カテゴライズの枠の中に人や自分をはめ込まない
私もこのnoteで、HSEとかエルゴンエンパスとか、
人の性質を表すものについて言及していますし、
そういうカテゴライズ的なものを研究するのは大好きなのですが、
それらを扱う時に一番気を付けていることがあります。
それは、
カテゴライズの枠の中に人や自分をはめ込まないこと
です。
世の中には非常にたくさんの、
人の性質を表す分析方法がありますよね。
HSP、エンパス、ホロスコープ、サビアン、
エニアグラム、数秘術、動物占い・・・・
こういうツールは、自分自身や他者を理解する上では
使い方によってはとても有効だし、素晴らしい手法だと思います。
私自身もこういうことを研究するのが大好きで、
日々の生活にも生かしています。
ただ、気を付けたいのは、
詳細に細分化されたものほど、
人の性質を的確に言い表す度合いも高くなるので、
あたかも「ああ、自分(あの人)ってそうなんだ!」って
思ってしまいやすい。
でも、どれだけ詳細に的確に表現されたものであっても、
最初にあるのは「私たち自身」です。
カテゴライズありき、ではない。
「私たちひとりひとりの存在」
というものがまず先にあって、
それらを、色々な角度から分析して、データを積み重ねて、
「便宜上」体系化されたものがカテゴライズなわけです。
まずはその認識の順番を間違えないこと。。
カテゴライズで私たち一人一人の個性を言い尽くせるわけではない
ということですよね。
だから、例えば、
何かのツールで自分を分析したときに示された特徴を見たとき、
その結果に自分の全てを当てはめてしまうと、
かえって自分の選択肢や人生そのものを狭めてしまうことも
十分にありえます。
これって本末転倒じゃありません?(笑)
もっと悲しいのは、そういったカテゴライズで人を判断してしまうこと。
例えば、「あの人は〇〇だから、こういう人なのだ」と、
その人自身を感じる前に判断を下してしまうこと。
こういうのって、色眼鏡で人を見ることと同じじゃありません?
とてももったいないことだし、
こういうことを自分にも他人にもしてしまうことは、
私たち一人一人の魂に非常に失礼だな、と思うのです。
ツール云々は関係なく、まずは
「その人自身(自分自身)」を自分自身の生身の感覚でちゃんと感じて、
その上で、ツールの結果と自分自身の感覚を照らし合わせ、
複合的に判断していく・・
そんな使い方が健全かな、と思うんですよね。
また、いろんなツールを知るとわかることですが、
表現は違えど、微妙に結果は重なるわけですよ。
たとえば、〇〇という性質は、
ホロスコープで言うならこれ、
数秘術で言うならこれ、
動物占いで言うならこれ、
で、言い表されているんだろうな、ということが見えるわけです。
それぞれの分析ツールは、当然切り口も表現も違うので、
一見別物に見えるかもしれないけど、対象物は同じなわけです。
そんなことからも、
私たちひとりひとりを示すツールは無限にあるけれども
私たちひとりひとりを言い尽くせるツールはどこにもない
ということが言えるんじゃないかなと思います。
* * *
最近では「HSP」が示す性質ににわかにスポットライトが当たり、
そのことでずいぶんと楽になった方も多いと思うんです。
今までよく分からなかった
自分の内側の感覚や違和感などの正体が分かったり、
自分に自信を取り戻すことが出来たり・・
すごく喜ばしい社会現象だな、と思います。
だからこそ、忘れずにいたいな、と思うんです。
まず「私たちひとりひとりの存在」が先にある、ということを。
カテゴライズツールの枠に自ら自分をはめ込むことのないように。
「そんな見方もあるのね」くらいのスタンスで。
今回この記事を読んでいただいて、
「そんなの当たり前じゃん、何をいまさら」
と思ってくださる方が多ければ多いほど、私は安心します(笑)