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増えていくバッグの謎

バッグが増えていく。小さいのも大きいのも、素材も形状もバラバラなのが。そして部屋の一角を占拠する。

「いらんよね?」と思いながらも、「かっわいいなコレ…サイズ感もちょうどいいし、この金具斬新!」と思いポチして部屋に鎮座させると、去年買ったのと大差なかったりして愕然とするのだ。記憶喪失なのか?自分。

堂本光一氏が「服なんて布やん」みたいなこと言ってた気がするけど、「バッグなんて袋やん」といつも自分も呟いている。なのに買う。なんなんだろうか。

コレクション癖といえばそれまでかもしれないが、なぜかバッグばかりなのだ。靴はそうでもなく、なぜかバッグ。

昔読んだ何かで、「女性は子宮に似た袋をバッグで集める」みたいな生々しいのがあったけど、もしや無意識の本能的な何かなのか?という気もしてくる。もちろん男性だってバッグ好きな人もいるんだけど、女性よりは少数だろう。

バッグにこれほど関心があって吸引力があるのだから、バッグにはなんらかの魔力が宿っている気がする。ただモノを収納し持ち運ぶだけのものではなく。

考えてみると、バーキンとかお高いものは(買えないというだけでなく)あまり関心がなく、プチプラものばかり。

最近売り飛ばしたり譲ったりしたものは、大きすぎたり小さすぎたりで、内容量や体型との兼ね合いがそぐわなかったものばかり。ほかには年齢的に甘すぎたり派手すぎたりするもの。

残るバッグを見てみると、素材や色、形にありとあらゆるものが出揃っている。ビニール、ストロー、キャンバス、合皮、本革…もちろん、お洋服に合わせて頻繁にチェンジする。ハンドルもあったりなかったり、デザインも乙女ちっくだったり男前だったり。だけど全てに出番はなかったりする。日の目を見ていないものが多数ある。

そういえば付随してポーチやエコバッグ、サブバッグも大量にある。やはり袋…?袋状のものが好き…?理性的な脳内では、必要ないなんてとっくの昔に理解してる。不必要極まりない。

なのになんだろう、この有り様は。

今日は遠出の予定がある。内容量は多めで活動量も多めのため、両手の空く斜めがけバッグがいい。そして秋も深まってきたので、部分的にファーがついたものやカーキ系が気になる。でもこれは金具が大きいから重いし、軽いナイロンのリュックにしようか。いや、今日は人混みに出るから盗難の恐れもあるし、背中が不安だ。となると2個持ちか…?ミニポシェットにサブバッグ?いや、でも今日は暑くなるのでマイボトル必須?それだと重くなるな…うーん。思考が激しく入り乱れる。

考えてるうちに小一時間経ってたりする。その隙に天気予報がまた移ろう。降水確率が増えている。折り畳み傘の有無はどうか。出先でメイク崩れはあるか。ならメイクポーチは…

女性が出がけにドタバタするのは、案外こんなしょーもない事情があるのかもしれない。

そして結局どうでもよくなり、「いつものコレでいっか!」と出てゆく。ミニマリストさんなら、この「いつものコレ」一つで済むのだろうな。引き換え、自分はなぜこうなるのか。

考えてみたのだが、もしかして女性のバッグにはチョイス要素が多すぎるのかもしれない。

たとえば、私の母親はポケットが沢山ないといけないそうだ。とくにバッグの外側についてて欲しいという。切符やハンカチなどを仕舞うのだそうで。
また、間仕切りはありすぎるとモノを見失うため、1〜2部屋に限るらしい。そして、底が見えなくなるほど深いといけないので浅め、つまり横長バッグが良いらしい。さらに肩が痛くなるので細めよりは太めのショルダー紐が良く、素材も軽めでなくては疲れてしまう。つまり金具は最小限に抑えたものがいい。

などとちょっと考えただけでもこれだけの選ぶ要素がある。これじゃオーダーメイドするしかない。

いま少し分かってきたことがある。不満が多いのだ。「ここがもっとこうじゃなきゃ」みたいなのが多すぎるのだ。ただのワガママなんだろうか?

つまり、あれもこれも求めてるうちにバッグジプシーになるのかもしれない。

と、これを朝のベッドの中で書いたところでお出かけの時間が来たので、そろそろお布団から出てまた膨大な中から、本日のバッグを頑張って選ぼうと思います。

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