親愛なるフォーゲル様
はじめに
エゴサをしてこのブログを見つけてしまったゲルたんへ
別に読んでもええんやが、手紙の内容と対して変わらんのでそっ閉じしてくれるとありがたいかな。さすがにこの記事はゲルたんがSNSを全削除した後に投稿しているのだから、まぁ察してクレメンス。
なんだかタマネギが目にしみるなぁ
推しメンことMeseMoa.のフォーゲルが卒業して早3週間が経とうとしている(ここを書いているのは12月28日未明)。確かに当日と翌日朝はよく泣いたと思う。9日の朝なんて、起き抜けに「フォーゲルがアイドルでない朝が来た」という理由で泣いていた。連番かつ同室の煎じ推しにはさぞ迷惑をかけた。申し訳ない。じゃあ、それ以降どれだけ泣いたかといえば、ローション相撲のその後の動画が上がったときに1回泣いたぐらいだった。何度も配信を見て、卒業メンバーのブログを読んで、泣きそうになることは何回かあった。しかし泣いている暇などなかった。卒業論文の提出まで残り10日しかなかったから。卒論のために東京の特典会申し込みを諦め、遠征から帰ってからもすぐに卒論の訂正部分を仕上げる生活を送っていた。ひとえに、優先順位を間違えて学業に支障が出た時にいちばんショックを受けるのはゲルたんであるという勝手な思い込みがあったから。これまで、聖誕祭や誕生日当日のライブですら教採試験のために諦めた私からしたら通常運転なわけだが、これがフォーゲル卒業の実感をいまだに受け入れられていない原因だろう、とは思う。
瞬きしたら縮んでた距離
ゲルたんは私を、常々真面目だと言っていた。自分でもそう思う。でも、真面目だと言ってから必ず、「がんばってる」と褒めてくれた。これは本当に最後から数えて何番目のレベルのキャスで気づいたことだが、どうやらゲルたんは私とベクトルが同じ「真面目」らしい。共感に近いものがあって、私を真面目だと評価したんだろうと推測している。そして、自分に似たベクトルの人間に「がんばってる」と言うことで、自分もまとめて認めようとしているような気が少しだけしていた。とはいえ本人の思惑などはどうでもよくて、私にとってゲルたんは、功績を褒めてくれる唯一の大人だった。ただそれだけ。
君がいなくともお腹は空く
5人での新曲発売に伴う撮影会、奇しくも愛知1日目は卒業式当日で。ゲルたんの卒業に間に合うようにスーツは作ってあったので、無事にお披露目も済ませているのだが、どうしても”卒業していなければ”がまとわりつく。卒業していなければ、今から卒業式行ってくるんだよねなどと言って当日にスーツを披露して、片道20分強のJRに揺られながらレポを書けたのに。時間さえ間に合えば、もらったばかりの卒業証書と一緒に写真が撮れたのに。野崎さんがいるのだから、ゲルたんがいなくとも撮影会は行くけども、やっぱりそこにいてほしかった。この先おそらくきっと、いや確実に、「ここにフォーゲルがいれば」と思ってしまうだろう。でも緑推しである以前に私はMeseMoa.が好きなのだから、現場には足を運んでしまうのである。現に今はすごくカウコンに行きたい。ここ2年無理を言って年末年始にバイトを休んでいるため、今年はさすがに現地へは行かないが。
目を閉じ それでも消えない
人は耳から入る情報から先に忘れていくという。つまり、声が先に記憶から消えていくということ。今の私は、言ったこと言ってないことなんでも簡単にゲルたんに喋らせることができるのだけど、いつかこんなこともできなくなるのだろうか。この先で投稿されるだろう様々な動画や情報を受けて、ゲルたんならこうするだろうなと考えることもなくなるのだろうか。思考回路の寄り道にいるゲルたんが脳内から消えてしまうことが、私は非常に怖い。過去の動画を見た時、目で追うのが野崎さんになってしまうのだろうか。自然と手が伸びるのが茶色になってしまうのだろうか。恐れていることが現実に起きた時を想像すると、いや想像したくない。これを世間では未練がましいとでも言うのかもしれない。こんなことをゲルたんは望んでいないのかもしれない。しかし、忘れたくないものは忘れたくない。これまで築いてきた優先順位を崩したくない。SNSのアカウントがすべて削除されて、フォーゲルが踊り手を含めて活動者の「フォーゲル」であった証がほとんど消えるのなら、これぐらいのあがきは許してほしい。
こんなに深く愛した人はもう二度と
人生の半分以上をいわゆるオタクとして生きてきたが、入り口が二次元であったためか、1年以上同じ人やキャラを推しにし続けることはできなかった。そんな人間が、3年以上も同じ人間を追い続け、卒業してもなおしぶとく追いかけ続けようとしている。自分の年齢やこの先の人生設計を考えると、ここまでの人間に出会うことはもう二度とないだろう。卒業先の進路検討先として確かに推しを増やした時期はあったが、1年以内で飽きている。一人の人間にここまで執着させられる魅力がどこにあったのかと聞かれたら正直よくわからない。もやがかかったまま3年が過ぎてしまった。これを執着や依存とは呼びたくないので、あくまでオタクを続けるという言い方をするが、フォーゲルのオタクを現役で永遠に続けたかった。
何パーセント存在するだろう?
この先、私がオタクとしてゲルたんと運命を交える確率はゼロパーセントであってほしい。この先、一生会えない存在であってほしい。何のために横浜アリーナという大きすぎる会場でアイドルとしての最後を見届け、SNS全削除に泣きながら新年を迎えたのか。ゲルたんのことだからきっと、こちらの覚悟を無下にするようなことはしないと信じている。だから、最後の特典会で最後にかけたいつも通りの「じゃあね」に反する言葉をかけよう。
もう二度と、帰ってくるなよ。
夢中でいたいだけなんだ
フォーゲルという一人の活動者がいなくなった今でも、私は緑推しを名乗っている。その辺は言論の自由が効いていてほしい。私は緑推しである私が好きで、これまで生きてきて最も熱中したフォーゲルという存在にまだ浸っていたいだけである。そして、私という特異な人間を受け入れて、賞賛を送ってくれた唯一の大人を、心の拠り所にしていたいだけである。これまでゲルたんにもらったたくさんの言葉をどこかに返すことはできないけれども、忘れないようにとどめておくことはできる。ゲルたんには悪いが、一生忘れてやるつもりもない。意地悪く緑推しを続けることを、どうか許してほしい。
愛してるよ
このブログが投稿されている頃には、もうフォーゲルと名のつくSNSは存在していない。だからこのブログのタイトルは、ゲルたんにあてたものにしておいた。さすがにエゴサをしてまで読んでいないだろう。もしすべて読んでしまったのなら、コメントでも残していってくれて構わないからな。
最後に、私の大学生活すべてとこの先の未来を形作ってくれた、フォーゲルというアイドル・踊り手に最大級の感謝と愛を込めて。
幸せになれよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?