またまた、外国記者のすごい教養をみてしまった。
マルクス・アウレリウス…?
なんで、バイデン大統領の息子の恩赦について書くときに、古代ローマの皇帝が出てくるの…?
後半部分は、権力者が身内を職権で助けてしまうことに関しての、いたってふつうの新聞記事だった。
これ以降、マルクス・アウレリウスは出てこない。
いったい、なぜ?
賢帝といわれたようなので、きっと
「バイデンはマルクス・アウレリウスほど立派な為政者ではない」
的な文脈なのは間違いなさそうたが、
ざっと調べた限りだと、特に恩赦や世襲に関する話は出てこなかった。
強いていうなら、原文に登場するstoicの語源となったストア哲学の熱心な信奉者だったということくらい。
無教養を恥じるばかりだけど、
そもそも現代のアメリカ大統領を語る際に思い出されるほど、何百年も前の皇帝が記憶されていること自体、驚異的だ。
歴史に名を残す、ってなんだろう。
とにかく記憶されたい人たち
古代のはなし
古代ローマつながりだが、こないだ観に行った『グラディエーターII』で、印象に残った場面があった。
クーデターを企てたことがばれ、捕らえられた将軍と、皇帝とのやり取り。
そうか、この時代の人は、忘れ去られることがいちばんの恐怖だったのか。
映画でどう脚色されていたかは伏せるが、
史実では最後の画像に出てきたふたりの皇帝、カラカラ(左)とゲタ(右)は兄弟で、
まあ共同統治なんてうまくいくはずもなく、やがてカラカラ帝は弟のゲタ帝を殺して権力を独占する。
このときに行われたのが、ダムナティオ・メモリアエ(記憶の抹消)というもので、
要は、その人の痕跡を何もかもから徹底的に消し、その人の存在自体を永遠に歴史から消し去ってしまうことを指す。
今日のヘッダー画像は、ゲタ帝の部分だけが削り取られたふたりの肖像画。
↑ 自分も弟もまだ幼い頃の家族の肖像なのに、それすらも「なかったこと」にしてしまうほどの怒り。 権力って、こわい。
古代ローマにおいて、このダムナティオ・メモリアエは、死刑よりも重い罰だったとされる。
どことなく、キリスト教の「肉体は死後に復活できないから、遺体が残らない火刑が一番重い刑」理論に通じるものがある。
古代ローマはキリスト教徒を迫害していたけれど、どちらも「あとに何も残らない」が最大の罰だったみたいだ。
現代のはなし
古代ローマほどではないにしても、ひとは権力を握ると歴史に記憶されたがるものなのかも、と思ったきっかけが、この記事だ。↓
だいぶ時代がくだるが、現在進行中のウクライナ戦争にも、プーチン大統領の「歴史に名を残したい欲」が少なからず影響している。
というか、上の論考を読むと、この「欲」が武力行使の原動力まであるっぽい。
ロシア(とウクライナとベラルーシ)を統一し、スラブの共同体をつくりあげた偉大な人物として、プーチン大統領はどうしても「歴史に名を残したい」。
その欲であたまがいっぱいなので、
いくら罪のない民間人や自国民が死のうが、
世界にそっぽを向かれようが、
あらゆる制裁を科されようが、
まったく目に入らない。
このままだと、自分の一方的な野心のためだけに国際秩序をぜんぶ無視した大量殺人者として「歴史に名を残す」ことになるのに。
それこそヒトラーみたいに。
まだ、気づいていないのか。
それとも、もうとっくに気付きつつ、それでもどんな形であれ、とにかく自分が歴史に残ればいいと思っているのだろうか。
明日は、歴史に「どう」残るかについて書きたい。
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