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30.戦争が引き裂いたもの
ロシアの悪いニュースが続いている。
ウクライナ侵攻が始まったとき、日本でも、ロシアの音楽やロシア人の指揮者のコンサートをキャンセルする流れがあった。
筆者はクラシック音楽が好きだが、その中でも一番好きな作曲家のひとりが、チャイコフスキーだ。
だから、もちろんロシアが国家としてしていることは許せないけれど、
チャイコフスキーの曲の公演が減ったり、チャイコフスキーが好き、と言いづらい空気になったことは、いちファンとして悲しかった。
そのうち、モスクワ音楽院のチャイコフスキーの像を見たり、本場でバレエを観たりしたかったのになあ。
ウクライナ侵攻からもうすぐ3年になるこの頃、ロシアへの複雑な感情が思いがけないところで描かれていた。
きのうの『坂の上の雲』
今、ちょうど再放送されている、NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』。
その、昨日(12/1日曜)の回は、主役である秋山好古・真之兄弟と正岡子規がほとんど出てこないという、ちょっと異常な回だった。
その代わりに主役だったのは、海軍軍人でロシアの駐在武官だった、広瀬武夫だ。
広瀬武夫とは
筆者は、大学で日本史を学ぶ前、建築学科に進もうか迷っていたころ、
戦前の万世橋駅の前に、彼の銅像があったと知ったことから、興味を持って調べたことがあった。
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今も東京駅の前には井上勝の像があるけれど、井上は日本の鉄道の父といわれるような、鉄道に関わる偉人だ。
広瀬は鉄道の歴史に直接は関係ないし(シベリア鉄道を調査したくらい?)、軍人の像が駅前にあるって、戦前でも結構珍しい気がする。
軍人だから、戦後GHQに撤去されてしまったみたいだけど。
そしたら、近代で最初の軍神とか、軍歌とかたくさん出てきて、ちょっとびっくりした記憶がある。
『坂の上の雲』で知っていた、豪快で朗らかなイメージとかけ離れていたからだ。
父重武は裁判官、兄勝比古は海軍少将。攻玉社を経て明治22(1889)年海軍兵学校卒業。30年ロシア留学に抜擢され、同国駐在武官としてドイツ・フランス・イギリスを視察。33年少佐。日露戦争には戦艦「朝日」の水雷長として出征。37年3月27日、第2回旅順港閉塞戦で「福井丸」の指揮官となり、行方不明の部下を捜索中にボート上で被弾、戦死した。死後中佐となり、軍神として国民的英雄となった。
うーん、だいぶシンプル。
日露開戦間もない明治37年早春。日本海軍は旅順港内のロシア太平洋艦隊を封殺するため、閉塞作戦を実施した。旅順港入り口に老朽船を沈め、敵の航路をふさごうという危険な作戦である。軍艦「朝日」の水雷長(当時少佐)広瀬武夫は、この決死隊指揮官として二度にわたって出撃した。二度目の出撃のさい、予定地点で福井丸の爆薬に点火、退避するが部下の杉野兵曹長の姿がないのに気付き、沈みゆく福井丸にとって返し、ついに散弾に斃(たお)れる。37歳であった。広瀬は明治元年、竹田市の士族の二男坊に生まれる。兄も海軍軍人。海軍大尉時代にロシア駐在武官となり、この間ヨーロッパ各国を視察した。漢詩を愛し、ロシア語に熟達、講道館柔道に熱中(六段)する。風雲渦巻く明治という時代を太く短く生きた男だが、軍人にしては珍しい幅広い視野を持っていた。滞露中、ロシアの子爵令嬢から惚れられた話は有名である。若い頃は侠客清水次郎長ともつき合いがあった。人間広瀬の周囲にはいつもほほえましい話題が尽きない。
太字の部分がちょっときになるけれど、筆者の抱いているイメージにいちばん近い説明。↑
調べれば調べるほど、とにかく、人好きのする人だったのかな、という印象を受け、
いわゆる「軍神」っぽくない(勇壮で謹厳な武人ぽくない)なあと、不思議に思った。
広瀬とアリアズナ
今日の本題はこれ。
広瀬は武官として、日露戦争前夜のロシアに6年駐在したが、そのときにロシアのいろんな人たちからすごく人気があったらしい。
『坂の上の雲』でも、広瀬は外国武官の中で最も人気のある人物だった、みたいなフレーズがよく出てくる。
広瀬のロシア駐在はながかった。足かけ六年におよび、その間、おおぜいのロシアの海軍武官につきあったが、広瀬はかれらのあいだでもっとも人気のある外国武官だった。海軍士官のあいだだけでなく、宮廷の婦人たちのあいだですら、広瀬は人気があり、そのなかで、当時ペテルブルクの貴族の娘のなかできっての美人といわれたアリアズナ・コヴァレフスカヤという娘に熱烈な求愛をうけたりした。
このくだりが、原作もドラマもあまりにロマンチックなので、さすがに創作かなあと疑ったのだけど、調べたらかなりの部分で史実だったよう。
まず、日本人ないし東アジア人が「黄色い猿」だと世界中から思われていた時代(劇中でもよく言われてる)に、ロシア人とそんなに仲良くできたことがもうすごいし、まして恋愛にまで発展したのなんて、もっとすごい。
ほんとに人徳があったんだと思う。
昨日の放送回では、日露関係の悪化をうけ、いよいよ広瀬に日本への帰国命令がくだる。
「いつか必ず、この日が来ると覚悟していました」とアリアズナ。
「私も一緒ではいけませんか」
えぇ!?
当時の日本なんて、未開の地どころじゃない。
当時のサンクトペテルブルクなんて、ロンドンやパリに比べたらまだまだだけど、じゅうぶん大都市だし。
そこの貴族の、苦労を知らない女の子だったら、日本なんて行ってみたいとすら思わないのがふつうだっただろう。
そこについて行ってもいい、と思えるくらい、彼女が広瀬を愛していたことに、筆者はびっくり。
でも広瀬は断る。
「あなたの国と私の国は、いずれ戦わなければなりません」
「戦争は、どうしても避けられないのですね」
なんてせつない…
2人とも何にも悪くないのに…
このシーンの直前に、訪露した伊藤博文がなんとかロシアとの関係を改善しようとしたり、
それに好意的だった、ロシアの政治家で唯一の非戦派が失脚したりといったバックグラウンドが示される。
この政治の駆け引きシーンは、エカチェリーナ宮殿などを贅沢に使った、洋画並みの豪華ロケだ。
今のように日露関係が冷え込んでいるときだったら、絶対に撮影できなかったと思う。ある意味、貴重な映像。
(ネット上に画像がないのが残念)
ところ変わって、
広瀬がいよいよロシアを離れるというとき、ちょっとしたコンサート(送別会)が開かれて、そこでアリアズナは『荒城の月』を弾く。
故郷の音楽を聴きながら、広瀬は彼女と帰郷する夢を思い描く。
また、この曲が、泣ける。
ドラマ版には、広瀬が訪露するずっと前からアリアズナを知っている、ちょっとした恋敵みたいな若いロシア軍人が出てくる。(さすがにこれは創作かな?)
彼が、演奏後広瀬のもとに来て言う。
「将来、両国が戦火を交える不幸があるかもしれない。その時は、互いの祖国のために戦おう。
しかし、われわれの友情は一生涯のものです」
そしてハグ。
その後
恋敵の言葉どおり、
広瀬がロシアを離れてわずか2年後に、日露戦争がはじまる。
広瀬は旅順港での戦闘に参加し、そこで命を落とす。
ここが、上に挙げた軍歌になっている場面だ。
歌詞にある「杉野はいずこ」というのは、部下を沈みゆく軍艦から助けに戻ったときのこと。
広瀬は無事に脱出できたのに、周りの人に止められてもなお、杉野を探しに沈没する軍艦に戻った。
そのときに、ロシアの砲弾が命中したそうだ。
あとには肉片しか残っていなかったというから、おそろしい。
こんなにやさしい人が、なんでこんなにむごく死ななきゃいけないんだろう。
軍人だったから、と言ってしまえば、それまでだけど。
結局、戦争が起きたことで、広瀬はアリアズナとの関係も引き裂かれ、
自分の肉体まで引き裂かれてしまった。
いま観ること
なんかもう、このタイミングでこの話が再放送されたことに、筆者はちょっとした運命を感じてしまう。
だって、ドラマ『坂の上の雲』の初回放送は、2010年。
ロシアがまだ、クリミア併合もしていなかったころだ。
日本と欧米諸国がロシアに制裁を科し、日露関係が悪化してしまったいま、サンクトペテルブルクでのロケなんてできない。
ロシアが戦争を始めてもうすぐ3年たつけれど、その3年の間に、広瀬とアリアズナのような思いをした人がどれだけいただろう。
ああ、まだ月曜なのに、胸の詰まる思いがする。