一日の感覚を限界まで引き延ばす手法①初めての場所

  1. 初めての場所に行き、様々な事を経験する

  2. 慣れない行動を行う

  3. 新しい発見.知見を見つける

  4. スケジュールを作り、ジャンルの違う分野を幾つか設定し、その通りに行動する。

  5. スケジュールに組み入れていない空白の箇所で何か行動する

  6. 日常の何気ない動作の中に知見や思考を加える

  7. 数分間情報を遮断し、何も考えない時間を作る

※合間に実用例など

はじめに

私は歳相応のおじさんでありたいので、同じおじさんであれば目一杯体感時間を延ばし、公に尽くす変人おじさんとして進化しようと目論んでいます。[どうせなら普通の人が多い方が世の中も良くなるだろう]という事で未だ体感時間の引き上げに苦労されている方には、できるだけ多くの知見を添えて活用できるよう取り組んでいきます。

初めての出来事を経験する

 普段行けないような遠くの地方や海外はもちろん、今まで経験した事のないような物事への行いや、新しく趣味を始めることで、普段の生活で自動化された認識を新たに更新しなければならず、初めての場所や趣味に適応できるよう頭を働かせ、結果的に体感時間を長くさせることができます。旅行は国内でも十分体感時間を伸ばせますが、文化そのものが異なる海外では更に時間を伸ばせるかと思います。

 日本で見慣れた看板や車は国内どこへ行っても同じです。しかし、海外では見慣れた看板までも既存の情報を更新しなければならず、その頻度の増加により体感時間が長くなるでしょう。
 旅行先の宿で[疲れたけどあっという間だった]という言葉をよく聞きます。行動している間は日常とはかけ離れた未知の空間(旅行先)に遭遇しているため、未知に対応しようとあれこれ模索し、脳が周囲が安全な環境だと判断された際に[あっという間だった]と感じた。未知の空間による朗らかな警戒心が時間を消滅させる。私はそのように捉えています。未知の空間内では時間があって時間がない。興奮状態で時間の視認すれば体感時間はより長く感じ、この感覚を一日で何度も繰り返していく事で、一日が一週間に匹敵する程の体感時間を手にできると思います。

 [あっという間だった]と感じるなら体感時間は短いのではないかという意見が挙がると思われますが、これは[日常場面]と[非日常場面]で区別をつけることで、あっという間ではありますが、確かに体感時間は長かったと感じられるでしょう。
 [日常場面]では日々が見慣れた行動、食事、娯楽、そして一日の大半を占める仕事等の熱したバターの様に溶けてゆく時間の使い方により時の経過が早くなります。日頃が充実しているならどの場所でも時間が長く感じられますが、多くの方は反射的に過ごす一時の連鎖により時間が早く感じていると思われます。中には一年が一ヶ月の様に感じる人もいるかもしれません。この一年に情報が更新されないことで時間が短縮されます。この日常が永遠の17歳を二十代後半にまで繰り上げ、桜の翌月は木枯らし、還暦祝いの翌年は古希祝いという珍現象を生じさせるワケです。
日常生活は心の動きが少ない分問題がなければ穏やかに過ごすことができますが、人間であれば過剰な退屈は耐え難いもの。また違った刺激が欲しいと思わずにはいられません。しかし日常場面ではあっという間がそのままの意味でのあっという間となってしまい、ただ無常に時が流れるだけです。

 対して[非日常場面]では自分の体感するもの全てが日常とは違う。例えば遠くへの旅行というと、主軸は東京大阪京都沖縄あたりてしょうか。気温や現地での雰囲気、さらには生息する生物の種類まで新鮮味や驚きに溢れ、これらを情報として把握しようとすると瞬間的に長く感じられる。
 時計を時計として意識していないと時間は短くなりますが、後々記憶を振り返れば充実した時間を過ごしていた事に気づくでしょう。この時間こそが日常で得られた情報と非日常で得られた情報の差であり、全ての感覚を用いた情報更新と後の振り返りにおいて、吸収されたその感覚は非日常の時間を長いものとして再認識させています。特に観光先で忘れ物をした、目的地が休業日だった、その他トラブルがあったとなればもう最高です。その間は途方もない程の時間を味わえることでしょう。
私も外出先で大雪のために電車が運休になり、折角という事で目的地まで約2時間程度歩きましたが、道は悪く、キャリーケースは重たいで無限に感じられるような時間を過ごしました。その分目的地に着いた時の喜びも大きかったのは今でも覚えています。


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