コンプマシマシのときに書いた黒歴史


小学三年生の時、家族3人で寝ている寝室で私は目が覚めた。最初に聞こえたのは小鳥の声でも当時使っていたコラショの目覚まし時計のアラームでもなく父親に何か言っている母親の声だった。寝起きの頭を動かし、少し時間をかけて母親の言っていることを理解し始めた。
「その人とどこまでしたの?Hしたの?」
確かこのような言葉が最初に耳に飛び込んできた。静かに怒っている母親の声と言っている内容から私は父親が浮気したのだと理解した。
「いや…Hはしてない…キスはした…」
うざったい寝起きのような弱々しく反省していないような小さい声で父親が答えた。怖いもの見たさで私はうっすら目を開けて両親が話しているところを見た。母親は正座で座っており、父親はだるそうに寝っ転がっていた。今考えてもとてもじゃないがありえない。体勢の差に腹が立つ。その後、母親が私に対して
「○○(私の名前)が可哀想だわ。ほんとに。」
と言いながらその時被っていたブランケットを私にかけ直しながら言っていたところで記憶が途切れている。きっと寝てしまったんだと思う。この記憶ははっきりと覚えている。この言葉が私をさらに傷つけていること、きっと母親は知らないだろう。母親を悪者にはしたくないが心は嘘をつかずに傷ついてしまう。
次に続いている記憶は先に起きてリビングにいた私に対して、起きてきた母親が雨戸を開けに行こうとしながら
「パパ、浮気したんだって。不倫ってやつ。」
と言われた記憶。私は事前にその事を知っていたのであまり驚いた反応はしなかったと思う。だが 私の考えは間違いではなかった のだと自覚させられた。
話が少し飛ぶが、中学2年生になり急に
"父親が浮気をした"という事実が辛く気持ち悪く思えてきた。それまではなにも影響を与えていなかった…と言えば嘘になるかもしれない。
私は昔から男性と話すことが少し苦手だった。今はありがたいことにネットで私と話してくれる男性がいるのでネット上でなら少し話せるようになれたが小学校の頃は人見知りな性格も相まって男性と関わることをしてこなかった。今思えばこれは父親の影響なのではないかと思う。母親から
「男は父親みたいな人しかいない」
と言われ続けていたので尚更話せなくなっていたと思う。
話を戻して中学2年生に入ってから急に男性からの愛が欲しくなってきた。またこれがだるい。男性と上手く話せない癖して愛を欲しがるしもし、愛を貰ったとしてもその愛をダラダラと疑い続けるのが目に見える。今、父親からは愛されていないと思っているし、愛されていたとしても1度だけだとしても母親と私以外の女にあげたような愛なんて要らない。気持ちが悪い。
浮気以外の事も沢山ある。その事が積み重なり父親という存在自体が嫌いになりつつある。きっと塵が積もれば山となるというやつ。だけれども完全に嫌になるということはしない、出来ない。今は父親と雑談することはほとんどと言っていいほどないが、父親が嫌いになっていない時には沢山話した、遊んだ。嫌なことも良いこともあった。その時の良いことが私が父親を完全に嫌いになれなくさせてくる。優しくされた記憶が、一緒に楽しんだ記憶がもう何回と思い出したか覚えていないほどに邪魔をしてくる。思い出す、覚えているほとんど嫌な記憶の中にほんの少しある優しい思い出、ぬるい優しさ、使い古された思い出。私はこれが怖い。また父親と関わったら傷つくことも怖いが、完全に嫌いにさせてくれない思い出が増えるということも同じくらいに怖い。
「僕、○○(私の名前)に嫌われてるのかな。」
父親がそう言っていたと母親から伝えられた。どうして自覚していないのか、自分がしたことを振り返らないのかが謎。もう関わらない方がいいとはわかっているが変な罪悪感が働き変に話そうとしてまた父親のことが無理になっていく。最近はしていないが言われたときにはずっとこれを繰り返していた。これは私の年齢でよく言われている反抗期と言うやつなのか、それとも反抗期では無いのか。父親のことを話してくださいと言われた時に嫌な事しか頭に思いつかないのは反抗期なのかそうじゃないのか。'反抗期だからこそさらに父親がダメになっているのかもしれない。大人なり、この気持ちが薄れて欲しい気持ちと父親を許すようなことを願うことが許せない自分がいる。結局は親なのだ。そう簡単に憎むことが出来ない。悔しい。'
'こんなに父親のことを悪く言っているのに私には父親の血が通っている。口が悪くなるがバカクソきしょい。こんなに私を傷つけているのに、私が傷ついたようなことを私と関わってくれている人に無自覚にしているのかもしれないというのがとてつもなく許せない。父親と同じようなことを考えているのかもしれない、しているのかもしれないと考えただけで嫌気がさすのに傷つけているのならたまったもんじゃない。'
だけど私は"可哀想な自分が好き"。だから父親や置かれている環境のことを必要以上に悪く言い私が可哀想だと自分や周りの人にアピール、言い聞かせているのではないか。この文章もすらすらと言葉が思いつく。自分が可哀想なことを話しているからだろう。5年後に黒歴史になる未来が見える。そう考えると自分が気持ち悪く思えてくる。

中3になった今はこのような気持ちは薄れている。きっと周りの情報に触れすぎてコンプレックスに感じていたのだと思う。今は普通に話したりしている。

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