてどう?」
「私書く!」
「えー私も書きたい」
「一号店の子達にも伝えたいよね」
「張り紙なんてどう?」
皆が一斉に意見を出し合う。
凛々子はそんなみんなの様子を見て、一旦はみんなの自主性に任せよう考える。
ここにいるメンバーがこれだけの想いを持っていてくれるだけで充分だろう。
恐らくは、この子達の口コミだけでも、このプロデュース活動は充分効果を上げるかもしれないと思えた。
とはいえ、皆には一つ認識しておかなければならないことがある。
4)燈ちゃんの願い
「いっそ、本人に承諾を取って店の公認にしたらどうですか?」
そんな意見まで出てくる。この質問は皆に認識して欲しいことを話すのにちょうど良い。
「ふふ、そうね。私もちょっと考えたわ。
けど恐らく、それは本人が断るでしょうね」
凛々子は少し考えつつ答える。
「みんなには一つ認識しておいて欲しいことがあるわ」
少し神妙な顔を作り、改めて皆の顔を見渡す。
「燈ちゃんは、恐らくあのソロの朗読を、やりたくてやっている訳ではないと思うの」
凛々子の少し意外な言葉に皆が静まる。
「それはあの子の朗読を聴けばわかるわ。
あの子は元のバンドメンバーに戻って来て欲しいという意味を、あの朗読に込めている。
燈ちゃんの願いはバンドの復活であって、彼女自身がソロとして認められたいと思っている訳ではないのよ」
この言葉を聞いて、みんなはどう感じるのだろうか。
多くが燈ちゃんのバンド仲間への思いの強さを認識し、より好意的に感じた様だ。
「燈ちゃんは、恐らくバンドのことを第一に考えている。けれどもそのバンドは、今、危うい状況にある様だわ。そんな中では燈ちゃんも一人でバンドのことを決めてしまう事は出来ないでしょう。あくまでバンドが元に戻ることを待ってる。
それまでは、このプロデュースもRINGが独自に行なっている行為にしておく必要があるわ。「燈ちゃんの公認」を取ってる訳では無いということは認識しておいてね」
「わかりました。あくまで私たちは足長おじさんの役割な訳ですね」
凛々子が少し冗談めかして釘を刺すと、皆もその立ち位置に納得し、逆にその企みが嬉しそうですらあった。
凛々子には、あと一つみんなに伝えたいことがあった。
「それと、この燈ちゃんの願いを考えた時に、あともう一つ、ライブの際にやっておいて欲しいことがあるの。
「なんですか?」
「今日の楽奈ちゃんの登場の仕方は覚えてる?」
凛々子は少し苦笑気味にため息をつき、みんなを見渡す。
そして依頼する。
「燈ちゃんのライブの際は、いつでも他のメンバーが入れる様に、レンタルの楽器をセッティングだけしておいて欲しいの」
ここまでくると、もう完全に悪ふざけの領域だ。みんなも少し呆れている様子すらある。
しかし凛々子には何か予感があった。このセッティングが必要な時が来ると。
そして、ひと時の間をおいてスタッフのみんなもこの悪ふざけに乗ると決めたらしく、大いに頷いてくれたのだった。
こうして、この日のスタッフミーティングはいつもよりも遅くの時間まで、熱く語り合う場となっていた。
5)連続ライブ
次の公演から、燈ちゃんの連続ライブの続きが始まった。
二回目は初回ライブと同様に、残っていたオープニングアクト用の臨時枠で。
楽奈ちゃんは、今回はちゃっかりと最初から来ていて、前回と同様に燈ちゃんの朗読にギターを合わせていた。
観客はというと、初回に比べると少し多めではあったが、まだまばらという印象だった。
三回目。
この日の燈ちゃんは、初めてオープニングアクト枠から外れ、トップバッターの次の枠に収まった。
こうなるとホールの雰囲気はかなり変わる。
トップバッターは一定の人気があるバンドだ。当然そのバンド目当てのファンが集まった後となり、ステージ転換で人が出ていってしまうかどうかで、ホールの客数が変わる。
しかし、その客の内かなりの数がホールに残り続けて、燈りちゃんのステージとしては前回の10倍近い観客がステージを待っていた。
これは、もしかしたらRiNGのプロデュースの効果が出始めているからかもしれない。
その光景を観て、燈ちゃんもかなり戸惑っている様子だった。
また、この日の燈ちゃんにとって、もう一つ気がかりなことがあるだろう。
それは、楽奈ちゃんが居ないということ。
楽奈ちゃんは前回も打ち合わせをせず、気がついたらその場にいた。
そして、そんな気まぐれさのままに、今回はステージに立ってない。
ステージの燈ちゃんも何処となく心細そうだ。
しかし、それでも燈ちゃんは時間になったら初回と変わらずに朗読を開始した。
その朗読は、正に燈ちゃんの心を表している。調光室にいた凛々子には、以前の燈ちゃんよりも孤独がより強調されている様に感じた。
6)孤独
そんな折、凛々子は人の気配を感じて振り向き驚いた。
「楽奈ちゃん!」
楽奈ちゃんが凛々子の隣にいて燈の朗読を聴いている。一体何故ここにいるのか。
「楽奈ちゃん。ライブはいいの?」
「いい」
楽奈ちゃんは無表情のまま燈ちゃんのライブを見下ろしていて、その真意を掴む事は出来ない。
「けど…」
「ギター要らない」
凛々子が言い募ろうとすると、そんな事を言う。見ると楽奈ちゃんの様子は何処か寂しげでもある。
「もしかして、燈ちゃんの朗読はギターがなくても成立してるってこと?」
「そう」
これはどう言う事だろう。
楽奈ちゃんは燈ちゃんを「おもしれー女の子」と言い、一緒にやるのがとても楽しそうだった。
けど、その燈ちゃんの朗読が完成されているから参加しない?
燈ちゃんの朗読を、その才能を認めたから参加する必要がないと思った?
「それは違うわよ、楽奈ちゃん」
凛々子は大きな驚きを感じつつも、楽奈ちゃんに諭す様に語りかけた。
恐らく楽奈ちゃんは、今、生まれて初めて自分と対等の存在を、燈ちゃんに感じている。
詩船オーナーに憧れてギターを知り、しかし早熟の天才ギター少女となった楽奈ちゃんは、ギターを通じて心を通わせる存在が、オーナー以外に居なかった。
その孤独はギターに触れなくなった2年間も続いていた。
そんな彼女が、ギター弾きでは無いものの、初めて他人の才能に興味を持った。
それは長年の孤独を癒してくれる存在と感じたに違いない。
そして、長年求めていたが故にその存在が大きく感じられ、どう接して良いか分からなくなっているのではないだろうか。
自分が自分と対等の心を持たない存在に興味が無かった様に、自分が燈ちゃんから必要とされないかもしれないと、不安を感じているのかもしれない。
楽奈ちゃんに、そんな心が芽生えているかもしないという事に、凛々子は大きな驚きと喜びを感じる。
「燈ちゃんの朗読を聴けばわかるでしょう?
燈ちゃんはまたみんなと一緒にライブをしたいと歌っているわ。
それはライブの完成度とは別の想いだし、そんな想いが生み出す歌は、きっと何よりも良いものになるわ」
楽奈ちゃんはじっと燈ちゃんの朗読を見ている。
「それになにより、楽奈ちゃんは燈ちゃんと一緒にライブがしたいんでしょう?」
その言葉を受けて、楽奈ちゃんは、はっと凛々子の顔を見つめ直すが、すぐに燈ちゃんの方を向く。
その乏しい表情からはっきりとした事は分からないが、凛々子の言葉から何かを感じた様だ。
「どうする?参加しにいく?」
「いい。今日はこのまま聴く」
楽奈ちゃんはその後もじっと燈ちゃんの朗読を見つめ続けたが、そこにはもう寂しげな雰囲気はなかった。
その次の燈ちゃんのライブからは、楽奈ちゃんの姿が必ずあった。
楽奈ちゃんは、この時初めて本当の意味でバンド仲間を見出したのかもしれない。
それは、凛々子にとって、何よりも嬉しい事だ。
凛々子は、この燈のバンドへの想いが、そこに心を寄せている楽奈ちゃんの為にも、どうか形になって欲しいと、より強く思う様になっていった。
7)勧誘
燈ちゃんの朗読ライブは、その回を重ねる毎に、大きな話題になっていった。
最初は物珍しさもあっただろう。興味本位で気安くホールに入っていく者もいた。
しかし、一旦燈ちゃんの朗読を聴くと、誰もがその世界観に呑み込まれていった。
そのポエトリーリーディングは、このRiNGに足を運ぶほとんどの少女等にとって初めての体験だったのかもしれない。感受性の強い彼女達は、燈ちゃんの朗読に深く感化され、涙を流す者すらいた。
こんな大きなムーブメントになるとは、それを推し進めようとしていた凛々子としても、想像もしていなかった事だ。
それはとても喜ばしいことではある。
しかし、同時に凛々子はもどかしさも感じていた。
何故なら、この成功は燈ちゃんの本来の目的であるバンドメンバーの復活に、まだつながっていないからだ。
特にもどかしいのは、同じRiNG内にいてカフェのバイトに入っている立希ちゃんの存在だ。
当然、立希ちゃんの耳にも、燈ちゃんと楽奈ちゃんの活躍の噂は入っているだろう。それなのに立希ちゃんは動かずにいる。
凛々子は、燈ちゃん達二人のライブが軌道に乗ってきたこともあり、ライブのサポートはスタッフに任せ、久しぶりにカフェの当番を務めることにした。勿論、その時間帯には立希ちゃんもバイトに入っている。
凛々子は、燈ちゃん達のライブが始まる頃合いに、さりげなく立希ちゃんに参加しないのか尋ねてみる。二人のライブがこれだけ話題になっているのなら、逆に何も訊かない方が不自然だ。
しかし、立希ちゃんはまだ頑なだった。
明らかに二人のライブを気にしているのに、それを表に出さない様に強く意識してる様だった。
と、そこにギターを担いだ楽奈ちゃんが突然現れて二人を驚かせる。
もう既に燈ちゃんのライブの開演時間は過ぎている筈だ。
楽奈ちゃんはおもむろにカフェのカウンター内に居る立希ちゃんに近づくと、一言「ギターやって」と言い、バイトをしている立希ちゃんの腕を掴んで連れ出そうとする。
(ナイスよ、楽奈ちゃん!)
凛々子は心の中で楽奈ちゃんに賞賛を贈る。
もどかしく思っていたのは凛々子だけでは無かったと言うことだ。
当然、バイト中の立希ちゃんはそれを理由に抵抗しようとする。
しかし、それを凛々子は許さない。
「あぁー、大丈夫だよぉ」
凛々子は努めてお気楽に、立希ちゃんにOKをだした。
立希ちゃんは凛々子の言葉に意表を突かれたらしく、気の抜けた所を楽奈ちゃんに腕を引かれ、カフェから連れ出されてしまう。
凛々子はそんな二人を笑顔で見送った。
8)静寂
今、RiNGの中は静かだ。
誰からも注目されるライブがあると、ホールに人が集まり外のロビーから人が消える。
そうなると、ホールの中の緊張感が伝わるのか、一時、RiNG全体が静寂に包まれる。
凛々子はRiNGのこの瞬間が好きだ。
ホールの中では充実したライブが開催されていることだろう。それは、ライブハウスとして一番の目的でもある。
今、このライブハウスRiNGは、最も充実した時間を過ごしているといえるだろう。
凛々子は思う。
ここに至る迄紆余曲折はあったものの、もしかしたらRiNGとしてやれる事はやり尽くしたのかもしれない。
勿論、ホールでライブをしている彼女たちの目的はまだ達成に至っていない。
けれども、その目的が果たされる場所として、ライブハウスとしてはもう出来上がっていると言える。
凛々子には、この状況を作り出した大きな流れの至る結末が、もうすぐそこに迫っている様に感じた。
それはもう次のライブかもしれない。
そんな予感すら感じていた。
最終章 詩超絆
その日の燈ちゃん達のライブは、定期公演のトリだった。
ホール内には、他の誰でも無い、燈ちゃん達を目当てとする観客が多く残り、ライブを心待ちにしている。
凛々子はステージ袖からメンバーを見守っていた。
いつも通り、燈ちゃんは何も手に持たずにやってきて、リハーサルもやってない。
楽奈ちゃんも、いつも通りふらっと現れて、気がついたらギターを用意して、フラフラと身体を揺らしてライブが始まるのを楽しみにしている。
前回から参加した立希ちゃんは、今回は最初から現れ、凛々子に会釈してからステージに入り、ドラムに座ると燈ちゃんの様子をじっと見守っている。
そして、今回は新たなバンドメンバーの参加者がいた。あのサイドギターの愛音ちゃんだ。
愛音ちゃんは一番最後に現れると、少し気まずそうにメンバーに笑いかけて、燈ちゃんとも目を合わせる。
きっと、この二人にも何かがあったのだろう。
しかし、そんな二人も含め、ここにいるメンバー全員はどこか吹っ切れた様子があった。
あとは最後の一人、そよちゃんが今はどうしているのか。
そんな事を考えている時、突然、観客の騒めきが大きくなった。
ステージを見てみると、さっきまでいた燈ちゃんの姿が無い。どうやらステージから観客の方に駆け降りた様だ。
これはある意味、ライブハウスにとっては緊急事態だ。何があったかと凛々子は緊張する。
そんな中、騒めく観客の中から、燈ちゃん以外の叫ぶ声が聴こえてくる。この声はそよちゃんだ。燈ちゃんが観客の中にそよちゃんの姿を発見して駆け寄ったらしい。
凛々子は、ライブハウススタッフとして、出演者である燈ちゃんの安全確保のために駆け寄りたい衝動を堪える。
どうやら燈ちゃんは、そよちゃんを強引にステージ上にひっぱりあげようとしているらしい。
ならば、これは燈ちゃんにとってパフォーマンスと同等以上の行為だ。スタッフが口出しする事はできない。
全くもって、あらかじめ用意していたアレが役に立つとは。
楽奈ちゃんが凛々子の元に駆け寄ると「ベース貸して」と言ってくる。
用意していたレンタル用のベースを楽奈ちゃんに渡すと、楽奈ちゃんは満足そうにそれを持って、今、ステージに引っ張り上げられたそよちゃんに歩み寄り、押し付ける様に渡した。
ついに、ステージ上にバンドメンバー全員が揃った。
こうなると、今まで見守ってくれていた観客からも、期待のこもった歓声が沸き起こる。
楽奈ちゃんがギターを奏で始める。
燈ちゃんはそよちゃんの手を掴み、気がついたら既に朗読を始めている。
それに呼応する様に立希ちゃんのドラムも響かせる。
愛音ちゃんはというと、そよちゃんの手にあったベースを一旦受け取ると、ストラップをセットして優しく掛け直してあげている
そんなメンバー達の様子を呆然と眺め、ステージ上から動けずにいるそよちゃん。
しかし、その肩には既にベースがかかっている。
メンバー全員のライブ準備は完了した。
楽奈ちゃんのギターのハウリング音が鳴り響く。
これから、燈ちゃんの想いが紡いだバンドのライブが始まる。
それは、何も無いところに燈った、たった一つの小さな想いから始まった、奇跡の様なライブだ。
凛々子は、そんなライブを見届けるべく、ステージ上の少女達を見守り続けた。
終わり
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