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33.「歴史に名を残す」とは・上

またまた、外国記者のすごい教養をみてしまった。

It would take the superhuman emotional control of a stoic not to save a son from prison — and Joe Biden is no Marcus Aurelius.

自身の息子を収監から救わない、という鉄の意志のためには、超人的な感情の抑制が必要になるだろう−−−そして、バイデンはマルクス・アウレリウスではなかった。

The Japan Times「Hunter Biden’s pardon is understandable — but wrong」(日本語部分は筆者訳、最終閲覧: 2024.12.4.)

マルクス・アウレリウス…?

なんで、バイデン大統領の息子の恩赦について書くときに、古代ローマの皇帝が出てくるの…?

後半部分は、権力者が身内を職権で助けてしまうことに関しての、いたってふつうの新聞記事だった。
これ以降、マルクス・アウレリウスは出てこない。

いったい、なぜ?

「元ローマ皇帝」って笑

賢帝といわれたようなので、きっと
「バイデンはマルクス・アウレリウスほど立派な為政者ではない」
的な文脈なのは間違いなさそうたが、
ざっと調べた限りだと、特に恩赦や世襲に関する話は出てこなかった。
強いていうなら、原文に登場するstoicの語源となったストア哲学の熱心な信奉者だったということくらい。

無教養を恥じるばかりだけど、
そもそも現代のアメリカ大統領を語る際に思い出されるほど、何百年も前の皇帝が記憶されていること自体、驚異的だ。

歴史に名を残す、ってなんだろう。

とにかく記憶されたい人たち

古代のはなし

古代ローマつながりだが、こないだ観に行った『グラディエーターII』で、印象に残った場面があった。


クーデターを企てたことがばれ、捕らえられた将軍と、皇帝とのやり取り。

画像は公式予告編より

そうか、この時代の人は、忘れ去られることがいちばんの恐怖だったのか。

映画でどう脚色されていたかは伏せるが、
史実では最後の画像に出てきたふたりの皇帝、カラカラ(左)とゲタ(右)は兄弟で、
まあ共同統治なんてうまくいくはずもなく、やがてカラカラ帝は弟のゲタ帝を殺して権力を独占する。

このときに行われたのが、ダムナティオ・メモリアエ(記憶の抹消)というもので、

要は、その人の痕跡を何もかもから徹底的に消し、その人の存在自体を永遠に歴史から消し去ってしまうことを指す。

今日のヘッダー画像は、ゲタ帝の部分だけが削り取られたふたりの肖像画。

画像はWikipediaより

↑  自分も弟もまだ幼い頃の家族の肖像なのに、それすらも「なかったこと」にしてしまうほどの怒り。 権力って、こわい。

古代ローマにおいて、このダムナティオ・メモリアエは、死刑よりも重い罰だったとされる。
どことなく、キリスト教の「肉体は死後に復活できないから、遺体が残らない火刑が一番重い刑」理論に通じるものがある。
古代ローマはキリスト教徒を迫害していたけれど、どちらも「あとに何も残らない」が最大の罰だったみたいだ。

現代のはなし

古代ローマほどではないにしても、ひとは権力を握ると歴史に記憶されたがるものなのかも、と思ったきっかけが、この記事だ。↓

―ウクライナ侵攻の予感は持っていましたか。

(中略)異変に気づいたのは、21年11月、侵攻3カ月前のことだ。政治状況に詳しい知人から「危険な状態にある」と聞かされて、目覚めさせられた。さまざまな取材も来たので、自分なりに蓄積してきた知識を総動員して答えたが、それ以来、過去2年間、ほとんどノイローゼ状態が続いている。

 2年前、僕が主に語ったのは、プーチンにおけるユーラシア主義についてだ。北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大への恐怖ばかりではない。ウクライナとベラルーシとロシアの三位一体で一つの共同体、ユーラシア国家のコアをつくることを夢見ているということ。つまりロシアを土壌とする精神世界の崩壊という危機感だ。

 当初、この視点は、皆無といってよいほどなかった。独裁者としてのミッションというのか、長く政権が続くと必ず歴史を意識し、歴史の上で自分は何を成したかということにこだわりはじめる。それが、プーチンのユーラシア主義の根幹にある精神的源だ。

(中略)
―今回はプーチンが絶大な権力と国民の支持の勢いのままに侵攻したというより、自らの権力や体力の衰えを意識する中で、そのような「歴史的行為」に及んだのではとも感じるのですが。

 歴史的行為、というのはまさに至言で、そういうことは大いにある。他方、歴然とした事実として、ウクライナのNATO接近に、徐々に恐怖が募っていったことは間違いない。これは、大祖国戦争(ナポレオン戦争)に始まり、独ソ戦、そして冷戦と受けつがれてきた恐怖、いや、一種のトラウマに近い。また、先ほど言った独裁者としてのミッションに通じるテーマでもある。

時事ドットコム「ロシアと向き合う勇気◇『戦争』と『独裁』への文学者のまなざし―亀山郁夫さんに聞く(前編)」(最終閲覧: 2024.12.5.)

―ソ連崩壊の記憶はプーチンのユーラシア主義につながります。

 権力者は栄光の座に長くとどまると、個人的な欲望というよりは、歴史の中での立ち位置を意識するようになる。根源的欲望がそこで露出する。国家間の矛盾を暴力的に消し去ったり、敗北の歴史を帳消しにしたりしようとする究極の行為の一つが戦争だ。

 ポーランドやフィンランドはロシアに対し非常に警戒心を持っているが、プーチンはほとんど関心がないはずだ。

 むしろスターリン時代のような孤立主義に戻りたい。くどいようだが、プーチンが目指しているのはウクライナとベラルーシとロシアを統合することにある。そこに一個の、グローバリズムに対抗できる強力な共同体を築き上げること。理論的支柱は、何も、(ネオ・ユーラシア主義を掲げる右派思想家の)アレクサンドル・ドゥーギンだけではない。生誕200年を迎えたドストエフスキーまでが助っ人として駆り出された。

 そうして、(ロシアは大ロシア、ウクライナに対する蔑称の意味も持つ小ロシア、ベラルーシから成るという)いわばスラブ派的な三位一体の理想を実現できれば、それ自体が、免罪符になると独裁者は考えている。その時、意識されているのは、歴史だ。(全ロシアの支配者「ツァーリ」を称し皇帝専制体制の構築を進めた)イワン雷帝に遡る歴史。そこへ民衆ともども逃げ込む。

 そのような文脈で、ウクライナは今極めて危険な立場にあり、全部飲み込まれる可能性がある。和平交渉も、当然、厳しいものになる。もちろん、それによってロシアもまた(戦争にのめり込むことで)地獄を見ることになるわけだが。

時事ドットコム「ロシアと向き合う勇気◇『戦争』と『独裁』への文学者のまなざし―亀山郁夫さんに聞く(後編)」(最終閲覧: 2024.12.5.)

だいぶ時代がくだるが、現在進行中のウクライナ戦争にも、プーチン大統領の「歴史に名を残したい欲」が少なからず影響している。
というか、上の論考を読むと、この「欲」が武力行使の原動力まであるっぽい。

ロシア(とウクライナとベラルーシ)を統一し、スラブの共同体をつくりあげた偉大な人物として、プーチン大統領はどうしても「歴史に名を残したい」。

その欲であたまがいっぱいなので、
いくら罪のない民間人や自国民が死のうが、
世界にそっぽを向かれようが、
あらゆる制裁を科されようが、
まったく目に入らない。

このままだと、自分の一方的な野心のためだけに国際秩序をぜんぶ無視した大量殺人者として「歴史に名を残す」ことになるのに。
それこそヒトラーみたいに。

まだ、気づいていないのか。
それとも、もうとっくに気付きつつ、それでもどんな形であれ、とにかく自分が歴史に残ればいいと思っているのだろうか。

明日は、歴史に「どう」残るかについて書きたい。


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