1.水切り

今日、2023年の文化の日に、ブログを始めようと思う。 

思い立ったのにはいくつかきっかけがある。
ひとつは季節から、ふたつは時流から。

まず、最近、気温の変化が大きすぎて、すぐに寝付けない夜が多かった。
寒すぎて冬用の寝具を用意したと思ったら、暑くて夜中に起きてしまう。
とりあえずタオルケットだけ戻したら、寒くて落ち着かない。
眠れない。
疲れているのに、眠れない。

眠れないと、考え事ばかりしてしまう。
明日どんな服着よう、暑いといやだなあ、から始まり、あの時なんであんなこと言ったんだろう、とか、今日観たテレビのあれ印象的だったなあ、とか、すごいスピードで思考が連鎖した経験は誰にでもあるはず。

水切りの石のように、ぽんぽんっと。

水切りのイメージ(筆者画)

思考がぽんぽん跳ねた後、寝てしまえば何を考えていたかなんてすっかり忘れてしまい、跡が何も残らないところも、水切りに似ている。

しかし貧乏性の私は、季節の変わり目に寝付けず、考えごとが止まらなくなるにつれて、この水切りの跡を全部忘れてしまうのはもったいない、と思うようになった。

これが、跡をブログにしたいと思ったひとつめのきっかけだ。

ふたつめに、思考の連鎖といえば、SNSだ。

一生出会わないかもしれない人たちの間に、ひとつの考えがどんどん広がっていく。

ただしこの跡は、あとに残るけれど。

中学生の時、周囲でTwitterが流行り始めた。
中学生など、小学生に毛が生えたようなもので、自他ともに「まだまだ子どもだ」と思っていた。
だから、そんなちっぽけな存在が書いた文章が簡単に世界中に発信できることに、また、そんな強大なツールを友だちが当たり前のように使いこなしていることに、衝撃を受けたことをよく覚えている。

ネット炎上だの、偽情報の拡散だの、情報リテラシーの授業で習った悪いことばかり印象に残っていたからかもしれない。

SNSのアカウントを持っていることがもはや当たり前の時代に自分が生きていることに、私は何度も驚いてきた。
フォロワーの数や、拡散力の強さにではない。
数十年前は一部の人にしか許されていなかった「全世界へのアクセス権」ともいうべきものを誰もが手にしていることに、
そして、それに何の畏怖も覚えていない現代人に、言いようのない不気味さを感じてきたのだ。

自分の頭の中から生まれた有象無象が、永遠に誰かの頭の中にこびりついてしまう。

そんな時代は、長い歴史の中でも未曽有のことだろうし、昔の人だって想像だにしていなかったんじゃないか。
過去の大部分の時代では、記録を残せるのは一種の特権だったからだ。

この考えに至った経緯についても、のちのち書きたいと思う。

せっかく、誰もがその「特権」を持っている貴重な時代に生まれることができたので、自分でもこの「アクセス権」を使ってみよう。

これが、ブログを始めたふたつめの理由だ。

ちなみに、SNSではなくブログの体裁をとることにしたのは、SNSだと残せる文章があまりに短いから。
あと、イーロン・マスクに共感できないから。笑

こんな人もいるんだなあ、くらいの気持ちで、のんびり読んでいただけたらと思います。

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