灰色の世界にポツリと打たれた赤い点
お笑い芸人の又吉が芥川賞を獲った。
かつて又吉が「太宰が好き」と言っているのを、
テレビで聞いたことがあったが、
その時には「不気味で暗いお笑い芸人」という、
キャラ作りで言っているのかと思っていた。
その又吉が、
太宰が欲しくて欲しくて、
それでも獲ることができず、
選考委員だった川端康成や佐藤春夫を
文芸誌上で名指しで批判したりして、
ついには精神病院に強制入院させられ、
この一件が「人間失格」の元ネタにもなったという、
因縁の芥川賞を獲ったのは、
ある意味太宰の敵を討ったとも言えるかもしれない。
というわけで、
又吉の受賞をきっかけに、
大学時代にちょっと研究していた、
太宰治のことを思い出したのだが、
実は僕は卒論で「人間失格」について書いていたのである。
「人間失格」の本文にあたる主人公の手記の始まりは、
「恥の多い生涯を送って来ました。」
という一文で始まっているのだが、
僕はまず、この一文の解釈から始めた。
太宰治が本文の最初の言葉に
「恥」という言葉を選んだ以上、
この言葉が「人間失格」を読み解く、
キーワードになると思ったのである。
まず「恥」という言葉が、
一般的にどういう意味として、
用いられているかを確認するため、
講談社現代新書の
「恥の構造」という本を読んでみた。
最初の一行のために新書を一冊読むとは、
大変な力の入れようであるが、
こんなにちゃんと「お勉強」したのはこの時だけで、
今は活字で書かれた本はほとんど読まなくなっている。
「恥の構造」に、日本と西洋では、
「恥」という概念の認識のされ方が違うと述べられている。
おおまかに言うと、西洋においての「恥」とは、
「力(あるいは知)の欠如」を表すものであり、
日本においての「恥」とは、
「集団から外れる」ということを表しているというのだ。
これは勝負の時などにわかりやすく現れることなのだが、
西洋においては負ける(つまり力が足りない)ことが
「恥」なのであり、逆に言えば、
たとえどんな卑怯な手を使おうと、
勝負に勝てば賞賛されるということになる。
ところが日本では、勝者は敗者に対して、
敬意と礼節を持たなければならないという、
倫理というか、暗黙のルールのようなものがあり、
例えば大相撲などでは、
勝っても大げさに喜びを表してはいけない
というような決め事がある。
そして日本における「恥」は、
同じ「はじ」という読みの文字に
「端」という字があることからも、
中心からずれた所、端っこの方にいることが、
「恥」と認識されているようなのである。
西洋においては「力の欠如」、
日本においては「集団から外れること」
と、「恥」の意味が大きく違うのだが、
太宰治がどちらの意味で
「恥」という言葉を使ったかというと、
やはり日本的な意味においてであろう。
そして「人間失格」の本文の最初の一語に、
「恥」という言葉が使われていることから、
この小説は、集団の価値観から外れること、
つまり「恥」の多い生涯を送ったことが、
主人公が「人間失格」してしまったことの原因だ、
というような論旨の小説なのだと推測されるのである。
そしてこの小説のオチとして、
そういう「恥」の多い生涯を送り、
ついには「人間失格」してしまった主人公、
大庭葉蔵とはどんな人物だったのか、
ということに関して、
手記を提供したバーのマダムが、
「神様みたいないい子でした」としめくくるのだが、
ここがまた多くの人に誤解されるというか、
偏見を持たれる原因となっている。
それは「神様みたいな」という言い回しである。
特に西洋においては、宗教は一神教が主流なので、
人間に対して「神様みたいな」という例えをすること自体ありえない。
僕の通っていた大学もキリスト教系の大学で、
ゼミの教授もクリスチャンであった。
その教授が「神になろうとした太宰は傲慢」
というような解釈をしていたので、
やはり一神教を出発点にすると、
このような解釈になるんだなあと思っていた。
日本には、汎神論というか、
アニミズム的な考え方もあるので、
例えばペレのことを「サッカーの神様」と言ったり、
「トイレの神様」なんていう歌があったり、
「神様」という言葉のニュアンスが、
一神教的価値観とは少し違っている。
ドナルド・キーンが
「人間失格」を英訳した「NOLONGER HUMAN」では、
この最後の「神様」という言葉は、
「ANGEL」と訳されていた。
しかしそれを「天使」と再訳すると、
「天使みたいないい子でした」になり、
これは「人間失格」のしめの言葉にはふさわしくない。
つまり「人間失格」という小説は、
冒頭部分の「恥」や、最後の「神様」など、
解釈が非常に難しい言葉があえて選択されている小説なのである。
というような論旨にして、
自分なりの解釈を展開していったのだが、
結局はあまり満足のいく論文にはならなかった。
それでそれ以来30年近く、
そのまま放ったらかしにしていたのだが、
なんとなく又吉の受賞をきっかけに、
そのあたりのことを思い出したのである。
記憶や感情というのは、
時々、ある出来事をきっかけに鮮明に甦ってくることがある。
なんか「ノルウェイの森」みたいになってしまった。