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ずっと負け犬だと思ってきた

速い、早い、
朦朧とする頭と
血を今にも吹き出しそうな肺。

遅い、重い、
走れる体力なんて続かなかったから
体を引きずるように、歩くしかなかった。

豆粒のようになっていくともだちを呆然と見送りながら、
すぐ後ろの先生に怒られるのが怖くてびくびくしながらただ、歩く。

これは私が幼稚園の年中組だった記憶。
体育会系の幼稚園で、毎年マラソン大会があった。
私は早生まれということもあり、他のともだちと比べ体格が小さく、体力もなかった。当然結果はビリ。悔しむ心も悲しむ心も持てず、泣くことすらできなかった。隣に住むあの子は2位だったそうだ。羨ましいとも何とも思わなかった。

「どう頑張っても、どうにもならないことがある。」齢4つにしてそう悟った。

それから私はずっと「負け犬」だと思って生きてきた。

小学校に上がった。私は進んで「お道化」になった。
バカなことして、みんなを笑わせていればそれでいい。私なんて「変なやつ」でいい。
その時から、思いもよらなかったことを平気で口に出し、平気で人の心を弄ぶ嘘つきになった。虚しいと思った。本当に私のことを好きでいてくれる友達なんて一人もいないんじゃないかと思った。
「負け犬」だから一緒に遊んでくれるともだちはお情けで寄ってくるし、本当に好きでいてくれる友達なんてきっと誰もいない。

本当は甘えたかった母も、生まれたての妹を見ることに手一杯で私のことなんて露とも思っていない。

そのうち、奇行を繰り返した私は虐められるようになった。
「◯◯菌」と呼ばれ、人の物を触ると過剰にみんな避けた。いじめっ子もそうでない子もみんな私を遠巻きに見ていた。「ガイジ」のくせに何で特別支援学級に入れなかったのかとすら言われるようになった。
「負け犬」だから虐められてもしょうがない。

そのうち、不良っぽい女子グループが私をおもちゃにするようになった。
学校の帰り道、ジャスコの入り口の茂みにランドセルを置いて、「大丈夫だから」と手を引かれ、試食したりゲーセンで遊んだりした。
本当は今すぐに帰りたかった。

凄みがあり、逆らえないと思ったから、もう同行する以外の選択肢はなかった。
そのあと、この行為がバレた。
私は朝の会で先生に公開処刑された。

ああ、そうだ。
負け犬だから何をやっても「負け犬だからしょうがない」んだ。

自己肯定感が極端に低いと、自分を貶める行為を何ともないと思ってしまう。

唯一、私が負け犬であることを忘れる時間があった。
じゆうちょうに何かを描いている時だ。絵も描くし、漫画も描く。本当に何を描いてもよかった。誰も何も馬鹿にしないし、漫画を描いたらクラスの女子に大受けして嬉しかった。

転勤して今の家に住み始めた後も負け犬だから友達ができず、群れる輩を尻目に本を読み漁った。読み漁った本のどこかに「勉強さえできていれば虐められなくなる」と書かれていたから、それを鵜呑みに死ぬほど勉強した。そして私が本当に望んだ学校に受かった。

学校は面白くてすごい人たちがいっぱいだった。絵がとても上手い友達や先輩に出会えた。実力差を感じつつも、絵を描くのはどうしても嫌いになれなかったからいっぱい練習して、いろんなものを描いた。お絵描きは相変わらず好きで、美大に行くだろ〜と中学生から思っていた。
Webサイトを作る課題で、どうすれば使い勝手が良くなるか工夫したり、cssをいじったりするのが楽しいと気づいた。だからデザインの道に進むと決めた。予備校に入ってからは趣味のお絵描きと、受験のお絵描きを両立させた。何度もお絵描きが辛いし、伸びない私が悔しいと思った。でもお絵描きは嫌いになれなかった。「お絵描きをしない私は私じゃない」そう思うようになった。

そして美大受験。
結果、惨敗。

現実はこうも報われないものか。補欠ばかりで唯一受かっていた学科に入学手続きをした。

ああ、私は、わたしは、結局お絵描きにすら「負け犬」だと、そう言われた。

眠れない夜が何度も続いた。某国立大卒の弁護士を祖父に持ち、国立大卒の大手銀行員を父に持つ、エリート家系の「負け犬」の私。「お前は一家の恥だ」「あんたみたいな金をドブに捨てるような子産まなきゃよかった」ぐるぐる、ぐるぐる。立体音響レベルでそう言われているような気がした。親戚どころか肉親にも顔をあわせるのが嫌だった。

受験が終わったらイラストコンクールにいっぱい出そう!と何個も応募する気でいたが、どれも中途半端に終わった。本当は解放されて、バイトもせずにいて暇で穏やかである時期のはずなのに、こんなに辛くて孤独で生きているのが苦しいものか?深夜にお絵描きしたり、ゲームをしたりして明け方になり、パジャマにコートの出で立ちで薄暗い道を徘徊し、ぼーっとした。コンビニで買った缶コーヒーを持ち、朝焼けを虚ろな目で眺めた。「あっつっ」両手で包んだ缶。

負け犬であっても今、肺に刺さるような冷たい空気を吸っている。
負け犬であっても今、てのひらの缶の熱を感じている。
負け犬であっても今、泣きたくなるほど綺麗な朝焼けが見える。
負け犬であっても死ねと言われているわけではない…のか?


「負け犬」は美大生になった。

負け犬らしく真面目に一年美大生をやり、長い冬休みを迎えようとした12月、ふと、18のうちに私は何をやるべきか、考えるようになった。
私が18でなくなるまで、あと3ヶ月と少し。この間に何ができるだろうと。

18のうちにTOEICで600点を狙う
18のうちに同人誌を出す
18のうちに車の免許をとる

負け犬は余命宣告を受けたかのように生き急いだ。

趣味兼転学兼就職目当てでアトリエに通いながら原稿を描き、英語の勉強をした。
早朝シフトで働いた後、教習所に行き、日によっては夕方も働いた。
「負け犬」だからという感情は一切湧かなかった。負け犬の遠吠えが功を奏し、私は望みの殆どを叶えた。

3月も末のある日、負け犬は気がついたら死んでいた。19歳だ。本物の犬であれば天寿を全うしている年だろう。

…違う。私は犬なんかじゃない。
私は馬鹿で愚かで泥臭くてちょっぴりすごいただの生き物だ。

負け犬はただの生き物になってしまった。

ただの生き物はまた美大生に戻り、ただの生き物らしく制作と同人活動に勤しんだ。
なお、転学の望みは潰えた。今いる場所が一番私に合っている気がしたからだ。ただの生き物はもう成人を迎えようとしているが、本人は何の自覚もなく呑気に構えている。

以上が私の半生だ。成人式の前に半生を振り返ってみた。

負け犬は綺麗な白骨になり、暖かい海の底で眠っている。

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