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3.人ごみ考

ベイスターズが日本シリーズで優勝した。

この晩、たまたま桜木町で飲んだ筆者は、帰りにこのものすごい盛り上がりに遭遇した。
試合終了から数時間経っていたにもかかわらず、
写真を撮る人、
奇声を上げる人、
なんだかよくわからないが走り回る人、
多幸感に満ちたカオスが広がっていた。
筆者は車窓から眺めていたのだが、真っ青に染まった関内駅前は壮観だった。
(ちょっと想像しにくかったら、今回のヘッダー画像の出典元、神奈川新聞の写真ページを、ぜひ見てみてほしい)

あれ、こんな感じの光景、報道で最近見たな。

そう、つい数日前まで少なからず首都圏の注目を集めていた、あれである。

筆者は、このどちらの人混みも糾弾するつもりはない。
むしろ、ちょっとした感動すら覚えている。
今日はそれについて書きたいと思う。

ちなみに、今回言及する「人ごみ」は、満員電車や渋滞などといった不快な混雑ではなく、
何か一つの出来事に興奮冷めやらない人が、自然発生的に一箇所に集まってしまうことを指す。

不快な混雑の例。コロナ前、花火大会当日の鎌倉駅にて(筆者撮影)

同じものに盛り上がる喜び

みんなの好きなもの、の不在

時代を象徴する流行が生まれなくなった、と言われるようになって久しい。
ネットの普及で、人々の趣味が細分化したためだ。

この記事を読んでくれているみなさんも、一度は「自己紹介」というものをした経験があると思う。
それは往々にして、趣味や最近はまっているものについて言う場面になる。
初対面が相手だし、映画鑑賞とか、無難なことを言う。
そこまではいい。問題はその先だ。

しばらくして、「私も映画好きなんですけど、どんなの観るんですか」なんて会話になる。
ここで、具体的な作品名が一致することはまずない。
なんなら、邦画か洋画か、ジャンルすら合致しない。

先日、一番最近映画館で観た映画を聞かれ、『ビートルジュースビートルジュース』と答えたらその場の誰にも伝わらず、結構ショックだった。
大手シネコンで上映中の洋画の名前すら、もう共通認識ではないのか、と。

昔は、時代を象徴する作品があった。
ちょっと年代が上の人に聞けば、絶対に観ている映画がある。

 特撮の仕事を志したのは、中学時代に見た「スターウォーズ」と「未知との遭遇」に衝撃を受けたことがきっかけだったが、「ベースには(幼い頃から親しんだ)ウルトラマンやゴジラがある」と話す。

時事ドットコム「映画『ゴジラ-1.0』で意識したのは『文芸作品』『技術的には集大成』、山崎貴監督ロングインタビュー 」(最終閲覧: 2024.11.4.)

 山崎監督は中学生の時に見た「スター・ウォーズ」と「未知との遭遇」に衝撃を受けて、視覚効果を駆使した作品の作り手を目指すようになったという。

時事ドットコム「ハリウッドへ恩返し 怪獣映画の可能性広げた『ゴジラ-1.0』―米アカデミー賞」 (最終閲覧: 2024.11.4.)

山崎監督くらいの世代の人で、映画ないしサブカルチャーに少しでも興味がある人なら、この2作品は必ず観ているはずだ。多分、リアルタイムで。

つい最近、ユニクロがスター・ウォーズのUTを発売したが、まちで着ている人は圧倒的に40-50代が多い気がする。

一番象徴的なこの絵柄は、売れ残りが店舗に積み上がっているのを見かけたことがない(画像は公式サイトより)

今、この瞬間を生きている人たちが、数十年後に「あれはすごかったなあ」と思い返せるものはあるのだろうか。

たとえば、『鬼滅の刃』。
興行収入だけみても、今のところ、2020年代最大のヒット作で間違いない。

しかし、あれはアニメの劇場版、という特殊な立ち位置であるため、楽しむには前提知識が必要になる。
筆者も鑑賞したが、キャラクターや設定の説明がほぼゼロなので、映画一本だけ観ても、100%理解することはできなかった。

そもそも、アニメは全く観ない、という人もそれなりにいる。

そのため、「スター・ウォーズ」ほど、
時代を象徴する作品なのか?
数十年後にみんながTシャツを買うほど愛され続けるのか?
と考えると、首をかしげざるを得ない。

つまり、一つのことに盛り上がって見知らぬ人々が集うこと自体、現代ではすごく貴重なことなのだ。

なんとなく集まりづらい

大量に人がいれば、ストレスも生まれるし、トラブルも起きる。

渋谷ハロウィンも、集まってしまう人の数を少しでも減らそうと、あらゆる工夫がなされていた。

世間一般で人ごみはすっかり「悪い結果をもたらすもの」というイメージがついている。
梨泰院の事故や、数年前の渋谷ハロウィンで車が横転した騒動などがきっかけだろう。

大きな集まりであればあるほど、社会からの注目度も高いので、
ちょっぴり興味はあっても、「あんなところにいたって知られたら…」と不安になる人も多いはず。

かくいう筆者がそう。
ベイスターズも、ハロウィンも、かなり好きだ。
優勝も嬉しいし、仮装したたくさんの人も見てみたい。
だから、その日限りの「ライブ感」みたいなものを味わってみたい、という好奇心がないわけではないし、集まる人々にも共感はできる。

しかし。
もし、大きく報道されるような事故が起きたら?
それに巻き込まれてしまったら?
巻き込まれずとも、そこにいたのに何もしなかった、また、図らずも加担してしまった、と誰かにバレたら?
人が集まったことで迷惑した人に、どこかで出会ってしまったら?

色々心配ごとが多すぎて、なかなか参加する勇気が出ないものだ。

加えて、ついこの間まで幅を利かせていたのが、コロナ禍である。
とにかく集団になってはいけない、という風潮が数年続く、という異常事態。
ここ最近ずっと厳しく制限されていたことをいきなり再開するのは、割と難しい。

人混みにネガティブなイメージが定着するのも当然だ。


人ごみはこれからなくなっていくのか?

人が集まることがよからぬものとして認識されている現状、
コロナ禍で浮き彫りになった「人ごみがない世界」の快適さ。
この二つを鑑みても、社会は確実に、人ごみを淘汰する方向に向かっている。

とても納得できる流れだ。

しかし、なんだかとてもさみしい気がするのは、筆者だけだろうか。

SNSをはじめ、これからバーチャル・リアリティなんかもどんどん進化して、人々がリアルで集まり、熱狂する機会は一層減るだろう。
電子空間で「〇〇優勝おめでとう!」「ハロウィンばんざい!」と叫び、液晶画面に紙吹雪や花火を散らすんだろう。
ハロウィンを待たなくても、誰もが好きな見た目に仮装できる空間で。
着替えや移動の手間も省ける。出不精の筆者向きかもしれない。

仮想空間をリアルに描いた2018年の映画『レディー・プレイヤー・ワン』の一場面(画像はIMDbより)

古い人間と思われるだろうが、やはり、筆者はどうしてもそれにノレる気がしない。
いや、今ですらリアルでもバーチャルでも人ごみに参加すらしていないのだが。
でも、喜びなどの一時の感情の盛り上がりは、やはりリアルで体感したいのだ。
あの、うおおおっという地響きのような歓声の渦の真ん中に、一度くらいは立ってみたいものである。
もちろん、自分自身も声を上げながら。

やっぱりこうやって「熱狂」したい。仮想空間の発達した未来が舞台の『レディー〜』にも、リアルでの人々の興奮はしっかり登場していた。ありがとうスピルバーグ(これもIMDbより)

26年ぶりの栄冠に沸く横浜でなりふり構わず勝利を祝う人々を見て、そう感じた。



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