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「月の影がウサギがお餅を搗いているように見える!」←ンわかるゥ! 「だから月にウサギが住んでいる!!」←いやそうはならんでしょ

古代人〜〜〜〜〜〜ッッ!! 古代人〜〜〜〜〜ッッ!!  なんでそう思った〜〜〜〜〜ッッ!! 


本稿の問題としたい事柄について

まぁタイトルの通りなのだが、月の影がウサギがお餅を搗いているように見えるってのはよくわかる。俺も実際そう見えるし、古代から人々は夜空を見上げていろいろ想像をしていたことだろう。

こうした伝承が科学技術の発達した現代にまで伝わり、今でも人々に語り継がれていることは大変喜ばしいことだ。

ところがだ。今一度冷静に考えてみて欲しい。

  • 月の影がウサギがお餅をペッタンしているように見ること。

  • 月にウサギが住んでいてお餅をペッタンしていること。

これ全然別の事象じゃね!?

なぜ月の兎はお餅をペッタンしていることを月の表面に示して大々的にPRしていることになっているのか?

人間で考えて欲しいのだけど、地球の表面に人間のデザインをしているかぁ!? 月から見た地球の画像を何度か見たことあるけど、トイレのマークみたいなヒューマンのピクトグラム的なものは全然描かれてねえ。

地球は人間が活動している場所だ。人間は例えば多くは睡眠したり食事したりセックスしたりしている。だから、月の兎の事例を愚直にトレースするならば、我々は地球の表面に人間が睡眠したり食事したりセックしたりしている影を投影しなくてはならないのではないか?

それくらい、月の影がウサギさんでペッタンしているように見えることと、月でウサギが実際ペッタンしていることとには距離があるということだ。

俺たちの代表といてばナスカ人だ。地上絵を描いている。動物などの地上絵が有名だが、巨大なものはひたすらに長い直線など幾何学的なものが多いのだという。

またクソデカ構造物としては万里の長城がある。子供の頃は宇宙から見える唯一の人工物といろんな本に書いてあったが、実際にはそうじゃないらしい。でもまぁひたすらでかいやつだ。

で、冷静に考えて欲しいのだが、俺たちはナスカの地上絵に描かれる動物や幾何学模様や万里の長城じゃない。いきなりの人間宣言をしてしまうのだが、俺たちは人間である。人間のいろんな営みの結果が地球上のあちこちに刻まれている。それらは人間の形そのものではない。

つまり、月の影がウサギがお餅を搗いている=月でウサギがお餅を搗いているの図式を成立させてしまうと、我々人類はナスカの地上絵や万里の長城そのものになってしまいかねないのだ。逆に、月に住んでいる人々は、何らかの活動を行ない、その結果月の影がウサギのお餅搗きに見えるという論理構成にするべきだ。

ではどうすれば良かったのか

月の影がウサギに見える。そこから想像して実際に月にウサギがいるという話になっていく。ただそこには、確認してきた通り若干の論理の飛躍を認めねばなるまい。なぜなら月にウサギがいたとしてなぜ大々的にそれを月の影で示すのかという話になる。

その理由を少し考えてみよう。例えば月にいる人たちはウサギとお餅が好きで、その発祥の地である地球に感謝あるいはラブコールを送っているとかを私はよく想像する。

上の事例については結局月の人がウサギが好き、というウサギに絡める結論となてしまいややマイルドな着地点であると自分で考えていても思う。

これには理由がある。

ウサギの影と実際のウサギがいることの距離感について、実は私は子供の頃からこの主張をずっとしてきた。ところが今まで誰にも(たとえば親とか妻とか高校の同級生とか研究室の先輩や職場の課長)納得してもらえず、私はこのことについては自己肯定感が極めて低いのだ。

だから自信を持ってもっと突拍子もない(人間がナスカの地上絵を作ったくらいの発想のスケールで)月の影がウサギになっていることを論じたいのだが、小学校以来の否定の連続で萎縮してしまっているのが現状だ。

おわりに

ということで、月の影がウサギに見えるのだが、そのことが月にウサギがいることにはつながらないだろという話でした。自分の実力不足を痛感する話題である。


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