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『蛇の道』(2024) 黒沢清:脚本・監督

 黒沢清は久々にフランスで映画を撮る機会を得て、1998年に哀川翔香川照之出演で撮ったVシネマ『蛇の道』(脚本:高橋洋)を、フランスを舞台としてリメイクすることを選んだ。
 哀川翔の役を柴咲コウが演じ、香川照之の役はダミアン・ボナールが演じた。スタッフと大半の出演者は皆フランスの人々で、ただ西島秀俊心療内科医の柴咲コウの患者として、青木崇高柴咲コウの元夫役で出演していた。

 ちょうどわたしは、先日YouTubeで配信されていた1998年版『蛇の道』を観たばかりだったから、まだしっかりとこの新作『蛇の道』と比較することもできた。
 舞台がパリになって、主人公の一人が女性に変わった(その職業も変わった)ことは大きな変化だけれども、ダミアン・ボナールの娘を殺した犯人を3人まで突きとめて拉致してくる展開は、旧作とほぼ同じ脚本で進行したようではあった。しかし前作で、塾で物理数学を教えていた哀川翔がみせた「異次元ホラー」のような展開も凄かったわけだけれども、今回柴咲コウを囲む世界はどこまでも柴咲コウの「復讐」に染められた世界で、その復讐は想像もしなかったところまではみ出して増殖していくようで、久々に黒沢清の作品で「怖い!」と感じさせられる作品ではあった。

 この作品で惹かれるのはまず、何といってもヒロインの新島小夜子を演じた柴咲コウの演技にあることはまちがいない。
 黒沢清監督は作品ごとに日本を代表するような女優を使いつづけてきて、その新しい魅力を提示してきたのだけれども、この『蛇の道』のように、ただ「復讐」に染まったヒロインというと、過去では『贖罪』の小泉今日子のことが思い出される。
 その『贖罪』の小泉今日子もまた自分の娘を殺害され、そのときに犯人の顔を見ているはずの娘の同級生らに、何年にもわたって「贖罪」を迫るという、こわいドラマではあった(そう、この『贖罪』、本来5話からなるテレビドラマだったのだが、フランスでは編集されて前・後編とされて映画館で公開され、前後編合わせて17万人の観客動員となるヒットを記録していたのだった)。

 この『蛇の道』の中で、娘の殺人犯としてさいしょに拉致されるマチュー・アマルリックに「蛇のような眼だ」といわれる柴咲コウ、まさに蛇のように低体温だが執念深い、冷酷な復讐者像をつくり上げていて見事だった(ラストの、ラップトップ越しにこちらを凝視する彼女の眼が忘れられない)。

 旧作で香川照之が演じた、実は小心者で「無実」ではない男を演じるダミアン・ボナール、この人は先日『12日の殺人』でちょっと話題になったドミニク・モル監督の、その前の『悪なき殺人』に出演していたのを観て記憶していたが、この方はウェス・アンダーソンの『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』にも出演されていたようだ(この作品にはマチュー・アマルリックも出演されている)。『悪なき殺人』でも、ちょっと屈折した人物を演じられていて印象に残っていたが、この作品でもその終盤で、見事な「屈折」ぶりをみせて下さった。

 旧作では「コメットさん」という黒幕らしい女性も登場して、この新作では「そのあたりどうするのだろうか」とみていたら、終盤に舞台が廃絶された遊園地へと移動し、「さすがに黒沢監督、こういうところは徹底しているなあ」と思っていたら、そこで黒幕として「デボラ」という女性の存在がほのめかされ、おお!「コメットさん」は「デボラ」だったのか!などと思ってしまったのだが、そこから意外な「火の粉」がダミアン・ボナールに降りかかってくるのだった(「意外」でもないのだが)。

 西島秀俊青木崇高も、柴咲コウの「どこまでも拡がる」復讐心をサポートしてあらわす役として重要、ではあったし、ラストの青木崇高の「え? 今、何か言った?」のセリフには震えた。
 あと、やはり書いておきたいのは、あの名優マチュー・アマルリックが「嬉々として」死体を演じている場面の楽しさ、だっただろうか。
 

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