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102.東武百貨店池袋店「画業50周年記念 わたせせいぞう展」

長年のわたせせいぞうファンである母と、池袋に行ってきた。 ↓


ヘッダー画像は、今年のバレンタインに合わせて描き下ろされた『ミモザ日和』という作品なのだが、
この画風でピンときた方も多いと思う。

多分いちばん有名なのは、80年代の『ハートカクテル』シリーズだけど、たとえこの漫画を知らなくても、
JRの広告や、

画像は公式Instagramより
これも公式Instagramより

旅行雑誌『ぴあ』の表紙、

画像はPR Timesより

CDの宣伝、

画像はわたせせいぞう公式サイトより

最近では、NHKで短編アニメが放送されたことでも話題になった。


つまり、代表作ひとつが有名というよりは、色々な媒体でその画風が知られるアーティストだ。
世代問わず、「どこかで見たことある」というような。
実際、池袋の展覧会にも、中高年をはじめとして多様な年代の人が訪れていた。

インターネットだのSNSだのの発達で、なにかと人々の「普段目にするもの」が多様化する中、この認知度の高さはすごい。

これほど有名で、作品も売れていて、今なお根強い人気があるのに、
今回の百貨店での展覧会は入場無料だったことに、まずびっくり。
あと、販売されていた直筆作品が、ほとんど10万円以下だったことにも、びっくり。
お金に頓着しない方なんだろうか。

今回は会場内の撮影がほとんど許されていなかったので、わたせさんの作品を見て筆者がいつも感じていることについて書きたい。

なぜ、心を動かされるんだろう

母の影響で、わたせさんの作品を目にする機会は人より多かった筆者だが、
自分ではなぜかわからないものの、わたせさんの作品を見ると、いつもなんだか涙が出てきそうになる。

わたせさんの絵はほとんどが恋人を描いたもので、
すてきな場所を散歩していたり、ピクニックしていたり、いい意味で「なんてことない」場面だ。
それでいて、ある種のおとぎ話のような、幸せそうな空気が、画面の向こうのこちらから伝わってくるような、そんな作品たち。

銀座なんて、街頭インタビューでもよく目にするほどありふれた背景のはずなのに、この非日常性はなんだろう(画像は公式Instagramより)


見ていて泣き出したくなるような、悲しい、つらい場面を描いた作品はひとつもない。

筆者は美術館が好きだし、人に連れられて展覧会に行くことも多い。
でも、ほかの画家の作品でこんな気持ちになることは、まったくないと言い切れる。

一体なぜなんだろう。

今回、展覧会に来てみて、気づいたことがある。

それは、題材になる恋人たちの一コマが、
一緒にいる場面「ではない」ことが多い、ということ。

たとえば、遠距離恋愛はよく描かれているテーマだ。
離れていても一緒の時間を過ごそうと、電話しながら同時に乾杯する話とか。

画像は公式Instagramより


さらに、もはや恋人同士ですらなく、別れてから偶然再会したときに…みたいな物語もある。


恋愛がテーマの作品が圧倒的多数なのに、「いちゃいちゃしている」話は驚くほどない。

筆者はここに、すごく心を動かされる理由があるのではないかと考える。

わたせさんの作品の恋人たちは、とにかくアナログなのだ。
何が言いたいかというと、彼らが連絡をとり合うのはいつも電話。
作品が描かれたのがスマホもネットもない80年代だから、と片付けられないのは、
最近になって描かれた作品でも、ふたりがSNSを使う場面がほとんどないことからもわかる。

コロナ禍で普及したzoomを使えば、離れている相手とも顔を見て遠距離デートができるし、
別れた恋人の近況だって、SNSを見ればなんとなく窺い知ることができる。

でもわたせさんの絵の中の恋人たちは、そういうことはしない。

だからこそ、電話口の向こうから聞こえてくる懐かしい声や、
何年ぶりかにほんとうに偶然再会して、思い出が鮮やかによみがえる瞬間など、
その時「だけ」の感情が、見ているこちらにも伝わってくるのだろう。

ネットの発達でなんでも便利になったことは、もちろんたくさんの恩恵ももたらしたし、多くの人を助けていることは間違いないけれど、
その過程で失われてしまった、ささやかな人のつながりのうつくしさみたいなものが、わたせさんの絵には閉じ込められている。

だから、もう二度と戻ることのない過去の、人間模様のうつくしさみたいなものを絵から感じて、
筆者は涙が出そうなほど心を動かされている、と結論づけたい。


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