séi - watcher 086 浮き立つ楓
浮き立つ楓
私は然と連れ立って食堂に赴くと、真っ先に食器返却口近くに居たロビンさんに声を掛けた。
「ロビンさんっ、私、思い出しました!」
「あら、本当?良かったわね!」
ロビンさんは驚きながらも破顔した。
「改めまして、私、楓と言います。今晩は手合せよろしくお願いします。」
私は嬉しくて最敬礼よりも深くお辞儀をした。
「ふふふ、楓ちゃんね。ぴったりな名前だわ。」
「楓は強いぞ、油断するなよ。俺から一本取ったからな。」
然はニヤニヤしながら私にトレーを渡してくれた。
「あっ、有り難うございます…、あれはズルしちゃったんで取ったとは言えないですよぅ〜」
「いいんじゃない?狡い方が生き残れるわよ。」
返却口の食器やトレーを纏めながら、ロビンさんもニヤリと笑った。
「この後楓の親と少し会う事にしたから、待たせるかもしれないが、構わないか?」
「ええ。そっちの方が大事よ、構わないわ。アタシはそろそろ上がるから、遅くなるなら端末に連絡ちょうだい。」
「相わかった。」
ロビンさんは然の返事を聞くと、纏めた食器を持って奥の洗い場へ行った。
然に視線を戻すと、然もトレーを持って何を食べようか見ているようだった。
「然も食べるんですか?」
お菓子は食べていたけれど、然が食事しているのを見るのは初めてかもしれない。
「ん?楓に怒られそうだからな。」
「う。」
意趣返しとばかりにニヤつきながら言った然は「余計な心配掛けたくないだけだよ。」と洋食のブースのハヤシライスをトレーに載せた。
(う…美味しそう…)
トマトと玉葱のマリネに、ブロッコリーと玉葱とベーコンのコンソメスープ。
…あっ、ハヤシライスの付け合せにマッシュポテトとゆで卵を半分に割ったものまである。
片や和食ブースは王道の生姜焼き。豚肉が少し厚めのスライスになっていて、食べ応えがありそうだ。
味噌汁は白味噌で、牛蒡と人参と蒟蒻に油揚げ。副菜はちりめんじゃことセロリが和えてある。
(…セロリ…食べれるかな…。)
どっちも美味しそうで凄く悩んだけれど、私は和食を選んだ。
私がテーブルに向かう頃には、然は両手にお茶を持ってテーブルに置こうとしているところだった。
「はぅ、有り難うございます。」
「食べたら俺はフリージアと医療班に楓の事を報告してくるから、楓は先に上に行っててくれ。心配なら俺の書斎で待ってるといい。」
「はい、わかりました。…いただきます。」
然も手を合わせて食べようとすると、連絡が入ったみたいで端末を確認している。
「…あと一時間ぐらいで着くってさ。」
私は口いっぱいに生姜焼きとご飯を頬張ってしまっていたので、こくこくと頷いて返事をした。
「くくっ…!」
然はそんな私を見て、噛み殺すように笑った。
…恥ずかしい。
「…本当、美味そうに食べるよな。」
おさまりきらない笑みを浮かべて、然もスプーンを口に運び始めた。
「だって…とっても美味しいですもん。」
私は白味噌の優しい甘みを味わってから、苦手なセロリと向き合う。ちりめんじゃこが『早く食べなよ』と急かしているように思えた。
「医療班と親御とも話がつけば、日曜には家族と過ごせるぞ。」
「えっ、そんなに早く…ですか?」
「出来る準備は済ませてあるからな。後はお前次第だ。…食べないのか?」
「う…」
一瞬たじろいだ私だったが、食べ物を粗末には出来ないので思い切ってセロリを頬張った。
(あれ…美味しい)
セロリ独特の香りが苦手だったけれど、炒められている所為なのか抑えられていて、ちりめんじゃこの旨味も合わさって後引く美味しさだ。
気が付くと然に微笑ましげに見られていた。…っていうか然食べるの早くない?マリネの器は空っぽで、ハヤシライスがもう半分平らげられている。
(母が来るまでに医療班との話を済ませる為、か…)
「…ゆっくり食べてろよ、何も気にしなくていいからな。」
折角の美味しいご飯をゆっくり味わって食べられない事に私が申し訳無く感じているのを見透かしているように然は言った。
「食器は私が下げておきますから、置いといてください。」
「ん、お願いするよ。」
それから私達は黙々と食べて、気付けば然は綺麗に平らげてお茶を飲んでいた。
「五分前には書斎に寄るから、また後でな。」
「はい、よろしくお願いします。」
然は緋色の長髪をたなびかせて食堂を出ていった。
セロリを初めて美味しいと、もっと食べたいと思えた事に感動しながら「御馳走様でした。」と手を合わせた私は、二人分の食器を返却口に下げた。
(お母さんが来るまで、あと三十分無いぐらいか…)
時計を見上げて残りの時間を確認しながら食堂の入口に向かった私は、誰かが食堂に来ている事に気付くのが遅れた。
「にゃぶっ!」
「おわっ!?…って刹か、大丈夫?」
この声…。
「すみませんっ…!」
それに、このハーブみたいなにおいは。
謝りながら後退ると、ラフな格好のシエンさんが居た。
すぐ後ろに周さんも居て、目が合ってしまった。
(あわゎわわっ…!)
周さんは口元に人差し指を立ててウインクしてきた。
(やっぱり!バレてるっ!うひーっ、どうしようーっ!)
「刹、大丈夫か?顔真っ赤だぞ」
シエンさんが私に熱でもあるのかと掌を額に当ててきた。
長い睫毛の綺麗な目に覗き込まれて余計ドキドキしてしまう。
「はぅ、だい、じょーぶ、ですっ。シエンさんは、もうお加減良いんですか?」
「うん、皆のお蔭で助かったよ。まだ少し体が重い感じがするけどな。雨の中走ったんだろ?風邪引いてないか?」
「はいっ、元々風邪引きにくい体質なので。」
「そっか…良かった。ありがとな。」
シエンさんはとても安心したように穏やかな笑みを浮かべて私の頭を優しく撫でてくれた。
シエンさんだって怪我をして大変だったのに、そこまで気に掛けてくれていたなんて。
「あのっ、私、思い出したんです。」
「本当か!良かったな、楓っ!」
シエンさんは今まで見た中で一番嬉しそうな笑顔で私の名を呼んだ。
今まではどこか緊張感があった雰囲気が、円くなったような…そんな感じがする。
周さんはそんな私達を一歩退いて穏やかな笑みで眺めている。
「やっぱり名前、ご存知だったんですね。」
「ああ。やっと本当の名前で呼べて嬉しいよ。」
「それで、急なんですけど、これから親に会う事になりまして。然も今医療班に報告して準備してくれてるところなんです。」
「そっか…」
シエンさんは少し寂しそうな表情になった。
「それが終わったら、ロビンさんに手合せしてもらうんです。然ったら酷いんですよ?頼んでないのにロビンさんの剣の癖を私に教えようとしたんですよ。」
「ふふ、然らしいね。」
周さんが会話に加わってきて、私は少し緊張した。
「そうだ、竹刀袋取りに行こうか。竹刀と言えど、剥き身のままは嫌じゃない?」
周さんの提案には頷きたいけれど、それって周さんとまた二人で行くって事だよなぁ…とすぐに返事が出来なかった。
でも…。
「そうですね…」
あの竹刀袋は思い入れもあるし、施設内とはいえ竹刀をそのまま持ち歩くのも気が引ける。
私は渋々ながら了承した。
「シエンはゆっくりご飯食べてて。僕、案内して戻るから。」
周さんはシエンさんを少し見つめて言うと、先に廊下に出た。
「ああ、わかった。楓、手合せ見に行くよ。親ともちゃんと話しておいで。」
「はいっ!」
周さんと二人は気不味いけれど、私はシエンさんと別れて食堂を後にした。