えいがのゆめ / the dream of theater

田澤敬哉

高校生の頃の私にとって、東京は映画を観に行くところだった。それだけのために存在する都市だった。私は埼玉で育ち、県内の、周りを田んぼや畑に囲まれた高校に通っていた。近場の映画館はシネコンばかりで、過去の名作やミニシアター系の映画を劇場で観るには、東京に出るのが手っ取り早かった。お金のなかった私は主にレンタルビデオ屋で旧作を漁る日々を過ごし、ときどき映画館に足を運んだ。放課後に行くこともあったし、学校を休んで行くこともあった。早稲田松竹、新宿バルト9、シネリーブル池袋などがお気に入りだった。渋谷のシネマライズも、一回行っただけだったが、席の感じがとても好きだったのを覚えている。たしか、岩井俊二「ヴァンパイア」を観に行ったのだった。閉館してしまったときはもっと通っておけばよかったと後悔した。朝起きてから夜寝るまでひたすら映画のことばかり考えていた。授業中は机で死角を作って、iPhoneのメモアプリにいつか撮りたい映画のプロットを書き込んでいった。一番前の席でも平気でそんなことをしていた。当時はバレていないつもりだったが、まず間違いなく教壇からは見えていたのだろうなと思う。新宿や高田馬場で映画を観た帰りは、池袋のジュンク堂に寄って映画にまつわる書籍を読んだり買ったりして帰った。ポール・トーマス・アンダーソンとポン・ジュノがヒーローだった。ニコラス・ウィンディング・レフン「ドライヴ」に熱狂した。吉田大八「桐島、部活やめるってよ」は三回観に行って三回とも泣いた。ソクーロフ「ファウスト」やタル・ベーラ「ニーチェの馬」でうとうとするのは気持ちよかったし、ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」「エル・スール」の二本立てはとても美しかった。退屈な生活が、聞き慣れない固有名詞で彩られていった。世界にはよくわからない映画がごまんとあって、そのわからなさに沈んでいくのが心地よかった。わからなくても鳥肌は立って、涙は出て、そのことの不思議に、神秘に、取り憑かれていた。東京に行けば、いつだって夢が観られた。

三年生になると、受験勉強に集中するため映画を観る頻度を減らす必要があった。一月と二月はiPhoneを押し入れに封印して、勉強漬けになった。無事に合格し、追えていなかった映画関連のニュースを遡っていると、フィリップ・シーモア・ホフマンの訃報が目に留まり、そのときなにかが、自分の中で、ぽきん、と折れたような気がした。大学に入るとあまり映画を観なくなった。そのかわり、何人かの大切な友だちに出会った。現実は現実でじゅうぶんおもしろかった。映画を観るためだけに東京に行くということも、ほとんどなくなった。東京という都市は、その頃にはずいぶんと身近な存在になっていた。バイトを始めたこともあって、気軽に遊びに出かけられるようになったからだ。現実逃避的な意味合いはもはやなくなっていた。そもそも逃避するべき現実がなかった。それは喜ばしいことだった。

大学二年の夏、渋谷にある映画学校の、フィルムで五分間のサイレント映画を作る二週間の短期講習に参加した。あまり映画を観なくなってはいたが、それでもまだ、自分にはこれしかないのだという思いが燻っていた。結果的に、とても楽しい二週間となった。こんなに楽しいことがあるのかと思った。それなのに次の一歩が踏み出せなかった。怯んでしまったのかもしれない。あの頃の気持ちは、もうあまり鮮明じゃない。

高校生の頃のことを思い出そうとすると、真っ先に浮かんでくるのは学校のことではなく、東京の映画館の情景だ。廊下に貼られた大量のチラシ。手書きのポップ。古めかしい券売機。トイレ待ちの行列。席を確保するために置かれたしわしわのジャケット。しょっちゅう持ち込んでは音を立てないよう注意して食べたスニッカーズの味、粘ついた食感。そこで観たたくさんの映画のこと。なにを観て、どんなことを感じたか。そんなことばかり覚えている。埼玉の田舎から東京の映画館へ向かう電車の中で過ごした静かな興奮のひとときを、はっきり覚えている。私は高校が好きじゃなかった。実行はしなかったが、何度やめたいと思ったかしれない。映画がなかったら苦しくてしょうがなかった。埼玉から東京へと電車に揺られ、日常から映画の世界に逃避することが救いになっていた。私にとって映画は夢だった。それ以外の仕方で関係を築けたらよかったが、できなかった。ずっと映画の中にはいられなかった。始まりがあれば終わりもある。スクリーンの映像は、客の感傷では停められない。待ったなしだ。夢は必ず覚めてしまう。映画の夢、そして東京の夢から覚めた私は、なぜだか小説を書くようになった。映画監督になりたかった十代の頃の私には想像もつかないだろうが、現状、こんなことになっている。そしてそれを、いまの私はとても気に入っている。小説もまた私にとっては夢なのだろうか。いまはまだわからない。夢の中にあっては、それが夢だとわからない。あの頃、授業中に書き溜めたいくつものプロットは、いまでもiPhoneのメモアプリに保存してある。最下部に積み重なったまま、かたちになるときを待っている。いつまでもそのままかもしれない。未来のことはわからない。過去のことも、実はあまりわかっていないのかもしれない。

2021 3.18

***
英訳:小泉由美子


the dream of the theater

by Keiya Tazawa
translated by Yumiko Koizumi

For me, in high school, Tokyo was the place to see a film. It was a city that existed only for that purpose. I grew up in Saitama prefecture and attended high school there, surrounded by rice fields and farms. There was only a multiplex theater, so I preferred Tokyo to see old masterpieces and independent films. Lacking money, I usually spent my days in hunting down old films in a rental shop; sometimes I went all the way to the theater. Sometimes I went after school; sometimes I cut school. Wasedashochiku, Shinjuku Wald 9 and Chine Lievre Ikebukuro were my favorites. I still remember the Cinema Rise in Shibuya, a place I had visited only once, and its seat quality was very good. Perhaps this was when I went for Vampire by Shunji Iwai. Hearing it had closed down, I regretted that I hadn’t gone there more often. From morning till night, my head was completely occupied with movies. While in class, secretly using my iPhone memo app under the desk, I scribed the plots of movies I imagined I’d make some day. I was in the front row of the classroom, but I didn’t care. At that time, I thought the teachers didn’t notice, but in hindsight, I think they definitely saw what I was doing. After watching films in Shinjuku or Takada-no-baba, I would stop by Junkudo in Ikebukuro to read or buy movie-related books. Paul Thomas Anderson and Bong Joon-Ho were my heroes. Drive by Nicolas Winding Refn made me crazy. The Kirishima Thing by Daihachi Yoshida – I saw it three times; I cried three times. I was happy to be sleepy by Faust by Sokurov and The Turin Horse by Béla Tarr; and the double bill, The Spirit of the Beehive and El Sur by Víctor Erice, was very stunning. My boring life became ornamented with unfamiliar pronouns. There are countless strange movies in the world, and sinking down into such strangeness felt so good. Unfamiliarity thrilled me; the tears flowed; and this wonder, this mystery, haunted me. Every time I went to Tokyo, I watched a dream.

In my third year of high school, to study hard for the college exam, I had to restrain myself from indulging in films. In January and February, my iPhone was locked in a closet while I immersed myself in studying. Upon passing the exam and catching up with movie-related news I had missed, I caught sight of Philip Seymour Hoffman’s obituary. Something cracked, at this point, within me. When I got into college, I no longer watched movies very often. Instead, I created significant relationships with some of the people around me. Reality was good enough as reality. I rarely visited Tokyo just to see a movie. Tokyo as a city became a much more familiar entity; I began a part-time job and went there with ease. It was no longer essential for me to escape from reality. Rather, there was no longer a reality that I needed to escape from. It was a good thing.

In the summer of my sophomore year in college, I joined a two-weeks seminar to make a five-minutes silent film at a film school in Shibuya. Although I came to see fewer movies, I could not help but feel, for me, I had nothing but this. It turned out to be a fun two weeks. I thought things couldn’t get any better than this. Nonetheless, I wasn’t able to take one more step. Maybe I was afraid. What and how I was feeling in those days has already faded.

Upon recalling my high school days, what first springs to mind is not school but the memories of the theater in Tokyo: the myriads of fliers on walls, the handwritten captions, the old-fashioned ticket vending machines, the queue for the toilet, the rumpled jacket reserving a seat, the taste and sticky texture of the Snickers bar I would bring with me and eat with care to avoid being noisy, the many movies I saw there. What I saw, how I felt, there are the sort of things I remember vividly. I vividly remember the moment of serene passion I spent on the train, traveling from countryside of Saitama to theater of Tokyo. I didn’t like high school. Not sure how many times I thought of dropping-out, though I never followed through. Without movies, I would not have been able to endure that. The clickety-clack of the train from Saitama to Tokyo, escaping from an ordinary life to a world of theater, led to my temporary relief. For me, theater was a dream. Had I been able to build a relationship otherwise would have been good, but I couldn’t. I couldn’t remain within the theater for good. Everything has a beginning; everything has an end. A Viewer’s sentimentality cannot stop the screen. Time was up. I had to wake up from this dream – the dream of theater, the dream of Tokyo. I waked up. And then, somehow, I started writing a novel. When I was teen dreaming of being a film director, I never imagined such a change. But now, this is real. And I’m in the present, it feels good. Is a novel just a dream for me, too? I’m not sure yet. Within a dream, nobody knows it is a dream. The plots compiled in class back in those days are still in my iPhone memo app. In the depths of it, they’re waiting for the moment to take shape. Perhaps they’ll remain unshaped forever. I don’t know the future. Perhaps I don’t even truly know the reality of the past.

2021/3/18

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