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晩秋の白磁

詩人  石田 瑞穂

 ふだんづかいの酒器のとりあわせは、四季を問わず、盃は古唐津、徳利は古備前であることがおおい。しかし、春と秋には、気分を変えて写真の盃で呑む一夜もある。
 晩秋になると、この磁州窯白磁盃で呑むのだ。盃が内在させている季というものは、興いもので、この盃は秋の初めでも冬になってもいけない。
 中国河北省磁州でいまも焼かれている陶器は、有色のやや砂っぽい胎土に白化粧土をかけたもので、そのおおくは巧緻な鉄絵や彩色を施されている。ほかに白土や黒釉を掻きおとし文様を表わしたもの、緑や青の釉をかけたり多彩多様な工芸を育てた窯都でもある。品幅も食器、花器、祭器、寝具など廣い。技術力の高い官窯で初源は北宋王朝に遡る。日本古窯のような登窯ではなく、平地に築かれる円窯で、燃料に石炭をつかうことから炭鉱の傍に造築されたことも特徴だ。
 数年前、香港のアンティークショップで、高価な鉄絵魚藻蝶文枕をみかけた。尾鰭を袖のように優雅におどらせ黄河を泳ぐ草魚は、言葉通りの流麗な筆致でいきいきしていた。

磁州窯白磁盃(元王朝時代 13〜14世紀)
磁州窯白磁盃(元王朝時代 13〜14世紀)

 その磁州窯の無地盃を手にしたのはコロナ禍で、デザイナーあがりの骨董商からだった。元代の作、という。中国語が甚能で、ガイドもなしにバックパックひとつで現地入りし、京橋や堺の有名古美術店のために買付などもしていた。
 その眼とともに、無欲な御仁で、一流店のバイヤーにも拘ず、自分自身の出展では発掘ものの龍泉窯陶片や地中海の素焼壺、中東の古裂など素直な品物ばかり愛しそうに列べている。その眼はたしかで、骨董市でもファンがおおい。値付も安価なので、これといった獲物を逃した買物客が、なんとなし手にとり、つぎつぎ買っていく。ぼくもそのひとりだった。

 伝世品とおぼしき古盃は、轆轤の成形や高台まわりをみても上手といっていい作行で、粘土も精良である。器容もこのうえなくシンプルであり、まっさらで初い白磁盃だった。ぼくも若いころは中国を旅したが、黄砂の色を湛えた白磁がなつかしくて、もちかえった。ところが、永年の未使用のせいか、まさに砂が水を吸うように酒を吸い、砂漠のうえの雨雲のようにみるみるシミが湧いて艶めく器肌になった。瓢箪から駒というか、素直だけが取り柄の無欲な盃が、伝世品の李朝粉引盃に化けた、そんな得をした気分になった。
 すこし肌寒く、乾いた空気に光が澄みわたる晩秋。とろりと輝る土肌に新酒を注ぐと、盃の水面がいっそう澄み映える。サイズも持ち手も丁度よく、高台に右小指をかけて呷ると、太古の中国の土にふれる感触がある。口縁もぴんと張って、うすく滑らかに整ってい、呑み口や佳し。和陶器ともちがう、仙人か騎馬遊牧民の壮大な酔心。

磁州窯白磁盃と小山冨士夫作「黒地白徳利」(1960年代作、黒田陶苑旧蔵)

 そういえば、中国古窯に傾倒した陶芸家小山冨士夫は、晩年、無地の磁州窯盃を愛用していたとか。また、冨士夫が生涯愛した色絵牡丹文陶片も金時代の磁州窯のものである。そんなこともあって、晩秋と爛春には、冨士夫作の徳利ととりあせて呑んでいる。その風趣は太古の酒盛りのよう、と、独り楽しむ。

写真 鈴村 奈和

〈CROSSING LINES連載エッセイ 「眼のとまり木」 第18回〉

執筆者プロフィール

石田 瑞穂(いしだ みずほ)

詩人。最新長篇詩集に『流雪孤詩』。
国際ポエトリィ/ポイエーシスサイト「crossing lines」プランナー。

公式ホームページ「Mizuho a Poet」

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