「ゲマニョ幽霊」という呪法劇を観てきた話
こんにちは、青木です。
先日、劇団おぼんろ「ゲマニョ幽霊」の試験公演に行ってきました。
★いつもなら公演がすべて終わった後に「ここがすごかった」「ここが見どころ」「劇版と原作では~」等をツイッターやnote書くのですが原作の性質上、ラマエの掟にのっとり劇の内容の一切を伏せて紹介していこうと思います。
〇ラマエの掟
このお芝居、観劇にあたりこのような条件が設けられています。
これを破ると「呪法劇に用いる儀式が上手くいない」とか、はたまた「呪われる」「狂い死ぬ」とか言われているみたいです。
ボクの見た回では昼ということもあり、なにもなく作品鑑賞が出来ましたが劇団さんの観劇前の雑談では、参加する人の感想によってやはり「いっていることが違う部分が表れる」とのこと。
これ以上は、ボクは禁忌にふれてしまうことになるので言えません。
だけど、口外はできないけどみてほしい。出来れば現地で観てほしい。
どうすれば伝えられるのかボクは考えました。
―そうだ、今回登場するラマエの文献は口外できないけど、今回演目を演じる劇団さんやラマエの文献が生まれた近辺の年代の本の歴史を通して「まじやべぇから見て」ということでロマンと恐ろしさと伝えよう。
ということで、感動の思いが冷めないうちに書きました。
〇【劇団 おぼんろ】とは…
ファンタジーですが「正義が勝って悪は成敗されました!」というものではなく、「すごい、きれい、面白い」だけでは終わらない、劇団おぼんろさんもとい末原さん独自の世界観で描かれる作品が大きな特徴です。
まだまだ観劇した作品数は少ないひよっこですが、地元で公演があった末原さんの「HangarBoy~月が死んじゃうときの音~」で初めて末原さんの書いた作品を観た時の、「色」の表現(※実際に色を使っているわけなく、登場人物の視点でセリフとして出てくる色を使った描写)に頭をぶん殴られ、これははたしてハッピーエンドなんだろうかと締め付けられるなんとも言えない気持ちにおもわず涙が出たのを今でも覚えています。当時、学生だったのでおぼんろさん独自ののチケット料金設定に助けられつつ、追うように地元で行われる公演を見に行ったのもいい思い出です。
ボクが「現地で見て!」というのはおぼんろさんのこのようなこだわりがある劇団さんという部分もあります。
今回の「ゲマニョ幽霊」上演のために設けられた芝居小屋も「え、こんな場所で演劇するの…?どうやって…??」と思うような場所でした。
本当は具体的に「どこがいい」「ここが最高」といいたいことはたくさんありますが警約書にサインをしてしまったので言えません。2月に本公演があるので「ためらってる人や気になってる人はぜひ行ってほしい」としか言えません。苦しい。
公演時間は2時間ほどといわれますが【2時間が溶ける】ように消えます。
青木の体感時間は30分でした(※個人の感想)
好きな方はとことんはまる、そんな魅力を持つ劇団さんです。
○1600年代ごろの書籍と呪物の関係
そんな多くの魅力を持つおぼんろさんが上演する「ゲマニョ幽霊」。
【1600年代に残された伝説的な文献】をもとにラマエ・ダバースクの呪法劇を再現しようという試みのもと行われました。
「うさんくさい」「科学が未発達の時期のものだろう?ないないww」と笑う人がいるかもしれません。しかし、この16世紀もとい中世の本ってわりとぶっとんだ文化があった時代でした。堅物の司書課の教授がちょっと楽し気に「ブックカース」の話をしてくれたのを思い出しながら紹介します。
背景としては当時の本の希少性が関わっています。
14世紀から18世紀にかけて活版印刷が定着する以前は「本を手に入れる=書き写す」という手段しかありませんでした。そのため冊数も少なく、貴重であったため、「貴重な本をたくさん所蔵している図書館は権力の象徴」ともされていました。
そんな貴重なものなので「本の窃盗」もたびたび起こっていました。
そのため、本に鎖を付けていて管理をしたり、巻頭に「この本盗んだらお前に呪いがかかるからな(だから盗むなよ)」と本そのものに呪いをかける【=ブックカース】ということもありました。
また、「人間の魂を述べるならそれを閉じるには人間の皮膚がいい」という狂気じみた理由で生まれた人皮装丁本。これが生まれたのもこの中世あたりらしいです。海外の博物館では今も現存する書籍が保管されているのだとか…。錬金術もまだ信じられていた時代でもあったらしいので、人間の想像力と狂気が入り混じった時代だったんだなと思っています。
でも、本は生まれるだけでなく世相、宗教、社会運動…「歴史から消される」こともありました。世界史にでてくる「焚書」であったり、文学史に残る規制による発禁、現代における有害図書指定による絶版なんかのイメージです。
本泥棒か誰かによって盗まれたのか、それとも誰かに消されてしまったのか、なぜ情報という情報が残っていないないのか…。「本が残っていない」という事実やまだ具体的に解明されていない謎に満ちた本はタイムカプセルのようなロマンをたくさん持っています。
今回もととなったラマエの文献もきっとそんな荒波多き時代のなか生まれたのだと思うととても感慨深いですね。
【※あくまでも、ここでは「史実が残っている16世紀頃の本の歴史の話」をしているだけですからね。ラマエもといラマエの作品がこれに該当するかはわかりません。劇団さんも「ほぼ現存の資料が残っていない」といわれていますし、もしかしたらまったく関係ないかもしれません。そう、あくまでも、これはボク個人の妄想です】
〇ラマエ・ダバースクの呪法劇…
そんなロマン多き時代に生まれたラマエの演劇ですが、ボクが言えることは
あれは残しちゃいけない。あの時代の中では消すべきだった。
消えずに存在していたなら、多分今頃この世界の均衡が狂ってる。
おぼんろさんだからこそ現代で上演できたといっても過言ではない。
ラマエが上演にあたり、あんな不可思議な掟を設けたのも納得でした。
今回は劇団さんサイドが会場も、情報も、そして脚色した脚本や演出も、ラマエの掟にのっとり、上演が終わるまで細心の気を張っていたり、ルールを守って観劇した参加者さんだったからこそ、現時点ではラマエが生きていたころに起こったといわれている悲劇がおきていないのだと思います。
1月は2月より公演数が多くなるみたいです。
…いったいどうなるんでしょうか。悲劇が起きないことを祈ります。
超個人的な尺度でいうと、そんな恐ろしさも持ちえながらもそれ以上に人を魅了する力があり、「招待状が届いたところから観劇後まで最高の背徳感が味わえる」そんな作品でした。
迷ってる方はぜひ。
DVDもでるそうですが行ける方はぜひ現地をおすすめします。
ただし、何がおこっても【自己責任】ですが…。
それではまた…。