【ミュージカル】キャッツ
お正月に、広島へ劇団四季のミュージカル『キャッツ』を観に行きました!実に9年ぶり2回目の観劇です。前回は2階席だったので、今回は1階席からどんな風に見えるか楽しみです😊
正直普段からそんなにミュージカルを観るわけではないのですが、キャッツは別。歌もほとんど覚えてるし、一番好きなミュージカルなので、本当に楽しみです♪
会場となる上野学園ホール、外見は思ってたより古くて、「え、大丈夫?」ってなったけど、中はそれなりに綺麗だったし、なによりも舞台装置がすごく凝ってて楽しかったです。
↑こんな感じで、都会のゴミ捨て場をイメージして作られてます。猫目線なので全部でかいです。いろいろゴミのセット自体も凝ってて、中には広島ご当地のものも混ざってたりします。(もみじ饅頭とか)
そんなこんなで始まる前から楽しめるのですが、いよいよ本番が始まると、やはり猫たちのしなやかな動き、巧みな踊り、歌唱力に圧倒されました。さすがは劇団四季! 特に、最初に歌うジェニエニドッツの声量の凄さと、次のラムタムダガーの、ちょっとおちゃらけたファンキーな感じの外した歌い方が絶妙に上手くて、この辺りは本当に酔いしれました。
そんな感じで猫たちが歌い踊るだけのストーリーも何もない話なので、シンプルなものなのですが(それゆえちょっと大人向きかも)、ただこの中に1匹だけ異彩を放つ猫がいます。それがグリザベラという年老いた娼婦猫です。薄汚い格好でフラフラと歩き、ダンスもおぼつかない。他のみんなからは煙たがられ遠ざけられています。彼女の歌う曲は他の猫のものとは違い、暗くて惨めさが伝わってきます。正直私はこのグリザベラのことも、ナンバーのことも、今回の観劇前まではあまり好きではありませんでした。
ところが今回、彼女が最初に歌うシーンで、ふと、おや?と気づいたのです。彼女は社会的弱者の象徴ではないのか?だいぶ飛びますが、物語の最後に彼女は、精一杯の心を込めた名曲「メモリー」を歌います。簡単に要約すると、遠い過去の思い出に胸をはせ、それらを抱いて明日に進もう、という趣旨の歌です。すると、その歌に触発された赤ちゃん猫のシラバブが初めて彼女に触り、さらに猫たちの長であるオールドデュトロノミーが彼女を今年の猫に選び、彼女は天国に召されることになります。これは社会的弱者の救済と同時に、「死→生」や「日の沈み→昇り」という流転、移り変わりを示しているのではないかと。一番年老いた彼女に赤ちゃん猫が触れるということは、今まで誰からも相手にされなかった彼女に繋がりという名の温もりが生まれることであると共に、新たな命、新たな世代にバトンが受け継がれるということでもあります。それが一番純真で汚れもないシラバブであるということが、新たな命の誕生、成長という、生命にとってかけがえのない事象を示しているという風に、私には見えました。ここらへんに気づいた時、私は、「あっ、これってグリザベラの話なんだ。」と思うようになりました。今までどちらかといえば、猫たちと同じく疎んでいたグリザベラの存在がとても尊く、むしろ彼女がいるからこそ、このミュージカルは唯一無二の名作となっているのではないかと思うようになったのです。ですので、最後の歌なんか、もう卒倒するぐらい感動しました。しかも役者さんの歌い方がまた上手くて、最初の辺りはまだたどたどしく抑え気味に歌っていたのが、サビの部分になると、思いっきり感情が溢れ出すように、自分の思いを全霊でぶつけてくるような、そんな歌い方でした。だからダブルでドバー😭
(p.s. ちなみに私がこのような発想をするに至った経緯としては、数日前に映画『ジョーカー』を観ていたからということもあります。この映画の主人公はグリザベラと同じく社会的弱者ですが、残念ながら救済されることはありせん。こちらの方が大半の人にとっては現実なので、キャッツの方が甘い理想論に見えるかもしれませんが、この物語がある種の寓話性を孕んだ抽象的なものであることを踏まえると、私にはこのような宗教的にも思えるメッセージは特に違和感なく、むしろ感動を覚えるものとして受け取ることができました。)
というように、今回の観劇で気づいた点は、グリザベラを中心とした物語の構成のされ方でした。あと、当たり前かもしれないけど、久しぶりに生のミュージカルを観て、生っていいな、って改めて思いました。役者の迫力や生命力が伝わってきた。猫たちも結構座席横の通路通ってくれたし、最後にはアスパラガス役の人と握手もできた。(とてもがっしりしたごつい手でした🖐️)もちろん、もともと好きだったキャッツの魅力である、歌もダンスも楽しかったです。私の好きなスキンブルシャンクスの歌はやっぱり良かった♪会場もみんなノリノリだったし。