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séi - watcher 064 セツとの対話 1

   セツとの対話 1

 一通り連絡事項やニュースをチェックし終えた私は、然と周さんとその担当医の行動記録にざっくり目を通して刹さんの様子を窺った。
 落ち着かない様子で何度か寝返りを打っている気配を感じていたのだが…、やはりまだ寝付けずにいるらしい。

 行動記録に不審な点は無いか、もう少しじっくり調べたいところだけれど…刹さんに根を詰めないよう言われてしまった手前、今はこれ以上深追いはできそうにない。
 このままでは私も落ち着けず眠れないだろうから、こんな時の為のいつものアレを作るとしよう。

「眠れないですか?」
 結局、寝付けていない私を見兼ねてか、フリージアさんに声を掛けられてしまった。
「今日も色々あったので…頭が追い付かないです。」
 私は困り顔のまま体を起こし、フリージアさんの後を視線で追った。
 本棚に圧倒されて気付いていなかったけれど、入り口近くに小さい台所があったようで、フリージアさんは冷蔵庫から牛乳パックを取り出してマグカップに注ぎ、電子レンジの摘《つま》みを少し調節して、カップを二つ温めた。
 ちょいちょい、とフリージアさんが小手招いているのでベッドから出て寄ってみると、蜂蜜が入ったボトルを渡された。

「好きなだけ、入れて良いですよ。」
「あったかはちみつミルクですね…!」
 刹さんは蜂蜜のボトルを手にすると、全てを察したように目を輝かせた。
 これで彼女の緊張がいくらか和らぐと良いのだけれど。
 少なくとも、嬉しそうに蜂蜜を入れているその表情からは、緊張は読み取れなかった。

 刹さんが蜂蜜を入れている間に、私の分のホットミルクにシナモンパウダーを入れて、ティースプーンを取り出す。
「嫌いでなければ…シナモンも入れると美味しいですよ。」
「シナモン好きです!今日喫茶店でシエンさんにシナモンスティックの使い方を教わりまして…」
 連鎖的にシエンさんの事を思い出して憂える気持ちが溢れてしまったのだろう、浮き浮きとしていた刹さんは萎《しお》れるように俯《うつむ》いてしまった。

「シエンさんなら大丈夫ですって。私だって心配なんですよ。でも行き過ぎた心配は相手の可能性を否定する事になりかねませんから。…私とロビンさんの遣り取りは見てましたよね、私達はシエンさんともあんな感じで仲良しなんですよ。その仲良しが言う事を、今は信じて貰えないでしょうか。」
 ロビンさんが腕組みして頷いていたのを思い出す。
 ロビンさんは…シエンさんの強さを信じているからこそ、動揺も無く当然の事のように振る舞っていたという事なのか。
「…わかりました。私も、信じてみます。…良いですね、信じられる関係って。親友とか、家族みたいです。」
「家族…そうですね…、そんな感じかもしれません。刹さんの事も、少し歳の離れた妹のように思ってますよ。」
 フリージアさんは蜂蜜を加えたミルクをくるくると掻き混ぜながらそう言うと、ベッドの端に腰掛けて一口飲んだ。
「えへへ…、嬉しいです」
 フリージアさんが同じように思ってくれていたのが嬉しくて、照れくさくて、マグカップで顔を隠すようにシナモン入りのホットミルクを味わった。

「ねぇ、刹さん。喫茶店では何を飲んだんですか?話の続きを、良かったら聞かせてください。」
 私は、外の世界をまだ怖いと思っている。
 でも、刹さんが今日の出来事を楽しそうに思い出しながら話し始めた様を見て、純粋な興味で尋ねていた。

 刹さんは時折言葉を選ぶように言い澱《よど》みながら、それでも楽しそうに今日の出来事を話してくれた。
 食べ盛りな年頃なのもあってか、刹さんは夕食以外もよく食べていたみたいだ。私がそんなに食べたら、絶対太ってしまう。

 話を聞く内に、話題は周さんとシエンさんを心配するものへ変わっていった。
「あのお二人はいつもああなんですか…?」
 細かく二人の遣り取りを聞いた訳ではないけれど、周さんがシエンさんをからかっているのが目に浮かぶ。
「シエンさんがピリピリしている時に限って、周さんは余計なちょっかいを出すんですよ。報復を喰らうのが目に見えてますのに…」
「それは…周さんは、張り詰めたシエンさんを和らげる為にしてるみたいです。…確かに、煽っているようにしか見えませんけど…」
 そんな風に考えた事は無かった。裏目に出てしまっている事が多い気はするけれど…。少し、彼を誤解していたのかもしれない。
「そうだとしたら…周さんは思慮深い方なのかもしれませんね。」
「そうですね、私にとっては先生みたいな存在です。まだ摑めていない感覚も解りやすく教えてくれるんです。駄目な事もちゃんと教えてくれて…叱ってくれる人がいるのって、有り難い事ですよね。」
 刹さんはそう言うと、じっと私を見て嬉しそうに微笑んだ。
 厳しい言い方をしてしまった私を許すようなその表情に、私は少し照れくささを覚えつつも嬉しくなって、微笑み返した。

「ここに戻ってくるまで…大変でしたね。皆さんが無事で何よりですわ。」
 何事も無かった訳ではないが、改めて思い返してそんな感想が漏れた。
 外の世界は梅雨入りし、雨が降り続いている。
 ずぶ濡れだった刹さんが、ここに来るまで猫の姿で駆けてきたとは、俄には信じられない。
「…本当に、猫になれるんですか?」
 私がもし猫になれたら。…そんな夢想をするなんて、いつ以来だろう。
 本当になれるのだとしたら見てみたいし、どんな感じなのか聞いてみたい。
 そんな私の中の幼心を窘《たしな》めようとした結果、潜《ひそ》めた声で尋ねてしまっていた。

「あ…。何でなれるのかはわかりませんけど、なれちゃいます。」
 刹さんは困惑した様子で視線を外しながら答えた。
 私の興味の視線を感じ取って目を合わせた刹さんは、両手を頭の上に添えて、私達以外誰も居ないのに声を潜めて、
「周さんに怒られちゃいますから…内緒ですよ?」
そっと、添えた手を放した。

 そこにはさっきまで無かった筈の猫耳が、あった。
「…っ!殺人的な可愛さですわ…!」
 胸を締めつけるようなこの衝動は、『萌え』以外の何物でもない。

「あのっ…本当に内緒ですよっ、はうぅ…」
 あまりの可愛さに手が伸びて、猫耳の質感を確かめるように刹さんの頭を撫でていた。
 ツヤツヤの毛並みで、耳の付け根辺りは少し温かく感じる。
 刹さんは心地良いのか、目を細めて撫でられるがままになっている。

 完全に猫の姿になってはいないのが少し残念だ。けれど、刹さんが話してくれた周さんの説明の通りなのだとしたら、人型に戻れなくなるリスクもあるのだ、無理強いはできない。
 刹さんが口を開くまで、私は幸せな感触に浸っていた。

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