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TLを追うのが虚しいと思ってしまうとき

どうしても最近Twitterを開くと「虚しい」と思ってしまう。

一番即物的な理由を挙げると大体「Twitter開いてる場合じゃない」からだ。でも、手持ち無沙汰になると推しの供給ないかなーとか、笑える話ないかなーと思って開いてしまう。というか、追ってるのが楽しいときは本当に麻薬かよと思えるぐらい楽しいから追ってしまう。これでは廃人である。
次に来る理由は「来もしない通知を求めて一喜一憂するな」だ。2015年からTwitterをやっているが、いつになっても学習しない。憧れのあのお方からふぁぼりつが来ると舞い上がってしまう。逆に来ないときは本当に来ないので虚しくなる。じゃあ見るな。殊更虚しいのは「神絵師」と呼ばれる人と自分を比較して軽く鬱になることだ。それが身内なら尚更である。この話はキリがないので、別の記事に貼る。

そもそもTwitter、Pixiv、静画、DeviantArtなどのSNSは絵描きさんを筆頭とした物を作る人が「この子作った〜貼ったろ〜(ぺいっ)」と神絵(神作品)を載っける広場である。日本全国、いや全世界は神様で満ち溢れている。神様が作ったものはどんなに本人が駄作と言おうが神コンテンツなのだ。広場は見ていて楽しいが、TL(=タイムライン)をずっと張り込んで眺めている行為は極論「何もしないで広場にぼーっと突っ立てるだけ」である。「楽しい!」と思えるときは本当に見ていて楽しいが、自分が何もできないときに見て「虚しい…」と思うときは本当に虚しい。だから、フォロワーさんの絵や妄想や他愛のない呟きが楽しみなのは山々なのだけど最近TLを追うことができない。ごめんね。

逆に、今リアルがとても楽しい。課題と原稿に追われながら生きている。(これを書いている今、本当は必修の課題やって飽きたら冬コミの原稿やろ〜と思いつつPC開いたらnote書いてるからダメ人間も甚だしい)

いつもの面子とは学校で毎日のように会えるし、バイトと親と先生の愚痴も、推しの話も、勿論まじめな話もできるから一緒にいて楽しいし、なんなら話していなくても見かけるだけで安心できる。一緒に展示とか映画とかご飯も行けるし。

そして最近紙の本を読むのが楽しい。今はナボコフの「ロリータ」を読みつつ、英語の勉強がてら「星の王子様」を英語で読んでいる。ハンバートおじさんのロリータを見る陶酔しきった様子は私が推しを見るトチ狂った様子に重なり面白い。成熟しきっていないけど完全に「子ども」ではない年齢の子は性別関係なく惹きつけるものがある。(村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」のユキとか黒執事のシエルあたり)それと同時に小学生の時初めて読んで「わかりきったことをいちいち書くな、眠い!」と一蹴した記憶のある(ミヒャエル・エンデの「モモ」も同意見だった)「星の王子様」を読んでいる。英語のため、最初はわからない単語ばっか気にして内容が頭に入らなかったが、だんだんわかってきて楽しい。灯台守のくだりが自分に刺さるものがあり、無性に「わかる、、わかるよ、、」と共感している自分がいる。続き読めないかなと読めるタイミングを楽しみにしている自分がいてちょっと吃驚している。でも、定期的に「あの子今どうしているかな?新しい作品乗っけたかな?」と思ってTwitterを開きたくなるときがやってくる。そういうときに覗くとみんな性癖にささる絵を描いてるし、みんなトチ狂ってるから面白い。「ああ、また●●がこんなこと言ってるな」「●●が描く絵はいつも綺麗だな」と一通り見て安心する。で、次の駅で降りなきゃって思ってTwitterを閉じる。このぐらいが丁度いいんじゃないかなって思う。スマホは画面が小さいから長時間見ていると気持ち悪くなっちゃうからね。

だから、私も浮上するときは「今、すごくこれ言いたい!」ってときだけ浮上している。リアルでもTwitterでも「コイツいっつも楽しそうだな〜幸せなんだろな」って思ってもらえたらいいなあ。

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