
34.「歴史に名を残す」とは・下
↑ 昨日は、とにかく歴史に残ることを重要視する権力者について書いたので、
今日は、どんな形で歴史に残るかについて書きたい。
どう記録されるか
いろいろ、現代に残るものをみていると、歴史に名前が残ればいいってもんでもないな、と感じる。
記録が盛られちゃった例
このブログを読んでくれているみなさんが、夏目漱石と聞いて、最初に浮かぶイメージは何だろうか。
明治を代表する文豪、という人がほとんどだろう。
筆者は文学の研究者ではないので偉そうなことは語れないが、この評価は間違いではないと思う。
「坊っちゃん」や「こころ」が国語の教科書に載っていることもあり、日本で名前を知らない人はいない文豪だ。
森鴎外より読みやすいし、なにより、明治時代の人々の暮らしがリアルに描かれているので、ちょっとした歴史の記録としての価値もある。
しかし、
筆者は彼が英国留学後に家庭でどう振る舞っていたかを知って、結構見方が変わってしまった。
漱石は慣れない英国で2年以上を過ごす中で、精神と胃を病む。
そこまではいい。
そもそも留学自体が文科省に命じられたものなので、本人は望んでないし。
結局胃の病気で死ぬことになるので、かわいそうまである。
問題は、家庭に帰ってからのこと。
娘と火鉢に当たっていた漱石は、火鉢の縁に銅貨が載せてあるのを見るや、だしぬけに娘を怒鳴って殴りつけたのである。理不尽な仕打ちに娘は泣き出し、妻の鏡子にも理由がさっぱりわからなかったのだが、よくよく聞いてみると、次のような思い込みから出た行動だとわかった。
以下は、妻鏡子の口述筆記による『漱石の思い出』からの引用である。
「ロンドンにいた時の話、ある日街を散歩していると、乞食があわれっぽく金をねだるので、銅貨を一枚出して手渡してやりましたそうです。するとかえってきて便所に入ると、これ見よがしにそれと同じ銅貨が一枚便所の窓にのってるというではありませんか。
小癪な真似をする、堂々下宿の主婦さんは自分のあとをつけて探偵のようなことをしていると思っていたら、やっぱり推定どおり自分の行動は細大洩らさず見ているのだ。しかもそのお手柄を見せびらかしでもするように、これ見よがしに自分の目につくところにのっけておくとは何といういやな婆さんだ。実にけしからんやつだと憤慨したことがあったのだそうですが、それと同じような銅貨が、同じくこれ見よがしに火鉢のふちにのっけてある。いかにも人を莫迦にしたけしからん子供だと思って、一本参ったのだというのですから変な話です」
銅貨をみて子どもを殴りつけたという行為には、漱石なりに理由があったのだが、そこには根拠の乏しい推定や、まったく無関係な過去の出来事との混同といった、事実を歪曲した認識がみられる。
一方、普段の漱石は人当たりがよく、弟子の前では温厚な人物で通っていましたが、気難し屋の一面もあり、神経衰弱の発作が爆発した際には、鏡子や子供達にまで暴力を振るうことも多かったのだとか。
そんな夫婦関係を、半藤さんはエッセイの中で、以下のように指摘しています。
「今ならドメステックバイオレンスと騒ぎ立てて訴えることも出来ようが、当の漱石にはその自覚がまったくないのだから医師の診断を仰がせることも叶わず、常軌を逸した漱石が振るう暴力に鏡子はひたすら耐えるしかなかった」(同書より)
半藤さんは、いわばDV夫の暴力に耐えるしかなかった鏡子が、藁をもつかむ思いで縋ったのが占いやお祓いの類であり、夫の死後に重荷から解放されたかのように贅沢三昧をしたのも無理からぬことではないか、と同情的に述べています。
ネット記事しか引用できず申し訳ないが、帰国後の漱石がかんしゃくを起こすたび、家族に暴力を振るっていたのは、少なくとも確かな事実らしい。
年単位の海外留学を経験した明治人はけっこういたが、こんな風に家庭で荒れてる(そしてそれが記録に残されている)人は他に知らない。
文学者が完全無欠の人格者である必要はないけれど、
自分の個人的なトラウマで幼い娘に手を上げるのはさすがにひどいし、
「偉大な文豪」というイメージからかなりかけ離れている。
今なら炎上しそう。
漱石は歴史への残り方で、わりと得したタイプかもしれない。
まあ、文学作品っていう「記録」を自分で遺している、っていうのが大きいのかな。
記録がホラーに改変されちゃった例
最近、NHKBSのプレミアムカフェで、城と君主にまつわるドキュメンタリーの再放送をしていた。
中でもとくに印象に残ったのが、この回。↓
NHKのスペシャルらしい、現地の研究者をふんだんに登場させた、気合いの入ったつくりで、とてもおもしろかった。
オカルト好き、ゴシック・ホラー好きなら一度は聞いたことのある、ヴラド3世。
筆者は、ヴラド・ツェペシュという名前なのだと思っていたか、ツェペシュというのは名字ではなく、「串刺し公」という意味のことばらしい。
彼が父王を殺した反逆者や、侵略者、私腹を肥やした領主を処刑する際、生きたまま串刺しにすることを好んだから。
その伝説のあまりの血生臭さから、19世紀のゴシックホラー小説『ドラキュラ』の元ネタになったのは有名な話。
うわー、こわい…となる前に、よく読んでほしい。
反逆者?
侵略者?
私腹を肥やした領主?
こんなひとたち、処刑されて当然じゃない?
実際のところ、ヴラド3世は自分から侵略戦争を仕掛けたことはなく、オスマン帝国に突然侵略されて、圧倒的に不利な状況下で応戦したそうだ。
首都がとうとうオスマン帝国の手に落ちたとき、ヴラド3世はそれまでに捕らえていた捕虜たちを串刺しにして処刑し、それを凱旋するオスマン帝国軍に見せつけたらしい。
串刺しは単なる悪趣味というより、理不尽に国を追われた敗軍の将としての、せいいっぱいの抵抗だったのではないか。
このNHKの番組では、ルーマニアの子どもたちは、ヴラド3世のことを国を侵略から守った英雄と習う、と紹介されていた。
ヴラド3世をどう思うか、とのインタビューに子どもたち(小学生くらい?)は、
「やり方はちょっと残酷だったかもしれないけど、国民を守ってくれたのだからいい王様だったんだと思う」、
またある子は、尊敬する、とまで答えていた。
そして、「海外ではドラキュラって怖がられてるのがかわいそう」とも。

今年の年末にも、また新しいドラキュラ映画が公開されるみたいだ。
日本公開の情報まだかなあ。
映画自体はすごく面白そうで、筆者も観てみたいけれと、
ヴラド3世がまた、おそろしい人物として上書きされちゃうのかな、と思うと、ちょっとせつない。
筆者(ふつうの人)の名前の残し方
It's all forgotten now, the trouble and the pain
ぜんぶ忘れられちゃったよ、苦しみも痛みも
Forgotten, every word I said
きみに贈った言葉も
Forgotten, every tear you shed
きみが流した涙も、ぜんぶね
We're still in love
でもまだ、ぼくらは愛し合っている
筆者はひとりっ子だ。
つまり、筆者が結婚して子どもを産まない限り、将来的に筆者の存在を知る人は、この世界にゼロになる。
筆者は権力者でもなんでもないけれど、なぜか、この事実には不安を覚える。
なにも歴史に残るようなことを成していないのに、なぜか、自分の存在が未来永劫消えてしまうのは、こわい。
まあ、先のことはわからないし、
とりあえずダムナティオ・メモリアエされないように残りの人生がんばろうっと。