12.料理はめんどくさい?
こんなニュースを見た。
そもそも、日本人は料理を楽しんでいない、なんて調査結果まである。
あんなに多様でおいしい日本食を生み出してきた日本人なのに…
要はどれも、家庭で料理をする人、ないしそれを「楽しい」と思っている人が減ってきている、ということを伝えている。
ブログを始めて一週間も経たないうちに日本食の豊かさについて書いたくらいなので、言うまでもなく、筆者は食べることが大好きだ。
太ることさえ気にしなくてよければ、おいしいものを好きなだけ食べたい。
でも、食べることと同じくらい作ることが好きか、と聞かれてしまうと、素直に頷けない自分が確かにいる。
あんなに食に興味があるのに、一体なぜだろう。
金銭的なことは別として、純粋に料理という作業について考えてみたい。
料理のおもしろいところ
好きなものを入れられる
食べることが好きで、色々な料理を食べたり、料理に関する本やテレビ番組に触れたりしていると、料理人でもないのに、食材や調味料についてやたら詳しくなってしまったりする。
筆者は、知識が増えていくこの過程がだんだん愉快になってきて、積極的に料理をするようになった。
例えば、たまたま入ったスーパーで、ちょっと高級な輸入もののオリーブオイルが安く買えたとする。
せっかく質がいいみたいだし、いつも通りに使うのはちょっともったいない。
そういえば、いつかイタリアンのシェフが「ペペロンチーノはオリーブオイルのおいしさが一番重要」みたいなことを言ってたな。
じゃあ、本気のペペロンチーノを作ってみよう。
それならにんにくと唐辛子も買おう。具なしはつまんないから、こないだ買って余ってるキャベツも刻んで入れて、あ、ツナも合うかな…
もはやペペロンチーノじゃないかもだけど、まあいいや。…
…みたいな感じで、芋づる式に頭の中で一皿が出来上がっていく。
ここまでやる気になってしまえば、キッチンで行動に移すのは簡単だ。
世界中のレシピを試せる環境
筆者は紙の新聞を愛しているので、もっぱら新聞の料理記事からレシピを学ぶ。
特に気になったものを切り取ってノートにまとめているのだが、
最近、それをホームパーティに持っていったら、すごく驚かれた。
「レシピ帳の作り方が一昔前すぎる!」
「今はクックパッドとか、スマホ一つでレシピを見たり保存したりできるのに、新聞記事あつめてるの?」と。
たしかに。
ネットは何につけても便利なものだけど、特に最近の料理サイトの進化はすごい。
たとえばオムライスを作ろうと思ったら、
おいしいチキンライスの作り方から卵をいかにふわふわに仕上げるかまで、
多種多様な情報が検索ひとつでヒットする上、その過程の一つひとつが写真や動画で確認できる。
わざわざネットを使わなくても、スーパーにごまんとある「○○のもと」的商品のパッケージの裏面には、作り方や用意すべき材料が事細かに説明されている。
現代は、歴史上もっとも料理下手にやさしい時代だと、つくづく思う。
自己肯定感が上がる
たまに、厨房がホールから見えるタイプのレストランがある。
涼しい顔で重たそうなフライパンを振るい、火に怯むことなくフランベし、信じられないくらいおいしい料理を作る料理人たち。
狭い空間をくるくる立ち回りながら、洗ったり切ったり盛り付けたり、無駄な動きなんて一つもない。
そんな姿は、いつ見てもかっこいい。
筆者が台所に立つときは、その「かっこいい人たち」の一員になった気分で料理をする。
こんなに手際よく料理できてすごい!プロみたい!と、心の中で自分をほめながら。
鍋でメインを煮込んでいる間に、火を使わない別の料理を完成できたとき、
また、麺や野菜を茹でている間に、洗い物を終えられたときの達成感といったらない。
究極のマルチタスクである料理がスムーズにできることは、少なからず自信になるし、ちょっと誰かに自慢したくなる。
ちなみに今日のヘッダー画像は、いつも筆者の料理の様子を見にきて自己肯定感を上げてくれる、ペットの柴犬さんだ。
料理のめんどくさいところ
手間
考えてみれば、料理はそんなに広い範囲を歩き回るわけでも、激しく腕を動かすわけでもない。
しかし、肉体的に疲れづらいデスクワークやリモートワークでも、料理がめんどくさくなってしまう日はある。
なぜか。
それは、料理が頭脳労働だからである。
冷蔵庫に何が残ってたっけ。
お米は昨日炊いた分がまだあったっけ。
昨日は何を食べたっけ。
今の季節は何が安い(旬)だっけ。
帰り道にスーパーあったっけ。
食べるのは何時くらいになるんだっけ。
作るのはどのくらい時間がかかるんだっけ。…
一回の献立を決めるのに、これだけのことを考えないといけないのだ。
そりゃ、一日の仕事で疲れ切った頭にはしんどすぎる。
疲れているときには、マルチタスクは負担にしかならないのだ。
時間
3分クッキング、なんて長寿番組があるように、簡単な料理は短時間でできるもの、という社会通念はたまに見え隠れする。
しかし、短時間で「料理」と呼べるものが作れるのは、よほど料理に熟練した主婦か、料理好きか、プロしかいないと筆者は声を大にして言いたい。
週末に趣味レベルで台所に立ったり、料理に関する情報を普段見ているだけの人は、シンプルなサラダを作るのにすら数十分かかったりする。
ほかならぬ筆者がそうだ。
料理を積極的にするようになった、なんて先に書いてしまったが、それは仕事で疲れていない上、時間が十分にとれる日に限る。
作ったことのない料理に挑戦し、何をどうすればいいのかすぐに判断できず、時間ばかりが過ぎてしまうときの虚しさ。
楽器でも工作でもなんでも、まるで難しくないというような顔をしてやすやすと作業できる人は、たいてい、長年の経験で身につけた技術を持っているのだ。
「ちゃんとした料理」の定義
冒頭の記事では、「家庭の味」はみそ汁やカレー、肉じゃがなどを挙げる人が多いみたいだ。
この3つは、誰もが料理と呼ぶことに異論のない、正真正銘の「ちゃんとした料理」だろう。
先に書いたペペロンチーノのように、筆者は料理の中でもパスタを作るのが特に好きだ。
ナポリタン、たらこ、カルボナーラ、和風、と、パスタなら出来合いのソースを使わずに、かなりのバリエーションを作れると明言できる。
だが、パスタは「ちゃんとした料理」なのだろうか?
和食でもない。
麺を茹でて、そこに味をつけるだけ。
そもそも、「ちゃんとした料理」とはなんだろう?
たとえば、専業主婦や、小さな子どものお母さんは、必ず「ちゃんとした料理」を作らないとだめなのだろうか?
料理に苦手意識があったり、めんどくさいと思う人の中には、単に技術がどうということではなく、こういった見えないプレッシャーに苦しめられている人も多そうだ。
筆者の料理との付き合い方
筆者が一番料理をめんどくさいと思うのは、平日にお弁当をつくるときだ。
筆者の仕事はシフト制のため、お弁当を作れる日と作れない日がある。
具体的に言うと、さすがに朝5時に起きて電車に乗るのが精いっぱい、の朝勤務の日は、お弁当を作る余裕がない。
でも、出勤時間がまあまあ遅かったり、次の日のお弁当に流用できるような充実した夕食が作れる時間に帰れる、他のシフトの日なら作る余裕がある、といったぐあいだ。
そのため、筆者はなるべく朝勤務以外の日は弁当を作るよう心がけている。
でも、筆者も人間なので、つい寝坊してしまったり、会社の近くの人気ランチに行ってみたくなったりする。
そういう日は、素直にその気持ちを認め、弁当作りをすっぱり諦める。
こうして力を入れすぎないことが、料理を嫌いにならない秘訣かも、と最近気づいた。
さて、あと一日で週末。
明日のお昼は、どうしようかしら。