単純論 単純を形成する常態意識 補足-親ガチャへの見解

常態意識としての再定義


今日の意識として分類されているものには、顕在意識・潜在意識といわれている概念が既に存在している。しかし、これらは意識は主に用語として使用され、さらに意識が分類されているため実践的な用途を目的とした単純論では少々使い勝手がよろしくない。そこで、意識に関係するもの全ての影響を踏まえた常態意識という統合意識を用意した。
 
 常態意識は、出生から現在まで続く出来事、養育環境や学校、職場、交友関係、偶然の体験といった環境をはじめ、養育者から引き継がれる遺伝子や集団生活に於ける社会規範、情勢まであらゆる情報からかき集められた思想を基に自身を構築する意識であり、常態意識ともう一つの概念によって単純割合の大まかな区分けがなされる。
 日常全てを網羅するべく構成された意識なので、知見がなければあまりに空白であり、思慮に欠けた情報密度の脆弱性が短所ではあるものの、常態意識によりそれまで無関係だとして目も向けられなかった自由による思想の拡張度の高さ、政策に影響される社会へと蔓延る思想、嗜好する対象も視野に入れつつ、人間の心理を推察していきたい。

第一の常態意識 養育環境

 第一の常態意識は出生から続く養育環境に大きく作用される。養育者をはじめとした兄弟や親戚、範囲を広げれば近隣住民、地域にまで及び、その範囲内で培われた思想や風習が周囲の人間にどう作用されているか、また世間の視点で自身が誕生した地域はどう映っているか。ここでは主に父母を対象に養育環境を覗いてゆく。
 親ガチャという社会通念から見て取れるように、自身の出生先によって自身の人生に多大な影響を与える/被ると言われるほど親の能力/思想は子供の成長に大きく関与する。特に多くの教養・収入を獲得している親ほど子供の成長に関する十分な教育や、親が人生で経験した十分な知恵を幼い頃から与えられ、実質遺伝する様に子どもも親と同水準の知恵、収入を獲得する事が可能だという仕組みである。
 ここで重要なのは、あくまで同等の教養・収入を手にする思想を手にする権利が提示されるだけであり、その権利を掴むかどうかは常態意識で培われた子供の思想次第であり、ここに親の干渉域から外れた意思や信念が隠されている。この意思こそが権利を授かりもたらされる恩恵を得るか、拒むことで親の意向から外れる人生を歩むかの舵取りを握っている。

親ガチャへの見解


 余談ではあるが、社会通念の一つとして親ガチャを挙げたものの、親ガチャの由来が筆者としてはあまりに哀れに感じられた。親次第で人生の大多数が決まるといわれるが、そこには地域住民の存在が根こそぎ消滅させられている。地域の繋がりが強かった年代は多少親の躾が悪くとも地域の躾が上手い近隣住民が躾の代わりを行うことでどの子供も情緒に偏り少なく成長できる地域による恩恵があったが、現在の都市開発により首都圏を筆頭とした地域の繋がりが縮小され、それに伴い親の格差が可視化される事で養育環境に不満を覚えた子供達から親ガチャという概念が誕生してしまった。本当に繋がりを持った地域がごく僅かという中で、成長を担う親の能力の格差を予想していなかった世間に対し、親ガチャと明確な矛先もわからず電子端末に吠える満たされなかった子供達。この惨状の打開策は避難先として子供に直接手を差し伸べる智慧を体得した他人の大人が社会に蔓延することが肝要だが、その様な余裕と智慧のある大人が子供に比べて圧倒的に少なく、また干渉できる範囲もインターネットに比べて限定的であり、さらに他者に奉仕する思想と合理主義が噛み合わず、他者奉仕=時間の無駄と導かれ、子供の手を差し伸べる他人を美徳とするも自身は実行を見送り、追い討ちには窮した子供に干渉すれば不審者として警察の世話になりかねず、それによって無干渉という態度の説得力が増してしまい他者奉仕の利点に困窮してしまう事態である。子供に危害を加える加害者は取り締まるべきだが、純粋な善意であっても加害者と同列に判断されてしまう現状も払拭し難いが、一度定まった社会通念はなかなか変えることはできない。どの思想であっても他者奉仕に結びつく思想の整備、普及が急がれる。

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