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séi - watcher 035 混じり合う虚構と事実

   混じり合う虚構と事実

 今朝、閑木さんから電話をもらった私は、今とある小さな神社に来ている。
 閑木さんは、私の亡くなった夫の年の離れたお姉さんで、新潟に住んでいる。悠の妹が産まれて間もない頃に夫が亡くなり、事情を斟酌《しんしゃく》して里親となってくれた人だ。
 閑木さんが言うには、昨日娘がこちらに向かった、との事だった。私を驚かせたくて連絡を入れなかったのは申し訳ないと謝っていた。出発してから何の音沙汰も無く、無事に着いたか気になり電話した…。
 道に迷っているだけかもしれない。電車を乗り間違えただけかもしれない。
 念の為、服装などを訊いて、伝手があるので見かけていないか訊いてみる、何かあればすぐ連絡すると言い、朝の電話はそこで一旦切った。

 その伝手、というのがここの主なのだが…。
 赤い長髪に眼帯、作務衣の出で立ちは、いかにも曰くありげだ。申し訳なさそうにお茶を出してきたその人とは頻繁に会う事は無いが、顔馴染みだ。
 閑木さんとの電話の後、すぐに彼に連絡をした。この人でも何も知らなければ警察に探してもらうしかないと、一縷《いちる》の望みを託して。

『もっと早くに伝えておくべきだった…彼女は無事だ』
 結果、無事なのはわかった。でも、娘が彼の手の届く所にいるという事、私に連絡する余裕が無かったのかもしれない事を思うと、素直に喜べる状況ではないのかもしれない、と少し腹を括った。

 待ち合わせの時間には少し遅れたが、それでも仕事を早く切り上げてここに来た。気を揉んでしまって仕方ない。
「怜さん、忙しい上にこの暑い中来てもらってすまないね。」
 出された緑茶を一口頂く。水出しだろうか、冷たいけれど甘みのある味に、少し気が落ち着く。
「いえ…、いつも悠がお世話になってます。それで…娘は…」
「彼女は…。要約すると、新潟からこちらへ来て、途中事故に遭い、大怪我を負った。幸い、俺の部下が発見して治療も間に合って、一命を取り留めた。ただ、失血量が多くてな…それが原因なのかはまだはっきりした訳じゃないんだが、記憶喪失なんだ。俺個人の見解では、精神的な事が原因だと思うが…。今は体力の回復を待って様子を見ているところだ」

「………。」
 言葉が、出なかった。そんな事になっていたなんて。
「まだ不安定ではあるし、激しい運動も無理だが、彼女の努力次第で社会復帰は可能だ。あまり気を落とさないでくれると嬉しいな、怜さん。回復の為に我々は最大限尽力する。」
「よろしくお願いします…」
 祈るように胸の前で両手を握り、そう声を絞り出す事だけで私は精一杯だった。まだ訊くべき事がある筈なのに、緊張が解《ほぐ》れず考えが纏まらない。
 あぁ、もう。しっかりしろ、私!
 緑茶を飲む。
 一口、固まった喉を解すように。
 一口、カラカラになった口と喉を湿らすように。
 静かに、深呼吸する。
 緑茶の香りが抜けて、深緑の匂いが肺いっぱいに溜まる。
 然さんは穏やかな眼差しで私が落ち着きを取り戻すのを待ってくれている。…もう、大丈夫。

「いくつか、お訊きしてもいいですか」
 然さんは頷く。彼が話した事には衝撃を受けたけれど、直接的な表現を避けていた気がする。
 どこを怪我したのか。五体満足なのか。どんな記憶喪失なのか。
 ――そもそも、通常有り得る事故だったのか。
 事故なら、病院に居る筈。我々、と言ったのは病院には居ないという事なのか。
 まさかとは思うけれど、今朝のニュースは何か関係があるのか。

「……」
 私の質問に、然さんは困ったような表情で考えを巡らせている。
 するりと風が抜けていって、意を決したように、半ば諦めたように、怜さんは勘が鋭いなぁ、と溜め息混じりに然さんは口を開いた。

 やはり、尋常ではない何かがあるのか。
 誠実すぎるぐらいの彼の事だから、騙すような意図がある訳ではないと感じてはいるものの、何を告げられるのかと身構える。

「…悠にはまだ黙っていてほしい。怜さんはこの後帰って一人で気持ちを落ち着ける時間はあるかな?」
「今日は直哉君と試験勉強するって連絡が…」悠からの未読のメッセージがある事に気付き、見てみる。
「…あら、直哉君が一宿のお礼に晩御飯を作ってくれるみたい。もう少しここにいられるし、帰っても一人の時間は充分ありそうです」
「そうか…。それでは少し仔細を話すが、いいかな?」
 然さんは諫《いさ》めるような、気遣うような目で念を押してきた。
「はい、お願いします。悠に返信してからでもいいですか?」
「どうぞ」

 悠に返信し終えると、然さんは新しくお茶を淹れてきたところだった。
「――さて、では改めて話そうか」

 然さんの口から告げられていく事実に、私は口を挿む余裕も無かった。大筋は最初に聞いた通りではあるが、大きく違うのは事故ではなかったという事。ニュースの事件も無関係ではなく、ほぼ事実ではあるが真実でもないという事。

「…彼女を襲った奴はきっともう死んでる。そいつよりもっとヤバい奴が潜んでる。そいつらの動向を今探っている最中でな。まだ確定ではないが、最近の通り魔やらのニュースはそいつら絡みだろうな。フェイクのニュースでも注意を促すにはいい。この近辺の警戒を増員してはいるが、完璧に防げる訳じゃない。あまり遅くに出歩くのはお勧めしない。…今のところ俺が怜さんに伝えられるのはここまでだ、これ以上は怜さんも危なくなる…。」

 予想していたよりも事態は大ごとなようだ。
「…でも…。それじゃあ里親には何て伝えたら…っ、彼女も凄く心配していて…」動揺が出て声が上擦ってしまう。
「閑木さんだろう?こちらから根回ししておくよ。気に病まないで元気でいる事が怜さんのする事だ。何かあれば知らせるし、怜さんの方からも連絡をくれればいつでも応じるから」
「いつも助けてくださって有難うございます…」震える声を抑えられない私の背中を、落ち着かせるように然さんが摩《さす》る。
 当たり前でない事を当たり前のようにする有難さが身に染みて、涙がポロポロと零れていく。
「――そろそろ暗くなってくる。落ち着いたら帰ろう」

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