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この1曲をこそ‥‥ ティム・バートン『ビートルジュース ビートルジュース』

 ティム・バートンは大好きな監督だけれども、どうもこの21世紀に入ってから(つまりこの24年ぐらい)はわたしには「イマイチ」という作品がつづいていて、特に『アリス・イン・ワンダーランド』で打ちのめされてからは彼の作品を観る気も失せてしまっていたし、公開作も減ったので、彼の映画を映画館で観るということは永らくなくなってしまていた。
 それが今年になってあの『ビートルジュース』の続篇が公開され、アメリカでもけっこう好意的に迎えられていたようで、「やっとティム・バートンも復活したか。もともと『ビートルジュース』は好きな作品だったし、ぜひとも映画館で観てみよう!」と思っていたわけだったのを、ようやっと映画館で観てきた。

 やはり前作で輝いていたウィノナ・ライダー、そしてマイケル・キートンがまた出演しているのがうれしいところだったが、ウィノナ・ライダーは前作のティーンエイジャーがそのまま純粋培養されて年齢を重ねたという感じでまったく違和感はなかったし、マイケル・キートンももう70代になっているとはいえ、あの白塗りの「ビートルジュース」のメイクだとさすが妖怪。前作との差異など感じさせないのだった。まああんまり飛び回るようなアクションは若い俳優にまかせてはいたけれども。
 あと、前作でウィノナ・ライダーのお母さん役だったキャサリン・オハラもまた、同じ役で登場していた。

 ストーリーは前作(1988年)から35年後の設定で、リディア・ディーツ(ウィノナ・ライダー)は前作後結婚してアストリッド(ジェナ・オルテガ)という娘があるけれど、夫はすでに故人である(南米でピラニアに喰われた?)。その霊感を生かされ、今はテレビのオカルト番組のホストをやっている。なお、その番組のプロデューサーのローリー(ジャスティン・セロー)はリディアの今の恋人らしい。
 それでビートルジュース(マイケル・キートン)はいまだバイオ・エクソシスト業をやっているようだが、彼も過去にドロレス(モニカ・ベルッチ)という死後の世界の妖怪(?)と結婚していたが、ドロレスはよくわからんがその身体をバラバラにされて「死体置き場」のようなところに葬られている。そのドロレスが、自力でバラバラの自分の身体のパーツを寄せ集め、ホッチキスでとめて「再生」するのである。
 ビートルジュースはまだリディアにご執心のようだが、「ビートルジュース」と3回唱えて呼び出してもらえないことには姿をあらわせない。そんな死後の世界にはウルフ・ジャクソン(ウィレム・デフォー)という刑事もいて、ビートルジュースを狙っている。
 一方、リディアの母のデリア・ディーツ(キャサリン・オハラ)の夫もまた、乗っていた旅客機が墜落、その後サメに喰われて死んでしまっている。
 さらに、リディアの娘のドロレスはウチの近くでジェレミーという「イイ感じ」の青年と出会うのだけれども、実はこのジェレミー、死者の世界のヤバいヤツなんだけれどもね。

 こうやって生者と死者、そして死後の世界の妖怪連中が入り乱れて物語が動き出す。
 むむ、それでも映画の前半はそんなシチュエーションの説明とか、物語が動き出す前の展開がおとなしめというか、イマイチ「こりゃおもしれえや」という感じでもなく、「ああ、ティム・バートンの復活はまだだったか」という感想。

 しかし映画は後半に突入。ついに「ビートルジュース、ビートルジュース、ビートルジュース」と3回唱えられてビートルジュースがリディアの前に登場。ここからはついに生者の世界と死者の世界が入り乱れて、わたしの期待した「めっちゃ楽しい世界」へと突入してしまったのだった。いやあ、1時間待った甲斐がありました。わたしの好きなティム・バートンの世界でした。

 さてここから先は、そんな後半の面白さを書いていくよりもただ一点、かなりニッチではあるけれど、わたしがいちばん気に入ったシーンのことを書かせていただきます。
 それはもう映画のラスト近く、リディアとローリーとの結婚式の場面のことで、ここで使われる音楽が、名優として知られたリチャード・ハリスがそのキャリアでただ1曲大ヒットさせた曲、「マッカーサー・パーク」なのであった。実はわたしはこの曲のシングル盤を持っていたほどに好きだった曲で、曲の展開はもちろん、カラオケで歌えるぐらいにその歌詞も熟知しておるのだった。
 それが前作『ビートルジュース』であの「バナナボート・ソング」でわたしを爆笑させてくれたことの「続編」といっていいのだろうけれども、出演者らが口パクで歌詞に合わせ、しかもその歌詞の内容(けっこう変な歌詞である)が微妙にそのシチュエーションに合致していたわけで、わたしはここでこらえきれずに爆笑してしまった。
 それでこの曲には途中になぜか歌のない、アップテンポの間奏がはさまれているのだけれども、その間奏のところでウィレム・デフォーがまるでスパイのように墓場を疾走して来て、さらにわたしを大笑いさせてくれた。

 これはあとで帰宅してからネットで調べたんだけれども、ティム・バートンは自宅にジュークボックスを持っていて、そのジュークボックスの中にこのレコードもセットされているのだということ。そういうことでなぜか、この曲をこの映画に使おうとしたらしい。
 つまりわたしには大爆笑のシーンで、わたしにはもうこのシーンだけでこの映画は「大傑作」といってしまうのだけれども、しかししかしこの日本で、この「マッカーサー・パーク」という曲を知っている人などほとんどいないことだろう。あとの時代にドナ・サマーがこの曲をカバーしてヒットさせたので、そっちを知っている人はいくらかいるかもしれない。そのドナ・サマーのヴァージョンも映画の中で少し使われていたが。
 あ、その「マッカーサー・パーク」の歌詞、映像付きのクリップをリンクさせておきましょう。この映像(イラスト)がまさに「ティム・バートンの世界」ではないか、というところもあり、この映画のシーンも思わせられ、「この映画にピッタリではないか!」と思う方もいらっしゃるのではないだろうか?

 ということで、自慢じゃないけれども、わたしはこの映画のこのシーンの面白さを、ほとんど「特権的」に享受したのではないかと思う。ふふふ、いやあ面白かったんデスよ。
 

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