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séi - watcher 011 然とひな

   然とひな

 最初に集合した公園に着いた。昼頃に座ったベンチには日がモロに当たっているので、木陰が比較的濃い木に寄りかかって一息ついた。さっき買っておいたスポーツドリンクをひなに渡す。
「あ、ありがとう~」
「ちょっとここで一休みだ。こっからまた少し歩くからな。」
「そうなの?何処に行くの?」
 早速渡されたスポーツドリンクを飲みながら、ひなは訊いてきた。
「神社。あの小っちゃい山の上にあるんだ。」
 ボトルを持っていない方の手で神社の方を指して答える。俺も一口飲むと、アイスを食べても冷めない身体にスッと流れて染み込んでいった。
「へぇ~…神社なんてあったんだ。知らなかったなぁ。」
「そこに知り合いがいるから、ちょっと会いに行くんだ。」
「神社に知り合いがいるなんて、何か凄いねー。神主さん?」
「うーん、神主かどうかはわかんないけど…多分そんな感じ?」
「あっ、さっきのアイスはその人にあげるんだねっ」
「うん、そうー」
「じゃあ溶けちゃう前に行こうよっ、私は大丈夫だからっ!」
 ひなはスポーツドリンクをきゅっと一口飲んで、そう言いながら俺の手を引いて催促した。
「おい…そんな急がなくてもいいって。本当に大丈夫か?」
「大丈夫だもんっ!」
 大丈夫な訳ない。きっと階段で音を上げるに決まってる。でも階段まで行けば日が当たらないし、暑さも少しは和らぐだろうから、ひとまず行ってみてその時のひなの状態で判断しよう。

「…わ~、階段の先が見えないねー。」
 ひなはペットボトルを額に当てながら、階段を見上げて言った。
「私こっちの方って来た事無かったよ。割と家の近所なんだね。」
「あぁ。ひなの家からだと歩けなくはないけど、そこそこ距離あるよな。…階段、登れそう?」
「うん、大丈夫っ!」
 ひなは無理している風でもないし、ゆっくり登って行けば平気かな。
「よし、行くか。階段、苔で滑るから気を付けろよ。」
「はーいっ」
 俺とひなは並んで階段を登り始めた。

「…凄い。竹がいっぱい。」
 風が吹いて、さわさわと竹の葉擦れの涼しげな音が耳に届く。
「上に着いたらもっと凄いぞ。もうちょっとだから頑張れよ。」
「うんっ」
 ひなの表情には少し疲れが見えたが、上に着くまではなんとか持ちそうだ。

 登り切ったら然がいた。
 箒を持ったままこっちを見て、少しだけ驚いた表情で、まさかお前が素直に連れて来るとは思わなかった…と呟いた。さいですか。

「あ…初めましてっ、私、川瀬ひなですっ」
 ペコリ。ひなは然とデカい御神木に驚いていたが、すぐに気が付いて然に挨拶をした。しかしその一連の動作が小動物っぽくて、少しニヤけてしまった。

 然もつられて顔を綻ばせた。
「ようこそ、ひなちゃん。俺は然。悠がいつも世話になってるな。」
「いえっ、私は何もしてないですよー。」
「まぁ立ち話もなんだ、こっちへおいで。」
 謙虚な子だなぁ、と思いながら然はそう言うと、いつものように社務所の縁側へと案内した。

 お茶を淹れに行った然が戻って来るのを見計らって、俺はショルダーバッグの中の小振りな保冷バッグを引っ張り出して、中からコンビニで買った抹茶アイスを取り出した。
 程無くして然が戻って来ると、真っ先に抹茶アイスに気が付いて目を輝かせた。
「はい、抹茶アイス好きだろ?」
「勿論だっ、あ~、いい感じに溶けてて食べ頃だなっ!匙を取って来る!」
 抹茶アイスを受け取ってそう言うなり、再び台所の方へと駆けて行った。

「あ…スプーンあるのに」
「ほんとに抹茶アイス好きなんだね、凄く嬉しそうだった…」
 と言っている間に然はアイスを食べながら戻ってきた。
「悠っ、これ最高だ!中に黒蜜が入ってるぞ!」
 珍しくハイテンションですね、ししょー。

 然が落ち着くまで、然が淹れてくれた冷たいお茶を飲みながら、然がアイスを食べ終わるのをひなと一緒に待った。

「…いやぁ、すまんすまん、大人気無かった。抹茶アイスなんて久しぶりだったからなぁ…」
 ポリポリと頭を掻きながら、申し訳なさそうに然は言った。
「いや、別に気にしてないけど、ちょっとびっくりした。多分ひなも…」
「ごめんな、ひなちゃん。ただでさえ怪しいおっさんが更に変な人に見えただろ?」
「いえっ、そんなっ。抹茶アイスが好きな人なら然さんみたいな感じだと思いますよ。抹茶が好きな先輩がいて、その人も凄く幸せそうに食べるんですよ~。」
「そうか、同士が居たか…嬉しいな、そのひなちゃんの先輩にも是非とも会ってみたいもんだ。」
「この場所、先輩に教えてもいいですか?和が好きな人なんで、ここも凄く気に入ってくれそうです~。」
「そうだな、俺はあまりここを離れられないから、来てくれると有り難い。」
「いいのか?あまり人を入れないようにしてるんだろ?」
「まぁな…。ひなちゃん、教えるのはその先輩だけで、他の人には口外しないで欲しい。ここは騒がしくする所じゃないからな。」
「はいっ。ここ、神社ですもんね。」
「で、その先輩って男の子?女の子?」
「女の人です。私、手芸部をやってて、先輩は部長をやってるんです。他に茶道部と華道部も兼部してる人なんですよ。浴衣とか和装が凄く似合う人なんで、ここの雰囲気に合いそうです~。」

 ひなの言う先輩ってのは佐伯先輩だな。制服姿しか見た事は無いが、おっとりしているけど、凛とした感じもあって、艶やかな黒髪に陶磁器のような白い肌は、確かに和装がピンとくる。
 ひなの話だと実家が呉服屋さんらしいから、まさにここにぴったりの雰囲気を持つ人だろう。

「ほう~、会うのが楽しみだな。…で、悠は部活やってないのか?」
「あれ?言ってなかったっけ?俺は真っ直ぐ家に帰って自己研鑽に励む帰宅部だよ。」
「自家発電の間違いじゃないか?俺はひなちゃんの視点で悠が学校でどんな風に過ごしてるか聞いてみたいんだけどなー。」
 ひながいるのにそういう事言うなよ…と思いながら俺は然を睨みつける。
「?」
 ひなは俺と然を交互に見て、話してもいい?といった視線で俺を見て首を傾げた。
「え~っと…、話してもいいけど、あんま細かいとこまで話さないで控え目にしてくれると助かる。」
「なんだよ、やましい事でもあるのか?」
 然はからかった口調で小突いてきた。
「別にないけど…、何か恥ずかしい。」
「気にするなよ、お前が小学生の時からの付き合いなんだからよ。恥ずかしがる事もないだろう?」
「えっ、そんなに前からなんですか?」
「おうよ、こいつがこんくらいの時からな。」
 然は言いながら、掌を縁側から五十センチぐらいの所で水平にひらひらさせた。俺そんなにチビじゃなかったぞ。
「私は中学生の時に悠君が転入して来た時からです。」
「あーっ、もしかして。やたら声かけてきて何で俺なんかに構うのかわかんねぇって悠が言ってた子ってひなちゃんか?」
「うん」
「私はただ悠君が途中から入ってきたから、早くクラスに馴染めるようにって思って。でも結局ケンカとかしちゃったんだよね。」
「お前っ、こんな可愛い子と喧嘩したのか!?」
「あっ、私じゃなくってクラスの男子とですっ」
「なんだ、そうかー。もしひなちゃんと喧嘩してたんなら今この場でケツひっぱたいてやろうと思ったのによ~。」
 ケラケラと笑いながらいつもに増して俺をいじってくる然。勘弁してくれよ…。
「ケンカしてからみんなは少し怖がっちゃって避けたりしてました…、でも田島君とか芽瑠ちゃんとか、先輩も時々ですけど、いつも通り悠君と話してたらそれもすぐなくなって、逆に体育祭の騎馬戦とか頼りにされちゃったりしたんですよ。」
「ほうほう~、そうだったのかー。」

 然はニヤニヤしながら頷いている。しかしさほど間を置かずに、
「…悠、暗くなる前にひなちゃんを送ってきな、最近は物騒だからな。ひなちゃん可愛いから、悠にも気を付けとけよ。」
 冗談混じりに言って、狼狽えるひなをよそに俺に目配せしてきた。表情は笑ってるけれど、何となく真剣な感じ。
 確かにこの間変な奴に遭遇したばかりだし、ここは然の言う事を聞いておこう。

「わかった。ひな、行こう。」
 汗をかいたグラスをお盆に戻し、腰を上げる。
「うん。もう少しお話したかったですけど…また今度来た時にしますね。お茶、ご馳走様でした。」
 ひなも続いてお盆にグラスを置いて腰を上げた。
「おう。明るい時ならいつでもおいで。気ぃつけてなー。」
 然も立ち上がり、沓脱石にあった雪駄を突っ掛けて、参道の所まで見送ってくれた。

「然さん、良い人だねっ」
 並んで階段を降りていく。夕方まではまだ時間があり、暑さは和らいではいない。時折吹き抜ける風が、汗に濡れた肌を撫でていく。
「あぁ。まぁ…俺の親父みたいな人だからな。確かに小さい時からの付き合いだから、癖も何もみんな知ってるよ。」
「ふ~ん…、然さんが羨ましい。小学生の時の悠君にも会ってみたかったなぁ~。」
 ひなはぷくっと頬を膨らませて口を尖らせた。相変わらずの小動物っぷりに口元が緩む。
「今と大して変わってないよ。小学生の時の俺がそのままでかくなった感じか。」
「えーっ、中学と高校で結構変わってるのに…でも変わってないといえば変わってないかも…?私、二番目に長いと思ってたんだけどなー。」
「どっちだよ、それ…。二番目って?」
「田島君の次。田島君とは幼稚園からずっとなんでしょ?」
「あぁ、あいつはなぁ…腐れ縁だよ、一時は離れたけど結局近くにいるもんなぁ。」
「いいなぁ。私はまだそこまで長い付き合いの友達っていないから羨ましいなぁ。」
「長い付き合いになりそうな佐伯先輩と杉沢がいるじゃないか。」
「うん、二人は私の大親友だもんっ!あ、でも女子だと先輩と芽瑠ちゃんだけど、男子だと悠君が一番だよっ!」
 ひなは嬉しそうに笑みを浮かべる。…うん、素直に可愛いと思う。

 もう少しで階段を降りきる所で、ひなは階段を踏み外し…いや、苔で足を滑らせた。

「!?」
「っ…!」

 然から階段での受身の取り方とか教わってないなーと思いつつ(いや、あるのか?)、ひなの腰に腕を回して掴んで引き寄せ、階段の一段目までスライディングするように倒れた。

「っぐ…っ」
「悠君!ごめんなさいっ、大丈夫!?」

 幸い、頭は打たなかった。でも階段でコケるって結構痛ぇ…。背中モロにいったかもしれない。というか全体的に痛ぇ。足に感覚はあるから神経は大丈夫…。てゆーか最近コケ過ぎじゃね?俺。
 少しの間呼吸が上手く出来なくて、ひなに返事をするのに時間を要した。

「あ゛~~…、平気、よくある。ひなは?怪我ねぇか?」
 ようやく呼吸が落ち着いて、ひなが無事か確認する。
「私は大丈夫、なんともないよ。」
 思ったより近くでひなの声が聞こえると思って目を開けたら、息がかかるほど近くに心配そうなひなの顔があって、またすぐ目を閉じた。
「そうか…大丈夫ならどいてくれ。重い…。」
 いや、実際は重いというよりむしろ軽いんだが、その、健全な男子としては、女の子の柔らかい体が密着してると精神と局部的に、ちょっと。

「おっ…、ごっ、ごめんなさいっ!」
 怒った表情が珍しくひなの顔に浮かんだが、それも一瞬。すぐに俺の上から飛び退いた。

 とにかくひなには怪我がなくてよかった。
 もしひなが怪我をしていたら然に何て言われるかわからない。ちょっと(かなり)背中が痛いけれど、ひなを送って行く分には問題ない。
「今度ここに来る時は気を付けろよ、この階段の苔は侮れない。」
 ひなが心配そうに俺を見ていたので、立ち上がってひなの家の方へ足を向けながら少しおどけた口調で言ってみた。
「うん、わかった…、先輩にも言っておくよ。かばってくれてありがとう、悠君。」
 ひなは申し訳なさそうに眉根を寄せた表情に少し笑みを浮かべて、小走りで俺の横に追いつく。

「なんか悠君に助けられてばっかりだね。私、何にもできてないなぁ~…」
 ひなは不満そうに口を尖らせて呟いた。
「そうでもないよ。…そういえば、さっき俺が変わったとか変わってないとか話したけど、昨日然と話した事、思い出した。俺は昨日然に言われるまでわかんなかったけど、俺がケンカばっかりしてた時と最近とを比べたら、表情も大分明るくなったらしい。…ひなに感謝しなきゃって、然は言ってた。」
「そんな…私だけじゃなくって田島君達も、でしょ。大した事じゃないけど、私は私が出来そうな事、しただけだもん。」
「そっか…。でも…ありがと、な。」
 俺が良い方向に変われたのはひなのおかげだ。気恥ずかしいけれど、ちゃんと目を見て礼を言った。
「お礼なんていいよー、なんかくすぐったいし。」
 ひなは掌をパタパタさせながら謙遜する。
「ひながいなかったら直哉以外の奴とは話す事もなかっただろうからな。ひなは凄いよ、よく怖いと思ってる奴に自分一人で声をかけたよな。中学の時とか俺超眼つき悪かったぜ?」
「うーっ、ちょっと怖かったけどっ、やっぱり悠君は優しい人ってわかったし…それに、鋭い目の悠君もカッコイイけど、私は今こうやって笑ってる悠君の方が好き。だから、中学の時頑張って良かった。悠君と仲良くなれて良かった…」
 ひなはそう言って幸せそうに微笑んだ。
 なんだこれ。こっちまでくすぐったくなってきた。

 ひなの家の前に着く頃には夕焼けが辺りを紅く染めていた。
「悠君、今日は色々ありがとう。」
「次のプールの授業が楽しみだな、教えたの忘れんなよ。」
「うんっ、バッチリだよ!また明日ね!」
 俺は踵を返しながらひなに手を振って帰路についた。

「また明日ね!」
 言いながら手を振る。
 悠君が着ている白いポロシャツは、階段で私をかばってくれた時に酷く汚れてしまっていた。
 本当に私は悠君に助けてもらってばかり。私は悠君を少しでも助けられているかな…。感謝と苦悩が心に渦巻いている。
 悠君が角を曲がって見えなくなるまで玄関先で見送りながら、悠君の背中を見て私の胸は締め付けられるように痛かった。

 背中の痛みに耐えつつ、冷や汗と脂汗をかきながらなんとか家に着いた。
 シャワーを浴びようとポロシャツを脱いだら、ものの見事に泥と血まみれ。
 汚れがきれいに落ちる見込みもないけれど、一応洗濯機にぶち込む。
 明日は体育がないから水泳もないけれど、しばらくは見学だな…。
 バイトもあるけど、そっちはなんとかなるかな。今日は早めに休むとするか…。

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