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séi - watcher 049 青くて 薄っぺたくて 長いやつ

   青くて 薄っぺたくて 長いやつ

 試験当日、どうにか集中力を持続させて乗り切った俺は、直哉と昼飯の準備に取り掛かっている。
 鮪の漬け丼は今日の夜に母さんと食べる事にして、料理のレパートリーを増やすのと今度の金曜に持って行く主菜の練習を兼ねて、直哉から教わる事にした。
 明日の朝食の分の食パンが足りないからスーパーに寄って買い物をしたのだが、直哉も何か買ったようだ。
「直哉、それ何だ?」
 買い足した卵を冷蔵庫にしまいながら訊く。直哉は買い物袋から豚コマのパックと調味料っぽいものと薄っぺたくて長い野菜を取り出した。
「主婦の味方だよ。これは塩麹、こっちはモロッコいんげん。」
「へぇ…。そんなのあるんだ、初めて見た。」
「塩麹は肉漬け込むのに使って、モロッコいんげんは栄養もあるし扱いも簡単で彩りも良いからな。これだけじゃ今日の昼は足りないだろうからオムライス作るけど、良いか?」
「うん、良いよ。」
「じゃあ先ずは…豚コマは三百グラムちょっとか、これビニール袋二つに分けて入れて、塩麹大匙二杯を入れて揉み込んどいてくれ。今日試しに作る分は漬かり切らないだろうけど、やらないよりは肉が柔らかくなって旨味も出る筈だから。」
 言いながら直哉はラップに包んであるご飯を二つ、冷蔵庫から出してレンジで温め、モロッコいんげんを洗って笊《ざる》にあげ、玉葱を剥き始めた。
 直哉の手際も見ていたいけれど、俺も手を動かさねば。

「…悠さぁ、最近ひなちゃんの弁当食べてるみたいだけどさ、食費はどこから出てるんだ?ひなちゃんバイトしてないだろ?」
「えっ…」
 それは、考えた事…無かった。気付けていなかった自分が恥ずかしい。
「まさかとは思ってたけどやっぱりか。相手に気を遣わせないようにしようとするしなぁ、ひなちゃんて。悠も周り見てる方だけど、時々鈍いよなぁ。」
 直哉は大きめの玉葱を半分に切って、一方は櫛切りを更に半分にして一口サイズに切り避《よ》け、もう一方は微塵切りにしてフライパンへ移した。
 動揺した俺は塩麹を大匙から少し零してしまって、慌てて布巾で拭き上げた。
「そんなに動揺するなよ…。ちょっとこっち来て、豚肉揉み込みながらでいいから。」
 まな板をリセットして、水気を切ったモロッコいんげんを一つ載せて直哉は待っている。
「今回はついでだからこのまま包丁で切っちゃうけど。さっと洗って水気切ったら、キッチン鋏で一口大に切るだけで良いんだ。このまま冷凍して、使う分だけ凍ったまま炒めたりしても良いから楽なんだよ、これ。」
 直哉はモロッコいんげんのヘタだけ切り避け、一口大に斜めに切っていく。全て切ると、半分だけビニール袋に移して口を縛った。
「へぇ…。茹でたりしなくて良いんだ」
「うん、スナップえんどうより火の通りが良いし。レンジアップで茹でるなら先に切っとかないと破裂するから、それだけ気を付けてな。」
「そっか、スジ取りもいらないから…」
「そういう事。…ひなちゃんに直接お金渡そうとしても絶対受け取らないだろうし、やっぱデートとかで挽回すれば良いんじゃねぇかなぁ。」
「今の俺にはハードル高いよ…。これ、直哉が買ったやつ幾らしたんだ?」
「ああ、いいってこのくらい。ひなちゃんと話す為の支援物資とでも思ってくれりゃあ良いよ。」直哉はフライパンの玉葱を炒め始めた。
「うぅ…、面目ない…。」
「気にすんなって!ミックスベジタブルあったろ?あとツナ缶も一つ出しといてくれるか?」
 ぺし、と軽く俺の背中を叩くと何事も無かったかのように直哉は言った。

 あっという間にオムライスが出来上がり、直哉が鮪の漬け丼を盛り付けている横で、俺はモロッコいんげんを炒めている。
「そろそろ玉葱入れて良いかな。玉葱も炒めて透き通ってきたら、先に炒めといた豚肉を加えて、混ざったら強火にして醤油をひと垂らしして香り付け。味見して足りなかったら醤油足すか、塩胡椒でアクセント付けても良いぜ。」
「うん、解った。…どーやったら直哉みたいにフライパン煽《あお》れるんだ…?」
「ほいっほいっ、て感じ。」
「…わかんねぇよ…。」
「別に出来なくても困らねぇよ、家庭用のコンロの火力だとやらない方が火は通るし。ま、俺は出来たらカッコいいなーってそれだけで極めたけどな。」
「そういうとこ直哉凄ぇよなぁ…。煽るの上手ければオムレツ返すのもやっぱり上手くいくのかな」
「あー、そうかもな。んー、布巾でものっけて練習してみれば?」
「うん、やってみよ。…塩胡椒かな…」
 話しながら炒めて、味見をした。
 直哉は漬け丼のてっぺんに昨日漬けた卵黄を載せて、ごま油を回しかけ、白ごまも振った。
「漬け丼、美味しそう…」
 もう一度味見をして、火を止めて盛り付ける。
「早く食べよーぜ、腹減った!」
 直哉は盛り付けが終わった丼をいそいそと食卓へ運ぶ。
「麦茶あるけど、要るか?」
 盛り付けた炒め物と箸を置きながら訊く。
「いるーっ。今日はちょっと肌寒いけど、飯作ってたら熱くなってきた」
「湿度も高いもんな…」
「この梅雨とか夏の時季に叔母ちゃんとこ手伝うとさー、厨房めっちゃくちゃ暑くて汗だくになるんだよなぁ~。叔母ちゃんが梅干漬けてるんだけどさ、酸っぱいけど美味いし汗引くんだよなー。悠も前食べた事あったと思うけど。」
「覚えてる。酸っぱかったけど変に甘くなくて、俺あの梅干が今までで一番好きかも。」
 思い出したら涎が溢れてきた。麦茶を入れたグラスを置いて、食卓に着く。
「それ叔母ちゃんが聞いたら喜ぶだろうな。いっただっきまーす!」
 そわそわしていた直哉は先に箸を進めていく。
 俺もいただきます、と手を合わせてから、直哉が箸を付け終わった炒め物に箸を伸ばす。
「…うん、上出来。やっぱ肉は漬かり切ってないけど、何もしないより良いな。いんげんの旨みも出てるし。」
 言い終えたかと思うと、直哉はまた箸を付けて頬張る。
「いつもより豚肉柔らかい気がする。これ、初めて食べたけど美味いな。」
「今回はごま油と醤油でやったけどさ、生姜使っても美味いし、豚肉の代わりにツナ缶使ったり、あとはいんげんを細めの幅に切ってすりごまで和えても美味いぜ。」
「…金曜持ってく分は生姜入れてみるか…。でも結局野菜炒めだなぁ、他も作れるようになりたい…。」
 直哉が作ったオムライスを一口食べる。よくある食材で作られているのに、味のバランスも良くて卵もトロトロで美味しい。
「野菜炒めだって食材によって炒める順番とか火加減も違うから、ひと手間で大分味が変わるけどな。これだって豚肉炒めてそのままだったら硬くなってると思うし。玉葱も茶色っぽく焦げ目つくぐらい炒めれば玉葱の旨みが出てきて美味しいんだけど、今日は食感重視してみた。」
「野菜炒めも奥深いのか…。」
「良いじゃん、今はこのくらいでさ。あとはひなちゃんに教われば良いんじゃねーの?」
「そんなんで良いのかなぁ…。」
「…まだひなちゃんの彼氏でもないだろーが。」
「う゛っっ」
「悪い、つい言い過ぎた。…そーゆーのも含めてさ、話してこいよ。」
「うん…。」
「悠君あ――んっ」
 直哉が漬け丼をよこしてきた。上手いことご飯を鮪で包んで卵黄も少し載せてある。思わず口を開きかけて、はっとする。
「いいよっ、俺は夜食べるからっ!」
「照れなくてもいいのによ~。…ん~っ、うんめぇっ!」
 俺に向けた箸を引っこめて、直哉は見せつけがましく頬張った。
 ちくしょーっ、美味そうに食べやがって…。
 直哉にすぐ揺さ振られている自分に気付いて、何重にも悔しさを感じた俺は、直哉が作ったオムライスをやっつけるように、でもちゃんと味わいながら、もくもくと食べた。

「ごちそーさまでしたーっ。ふー、食った食ったぁ~。」
 漬け丼をペロリと平らげた直哉は、麦茶も飲み干してグラスを置くと、仰《の》け反って腹を摩《さす》っている。
「ごちそうさまでした。美味しかったよ。」
 少し遅れて食べ終えて、手を合わせる。
「へへっ、褒めたって悠の嫁にはなんねーからなっ!」
「何でそうなるんだよ、もう…」

 食器を纏めてシンクに置くと、直哉は冷蔵庫から片手鍋を取り出した。
「洗い物お願いして良いか?汁作るからさ。」
「そんなにやってくれなくても…」
「…嬉しかったんだよ、悠が家来るかって言ってくれたのがさ。多分、悠と一番仲良いのは俺だって自負してるんだけどさ、それでも時々壁を感じる事があってさ…。何か、上手く言えねぇけど。お礼ぐらいさせろって事!」
 直哉は鍋を火にかけ、水を少し張ったボウルとお玉を脇に用意しながら言った。
「そっか…」
 直哉の言葉に、俺は言い表せない嬉しさのような戸惑いを覚えた。
「…でも、帰るの遅くなっちゃうだろ、明日は苦手科目があるし…。それ出来上がるまでの工程はどのくらいあるんだ?」
「う、そうだった。…鯵のアラの湯引きまではやってあるから、あとは煮込んで灰汁とって、昨日叩いといたやつをスプーンで入れて弱火で十分ぐらい煮れば出来るけど…」
「そのくらいなら俺もなんとか出来ると思う。漬け丼の盛り付け方も見てたから覚えてるし、大丈夫。」
「…そうか…。なら、後は任せようかな。悠の料理スキルアップのチャンスだしな!」
 直哉は火を止めた。
「雨降ってるし、甘夏の積み降ろしも時間喰うだろ。」
「げっ、忘れてた…!どーすっかな~…」
 直哉が両手を腰に当てて考え込んでいるのを尻目に、俺は洗い終えた食器を拭いていく。
「とりあえず荷物纏めてくれば?甘夏は俺が一旦玄関まで運んでおくからさ。」
「そうだな、頼むわ。」
 そう返すや、直哉は二階へ上がっていった。直哉は行動に移すのが早い。潔いというか、思った事を速やかに反映させる奴だ。直哉のそういう所を見習おうとは思っているのだが…、出来ているかは俺には判じられない。
 俺は【悠】という名の通り、のんびり屋だ。でも、然に鍛えられたのと走り込んだりしていたおかげで、短距離走も持久走も直哉より速く、長く走れるようになった。油断は出来ないけどな。それに、それとこれとは話が違う。比較対象にはならない。

 さて、甘夏をどう分けたものか。雨降ってる中バイクが運転しにくくなるような積み方は出来ないから、スペースは限られる。
 空になったクーラーボックスに入るぐらいビニール袋に分けて、残りは中ぐらいの袋三つに分け直す。これでリアボックスとメットインに一応入る筈だ。それらを上がり框の端に纏めて置いておく。多ければ箱に戻せばいい。
 そろそろ直哉が来るかと思ったが、降りてくる気配がない。
 そんなに荷物は多くなかったと思うけれど…。様子を見に二階へ向かった。

「直哉?」
 自室のドアを開けると、直哉はテーブルで何か書いているようだった。
 荷物は直哉のすぐ近くに纏めてあった。
「…ああ、悠。これだけ書いてから帰るからさ、ちょっと待ってくれ。」
「何書いてんだ…?」
 覗き込んで見てみると、料理の工程のメモを書いているようだ。
「ラブレターなんて初めて書くぜ…」
「ありがとさん。」
 いちいち相手していると疲れるけれど、こうして料理がまだまだ初心者の俺を気遣ってくれているのは素直に嬉しいし有難いので、感謝だけはしておく。
「…よし、終わりっ。待たせたな。今何時?」
「十四時ぐらい。」
「げ、結構掛かっちゃったなぁ。そろそろ行くか。はい、これ見て頑張れよ!」
「ありがと。助かるよ。直哉も試験勉強で解らない事あったら訊いてくれよ。」
「おう。悠のノート借りたし大丈夫だと思うけどな。」

 一緒に階段を降りていく。
「おっ、良い感じに纏めてくれてんじゃん。」
「収まるかな?」
「いけるいける。リュックも少し余裕あるし。」
「いるならもう少し持ってってもいいけど…」
「うーん、コケたら怒られるし、このくらいにしとくよ。野本家で食べきれなさそうだったら日を改めて貰いに来るさ。」
「まあ、二人で食べるには多いけど…。俺もジャム作ってみるかなぁ、それでも余ったら頼もうかな。」
「あいよっ。」
 リュックに袋を一つ押し込んで背負い、合羽を着た直哉は、残りの袋を提げて外に出た。俺は傘を開いてからクーラーボックスを持って、直哉の元へ向かう。
 直哉は赤いフルフェイスのヘルメットを半端に被りながらメットインとリアボックスに甘夏をしまい込むと、ヘルメットをしっかり被り直して顎紐のバックルを留めた。シールドを上げて、眼鏡を指先で少しだけ押し上げる。
「気を付けてな。」クーラーボックスを直哉に渡す。
「おう。…頑張ろうな。」
 直哉はじっと俺を見て言うと、シールドを下ろしてエンジンを掛け、また明日な、と車体を翻して帰っていった。

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