単純論 完全な単調化は存在するのか?

 単調化意識とは、自身に利益のある物事を積極的に追い求め、自身に損害のある物事は徹底的に忌避する思想であると述べた。では、純化の入り込む余地のない程振り切った完全な単調化は存在するのだろうか。
 結論から述べると、瞬間的に存在するもの、持続的に存在するものの二つが確認された。今回は瞬間的な面を除いてみよう。
 瞬間的な一面では、自己中心を基にした嫌悪対象排他思想の極地であり、自身に降り注がれた不快感情を滅するべく、対象人物を複雑に絡み合った人間として認知せず、自分に害を与える不都合なモノとして非人間化する。その扱い方は自分とそれ以外のヤツ、我々とアイツらといった自分たちの集団には絶対入れようともしない強力な断絶思想を有する。
 高単調化人間のヤツ視点について見てみよう。彼がヤツを排除するに至る視点を持つにはいくつかの段階を越えなければならない。まずは高い割合の単調化思想を抱く過程が必要であり、それがなければ大多数の人々は中庸意識を抱いた社会人として社会で活躍することになる。そのため、単調化思想を形作るには幼少期の安全基地が喪失、または存在しえなかった環境に偶然置かれてしまった過去が重要だろう。その安心できる避難用シェルターが空欄、倒壊したことにより常に生き残る為の暗中模索、適応行動に追われ、まるで社会が自分の生死を隔てる魔境の様な感覚に陥り、サバンナで暮らすかの如く苦痛を与えるモノは徹底的に廃し、快楽を与える行為に狂奔する。そこで身につけたものが自分、またはそれ以外と断じる単調化意識による分断と、完全で短期的な快楽を溺愛し状況問わず苦痛は一方的に排する快楽追求思想である。この思想を矯正する人間が現れなければ、たとえ成人年齢に到達したとしても内面は単調化意識が中心となり、所謂体だけ成長した子ども、多少の我慢を必要とする常識すら持ち得ない成獣人間といわれる輩が輩出され、この過程によって全体的な高単調化人間が出来上がる。

 
紐付けされた全体的な高単調化思想を土台とし、自らの価値に反するものは、[快楽対象への嫌悪撤回要求][集団内の除外行為][除名処分][組織による拘束][一方的な私刑]などをはじめ、より一層排除思想が濃いものだと殺害すらも厭わない物理的抹消手段を用いる。
 これにより、極度に高まった単調化思想に該当されるのは集団からの除外であり、この地点では完全な単調化には至っていない。最終工程への立役者は、社会、人間からの排除勧告である。
 厳密に言うと社会が明確に排除しようとしている訳ではない。単調化の極地に至る人間は、自分が社会から除外されていると感じる出来事であれば、どのような些細な出来事であっても本人にとっては耐え難い苦痛な出来事であり、その機会が社会にとって当たり前そのものである[他者に危害を与えてはいけない]という原理的良心を決壊させ、被害者への怨恨や無差別殺人に繋がる。
 瞬間性を有する完全な単調化は対象に危害を与えられる範囲且つ加害行動(物理的排除)へと移行した瞬間から対象に危害を与えるまでの僅かな時間に発生する。この状態に至れば無理矢理拘束するか本人に怪我を負わせようとも行動不能にさせるか以外に対処法が存在せず、またこの間はいかなる説得も通じず、本人の内面を前に躊躇や法律は消滅する。

 この手遅れの状態に陥る前の高単調化思想の時に親しい人物をはじめとした周囲の介入が絶対不可欠となる。
だが悲しいかな、高単調化人間への介入は機関やシステムの尽力ありつつも完全な単調化に対する防波堤を築く喫緊の課題に追いついておらず、現在も原理的良心の決壊が後を絶たない。



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