父とバスケと私 #Bリーグオールスター
「チケットを買ったから、バスケの試合を観に行こう」
3〜4年くらい前だっただろうか。正月休みに実家に帰った時に、突然父に誘われた。どうやら、地元である横浜のチーム、「ビーコルセアーズ」の試合のチケットを2枚「買った」らしい。
父は昔から不器用である。性格は真面目。責任感があり、物静か。いい意味でハイコンテクストなコミュニケーションが得意なのだが、悪い意味で言葉が足らない。物事の過程を話さないタイプの父に育てられたおかげで、人が本当に言いたいことを想像するスキルを鍛えられたと思う。
冒頭の「買った」も、過去形なのだ。バスケの試合を観にいかない?とかではなく、すでにチケットを買ったから行こう、なのだ。
正月に実家に帰ったものの、特にやることがなかったので、急ではあったがこれを機にバスケの試合でもみてみようと思った。会場は家から割と近かったため、電車に揺られながら会場へ向かった。
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「ジェイソンウォッシュバーンって選手が格好良くて...」「川村がすごく得点を取るのがうまくて...」「細谷のゲームメイクが...」
電車を乗っている時に、やけに饒舌に語る父親が印象的であった。きっと生真面目な父は、きっとこの日のためにチームのことを徹底して調べたのであろう。私は妙に「ジェイソンウォッシュバーン」という言葉の響きが印象に残り、熱くバスケを語る父の言葉をBGMにしながら携帯で調べると、なんと同い年であったことに驚いたことを今でも覚えている。
私は正直父のことは苦手であった。両親が共働きであったため、幼少期をおばあちゃんの家で過ごした結果、一時期おばあちゃんが自分の母親だと勘違いしていた時があった。
毎週の土日におばあちゃんの家に会いにくる父親。会っている時間が短いせいか、どこか他人のように感じていた。土日はおばあちゃんの家を離れ自分の家に帰る必要があったが、父に手をひかれ帰るのが本当に億劫であったと思う。
反抗期になってから、おばあちゃんの家から自分の家に帰りたくなく、父の前で「絶対に帰らない」と反抗した。困った父は、少し考えた後で、「1年に土日は何回あると思う?」と言われた。キョトンとする私に対し、「120回だ。だから、帰るぞ」と言われた。
当時の私は、その言葉の裏側を察することができなかった。なぜ我が子を帰らせようと諭さなければいけないのか。帰るのが普通なのではないか。土日の回数というそれっぽい論拠を伝えなきゃいけない寂しさと、今の状況を変えることができないという、どうしようもなさ汲み取ることができず、「120回って結構あるだろ!!」と、余計に反抗したことを覚えている。
それから、父との仲は良くならなかった。中学、高校時代は、ほとんど会話していないと思う。その頃は、仲が良くないというよりは「どう接していいかわからない」という気持ちだった。1週間に2回しかまともに顔を合わせない間柄だったため、お互いに何を話していいかわからない。
当時、私もかなりひねくれていた。話しかけてくるものなら、「普段会っていない人に言われたくない」と返事していた。
今考えれば、相当ひどい言葉だ。社会人になってからわかったが、仕事をしながら子供の相手をすることはきっと難しい。仕事に時間を使えば使うだけ、子供との時間は減る。一方で、子供は子供で成長をする。このトレードオフは、親にとって正直かなり難しい出来事だと思う。
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長い時間がたち、ようやくまともに会話したのは、私が大学受験に落ちて浪人が決まった時だ。両親と二人。初めて対面でリビング座って話した。まさか自分がレールから外れるなんて。努力の神様から見放されるなんて思っていなかったから、恥ずかしいくらいに泣いた。そして、一緒に泣いてくれた。とても恥ずかしかったが、同時に安心感もあった。
ただ、そこからの関係性は嫌悪感から「恥ずかしさ」に変わった。普段会って来なかったがために、何を話せばいいかわからない。わからないから、微妙に会話のパス回しがうまくいかない。なぜか、改めて会話をすることが妙に恥ずかしかった。
そんなこんなで、大学を卒業し、社会人になりしばらくした後、実家に帰った正月に、なんの兆しもなくバスケに誘われたのであった。
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初めてバスケの会場に入る。スポーツ観戦は野球しかしたことがなかったが、バスケの会場は、たくさんの音が鳴り響いていた。
ティップオフの前には、チアリーダーたちが軽快な音に合わせ踊り、会場を盛り上げる。サッカーで言うところのサポーターは、ブースターと呼ぶらしい。ビーコルセアーズの選手が音に合わせ出てくる。あ、あれがジェイソンウォッシュバーンか。会場に着く前に、携帯の画面上にいた選手たちが、目の前にいる。
試合が始まると、とても驚いた。お互いのチームがバチバチにせめぎ合う。すごいスピードで攻守が入れ替わる。オフェンスとディフェンスの時に、会場のBGMが変わり、ブースターはそれに合わせて声援を送る。何と言うか、息つく暇がないのだ。展開が早く、激流のように早いバスケットボールの試合展開に、私は魅了された。
ビーコルセアーズは細谷を起点にパスを回した。彼は、隙があれば3ポイントを狙える選手だ。自軍のゴールから、相手のポイントガードのディフェンスを躱し、ハーフコートを超える。そこから一瞬動きが止まり、パス先を探す。ボールが向かう先は、川村だ。オフェンスマシーンという異名を持つ彼はゴールに対する嗅覚が高い。相手のディフェンスをすぐに躱し、スリーポイントを狙う。惜しくもボールはリングにあたり、空中に止まるボールに選全員の視線が集まる。空中戦を制し、そのままボールをゴールに叩き込んだのは、ジェイソンウォッシュバーンだ。
それから、お互いにボールを奪い合いつつ、攻めては攻め合う、スピード感のある試合展開となった。私は言葉を発することも忘れるくらいに、選手の素早い動き、パス回し、ゴールに結びつくまでに練られた一人一人の動き、戦略性に魅了されていた。
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あっという間に試合が終わった。試合は、ビーコルセアーズが接戦を制した。新年早々に勝ち試合を観ることができ、何となく縁起がいい気分となった。感動をそのままに、父に感想と連れてきてくれた感謝を述べる。
こんなにバスケの試合が面白いなんて、正直想像もしたことがなかった。外はすっかり夕暮れになっていた。外は寒かったが、試合を観戦した興奮で、どこか温かい高揚感に包まれていた。
そういえば、父とは試合中一切話さなかったことを思い出した。お互いに試合に集中していたために、会話を忘れていたのだ。集中すると、周りのことを一切気にしなくなる。
そういうところは親子ともに似るのだなと、少し他人のように感じていた父親を近くに感じていた。そして、一度熱中したものにはとことんのめり込む性格も、父に似ていたことに初めて気づいた。こんな父とも、意外と、共通点があったのだ。
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あれからもう4年が経つ。
実家に帰るたびに、タイミングが合えばビーコルセアーズの試合を観に行くことが、父と私の定例会となった。バスケの試合に行く道と帰り道に、お互いの近況を話す。試合中は一切会話をしないが、終わった後はお互いに試合について語り合う。何かを通して、会話が生まれる。同じ趣味を通じて、近況も語り合う。そんなパス回しを、今でも続けている。
当時、バスケ観戦の世界に引きずり込んでくれた選手たちの大半は、チームを去って他のチームで活躍している。会話のきっかけをくれた当時の選手たちは、私にとって今でもオールスターだ。でも、新たな若いメンバーたちが躍動し、新たなビーコルセアーズを創り上げている。これからの活躍に、期待をせずにいられない。
試合に取り組む姿から、人の関係性にまで影響を及ぼす選手には、尊敬の念を抱く。今年、オールスターゲームが中止になったように、このご時世で試合を続けること、試合へのモチベーションを保つことは難しいかもしれない。でも、続けてほしい。バスケによって、会話のパス回しがうまくなった家族がここにいる。父と私の間を、バスケットボールがつないでいく。