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あえて遠回りしてみる

〇〇さん、こんにちは。

今日のnoteのテーマですが、先日TBSドラマ「愛してると言ってくれ」の再放送を見て思ったことを書きたいと思います。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、このドラマは1995年に放送されたドラマで、恋愛ドラマの神様北川悦吏子さんの脚本。
ストーリーは聴覚障害のある新進青年画家の晃次(豊川悦司さん)と、アルバイトをしながら劇団で演技の勉強を続ける女優の卵、紘子(常盤貴子さん)の言葉を超えた繊細なラブストーリー。
(このドラマは前にも何度か見たことがあったのですが、何度見ても良いドラマですね。豊川悦司さんは神々しいイケメンだし、常盤貴子さんがとにかく可愛い。)

もともと90年代から2000年代のドラマを見ることが多いのですが、今回の自粛期間で様々なドラマを見返しました。

ドラマを見ているとその当時の社会の様子が反映されているので、面白いし、懐かしいし、逆に新鮮で驚くこともあります。

こういった昔のドラマを見る度に感じることがあります。
それは便利になればなるほど心が貧しくなっているのではないかということ。
物理的には便利になっているかもしれませんが、本来持っていた人間としての豊かさはどうかと疑問に思います。

今のように携帯もメールもなかった時代、恋人達を繋いだのは電話(家の電話か公衆電話)・手紙。
今回の「愛してると言ってくれ」の場合、主人公の2人は手紙やFAXでやり取りしています。
このドラマに限らず、この時代のドラマは主人公達が物理的にすれ違い衝突するシーン多い気がします。物理的なすれ違いから精神的なすれ違いに繋がるようなイメージ。
今はLINEで相手にメッセージが一瞬で届き、手紙みたいに何日間も待たなくて良いですし、家の電話や公衆電話で電話するのと違って確実にメッセージを届けられます。

ただ私が思うのは、遠回りする(不便な手段を選ぶ)からこそ気付くこともあるのではないかということです。
最近散歩する機会が増えたのですが、いつも通るルートとは違う道を行くと新たな発見が沢山あります。(あえて遠回りを選ぶと)

これは普段の生活、大袈裟に言えば人生でも当てはまると思います。
私達はつい急ぎ足になって毎日を生きていますが、ショートカットしがちなことをあえて遠回りしてみることも必要だと思います。
そうすると今まで見えていなかったことが見えてくると思います。

個人的には便利なものに囲まれたが故に心が虚しくなったり、心が疲弊するということもあるのではないでしょうか。

勿論便利になったことで得たことも沢山あるのは事実。私が今入っているオンラインサロンも、インターネットが普及した今だからこそ参加が実現した訳です。

ただたまには遠回り(不便な手段を選ぶ)してみるのも必要なのかもしれないと思った私なのでした。

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