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エルメスの顧客は誰か?-「彼女と。」を振り返って

美術館へと足が急ぐ。
予約した19時までまだ余裕があるとわかっていても何となく落ち着かない。
同じ時刻の人たちが並ぶ列の後ろにつくと、ようやく雑談をする余裕ができた。

他ブランドが回顧展と称して(あるいは暗に匂わせて)昔作った製品やセレブリティーの所持品を展示する中、
エルメスが企画した展覧会は「今」に焦点を当てたものだった。
その内容はエルメスからのアナウンスを見ても皆目見当がつかず、
内覧会の体験記事を見ても概要がつかめず、
私はただ「エルメス」というネームバリューと「入場無料」という言葉に惹かれて予約した。
そんな浅はかな客でも迎え入れてくれるのだから懐が深い。

内容はどれだけ言葉を尽くしてもやっぱりうまく伝わらないと思うのだが、
端的に言えば、展覧会全体を通して「彼女」とはどういう人物かを考えていくストーリーだった。
会場には「彼女」の服や小物が並べられ、
「彼女」と出会った人物たちがカフェや花屋でその人となりを語る。
強くて、優しくて、自由奔放で…と、いくつもの形容詞が並べられるが、
聞けば聞くほど、できあがりそうな人物像が崩れていく。
話を聞く限り、「彼女」はとても大胆で魅力的。
周りの男女を惹きつけてやまないという意味では完璧な人格の持ち主だ。
「そんな人、本当にいる…?」
疑り深くなっていく展覧会の終盤、私の頭の中に浮かび上がったのは
それぞれが人格の中に持っている「彼女」だった。
すべてを完璧に持つ人は存在しない、
でもそれぞれの中に「彼女」のような魅力的な部分は存在する、必ず。
そして、そうした「彼女」たる部分を持つ人全員を
「エルメス」は顧客として受け入れるーーー
もしかしてこの展覧会はそのことを伝えたかったのではないだろうか。

ふと振り返ってそんなことを考えていた折。
「エルメス」の半期決算が増収増益とのニュースを聞く。
それは「マーケティング部を持たないのに」、と若干の驚きを持って報じられていた。
「彼女と。」を経験した今になれば、
マーケティング部がないのも納得がいく。
なぜなら彼らはすべての人を潜在顧客と考えているから。
そして自分が「彼女」でありうるか、
つまり「エルメス」の顧客としてふさわしいかどうかを決めるのは、
ブランドではなくその人自身であるべきだから。
それは変に下手に出て「お客様は神様」扱いをすることではなく、
「ふさわしい客になってから出直してらっしゃい」という上から目線でももちろんなく。
「お互いに切磋琢磨しあう相手でいましょう、私たちも恥じない物作りを続けていきますから」という意思表示なのではないだろうか。
思わず姿勢をピンと伸ばしてしまうようなその結論にたどり着いたとき、
「エルメス」というブランドのすごさをまざまざと見せつけられた気がした。


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