やっぱりそもそも論が大事
今日もそもそも論を無視して協議、議論している無能集団がいた。
なぜ本質を無視して手法を決めようとするのか。
デキる人間の好事例を表面だけパクろうとするのか。
意味がわからない。
そもそも同じ車でも、
売れる人間と売れない人間にわかれる。
売れる人間は顧客の目線に立ち、
家族構成、用途、財布を握っているのは誰かにどリサーチしていく。
とにかく相手の情報を気持ちよくさせて、
話させる。
売れない無能は、
覚えたての車の性能を語る。
誰も聞いちゃいない。
採用も同じだ。
新卒採用なんて、
ブランド力のない企業は採用担当が学生に尊敬されないと承諾なんてしない。
こんな素敵な人がいる会社は素敵に違いない、と思わせるしかない。
企業の取り組みなんてプレゼン力がない無能が話せば、子守唄にしかならない。
そもそも能力がない人間が何をしても時間の無駄だ。
まずは無能を自覚して、無能になっている要因を潰していくしかない。
それが嫌なら余計なことをしない。
それか転職をしてくれたらそれで十分だ。
そもそもこちらは期待をしていないことを自覚して、邪魔をしないようにしてくれたら、それで評価をする。
とにかく優秀な人財の邪魔をしなければ、
居ても良いのだから。
そもそも優秀な人間と人畜無害の人間で構成された組織でないと業務は進まないのだ。
無能はそれがわからない。
つくづく罪である。