コロッケそばという食べ物
コロッケそばという食べ物がある。
私は長いことこの食べ物の名前をインターネット上で使う仮の名前として拝借してきた。
人に名乗るとたまに由来を聞かれるのだが、端的に言うと「名前を決める時にパッと浮かんだ最近食べた夕食だったから」だ。
コロッケそばになる前は「山田」という本名とは全く関係のない名前を使っていた。こちらの由来は「ゲームアカウントの名前なんてどうでもいいので、けっこうポピュラーなのに近くにいない苗字をアカウント名としてつけた」だ。
しばらく山田としてゲームを楽しんだりしていたが、あるとき会社の後輩とスプラトゥーン2をやっている時に「〇〇さん(本名)、山田じゃないのに山田なの紛らわしいですよ」と言われ、なるほど後輩の立場に立つとめんどくさいなと思い改名を思い立った。
思春期に深夜ラジオを聞いて育った少し心根のひねた人間だった私は、ラジオネーム「塩」とか「農機具」とか凝りすぎてないシンプルめの名前が好きだったことと、「なんかアカウント名をじっくり考えてます感があるのは気恥ずかしい」という思いから直近で食べた夕食のメニューから決めることにし、それがたまたまコロッケそばだったというわけだ。
そんな経緯でアカウント名として選ばれたコロッケそばであるから、コロッケそばは私にとって「食べたことあるし世の中の食べ物を好きか嫌いかで大きく二分すれば好きだが最後の晩餐メニュー選抜予選では門前払いを食らう」という微妙な距離感の食べ物であった。
しかしながら、もうかなり長いことこのアカウント名でいるので、食品としての評価は別に変わらないが変な愛着みたいなものが湧いてきている。
これを読まれているあなたはコロッケそばという食べ物を食べたことがあるだろうか?
コロッケそばというのはその名の通り温かいそばにコロッケが乗せられた、いたってシンプルな食べ物だ。そば×揚げ物という組み合わせには天ぷらそばという超王道の大スターが存在し、西洋の揚げ物のうえに中身が芋というコロッケそばは王道から外れた少し邪道っぽい位置にいる。そんな立ち位置もあってかお高い蕎麦屋でコロッケそばを見かけることはほとんどなく、彼の主戦場は立ち食いそばなどの大衆的なそば屋さんである。
サラリーマンなど忙しい人が使うことが多い大衆的なそば屋さんでは、待つ時間すら楽しむお高い蕎麦屋とは対極的に提供のスピードが求められる。コロッケそばもその期待に応え、茹でてあるそばを温めたものに揚げてあったコロッケを乗せることも多い。
ここまで読むと「コロッケそばって腹を満たせばいい系の特にこだわりのない料理なんだな」と思われるかもしれない。たしかにその側面もある、かなり力強く。しかしコロッケそばという料理を全力で楽しもうとすると少しこだわりが必要になる。
コロッケそばは温かいそばにコロッケという揚げ物が乗った料理だ。温かい天ぷらそば(もしくはうどん)を食べたことがある方は思い出していただきたいのだが、好きだから後で食べようと思っていた海老天の衣がズルズルにふやけて出汁の中に砕けて散ったことはないだろうか。コロッケは中身がマッシュしたじゃがいもなので“アレ”がコロッケ全体に起こる。ボーッとコロッケを浮かせてそばを食べていると、コロッケが消失して芋溶け出汁弱濁りそばを食うハメになる。
なら届いた瞬間にサクサクのコロッケを食べればいいのかと思われるかもしれないが、それも違う。多くの場合コロッケはソースや醤油をかけて食べられるように、コロッケという食べ物は塩味を外部から添加する前提で設計されている食べ物だ。コロッケそばにおけるコロッケはソースや醤油の代わりに出汁の塩味と旨味を吸ってこそその真価を発揮するのだ。
コロッケは出汁を吸いすぎると消滅する、しかしコロッケの旨さは出汁を吸ってこそ発揮される。つまりコロッケそばのうまさのピークはコロッケが出汁を吸い始め崩壊に至るまでのその刹那に存在する。かなりライブ感のある食べ物なのだ。
これを読んで興味を持たれた方は是非お近くの駅などにあるそば屋さんに行ってコロッケそばを食べてほしい。出汁を吸ったコロッケからは出汁を吸ったコロッケからしかしない味がする。
ちなみに私は立ちそば屋さんに行ったら天玉そばを頼む。なぜなら天ぷらは王道で美味いからだ。