Good grief…(やれやれ…)

私には好きな言葉がある。こう書くと、ほんとはたくさんありすぎて選べないことが分かるが、ちょっと日常の苦労で疲れた中で思い出したものについて触れてみたい。

タイトルのGood grief.は英語だ。私はこれを「やれやれ…」と覚えている。それはPeanutsの主人公チャーリー・ブラウンたちが時々口にする決り文句で、谷川俊太郎氏があてた名和訳の一つだ。

子供の頃、アルファベットと少しの単語を覚えた頃だから11~2歳だったと思う。スヌーピーのコミックがたまたま家にたくさんあり(別に両親ともそんなに好きだったわけではなく、客商売をしていたためにお客向けにそろえたようだったが)、それを読んでいて不思議な気持ちがよく湧いた。

それまでマンガはくだらなくて面白いものか少年少女や大人の心を刺激し積極的に揺さぶるものだと思っていたので、とても驚いたのを覚えている。他の4コママンガなどともどこか違って、日常的な暮らしの中で感じる、大したことではないが個人には大きい悲しみや恥ずかしさやがっかり、虚しさといった微妙なネガティブな感情が織り交ぜられていたためだった。

当時の自分はこんなふうに評論していた訳ではなかったが、言葉にすればそんな感じが読み取れていったのは確かだった。

おまけに、それでいて彼らの日常生活も日々続いていく様子が分かった。学校があり、四季があり、家のお手伝いがあり、友達と遊ぶ。もちろんマンガなので年はとらないのだが、子供の頃のある時期、そんな日々もあるものだ、と当時も今もなんとなく伝わるシリーズだ。

著者のチャールズ・M・シュルツ氏は、心優しい人のように思える。そして、戦争体験がある。その悲惨さやずるさに触れ、ご本人もその中できれいごとだけではなく過ごしたろうが、多感で早熟な人であり、何より「壊れきらなかった人」だったのだろう。自分の中の繊細な気持ちの動きを、子供の頃から生き残っている大切な感じ方をコミックに描き続けてくれたのだ。

日本で近いのは水木しげるさんや長谷川町子さんだろうか?水木さんも心根がやさしい(着眼点はちょっと変わってるが)そして人生折れずに生き抜いたという点で似ている。そして、長谷川さんのサザエさん(原作の方)には実はウィットに富んだ日常の中に、少し残酷な現実が含まれているように感じさせてくれる。そういえば三人とも戦争体験があるのだったのは偶然だろうか?

さて、そのスヌーピーのコミックの中に子供の私にもつかめた決り文句がいくつか出てきて、その一つが「Good grief」なのだ。

自分のちょっと誇大的な空想が現実の中での自分の限界のために失敗し、恥ずかしかったりやるせない気持ちになった時、そしてそれを(悪気なく屈託のないいじわるだと分かるのだが)友だちからいじられたり、からかわれたり、さとされた時、後悔や虚しさ、羞恥心とともに彼らは、時には天を仰いで、時には残念そうにうつむいてこう言うのだった。

「Good grief...(やれやれ…)」

誰かと遊んでる時に、自分に向けるだけのシーンもあったし、友達に向ける場面もあったように思う。時には、自然の中でのんびり過ごして自問自答の末、寂しさとこの世の儚さとを感じて独り言で言っている時もあった。

それが登場するシチュエーションはバラバラだったが、一貫した気持ちを示していることが子供の私に響いたのだと思う。あまりに気になって、まだ英語は教わったこともなかったのだが、親の英和辞書を開いてgriefの意味を調べてみた。

確か悲哀とか残悔の念とか書いてあったのではなかっただろうか?本当はどうだったかと辞書をひきそうになったが(当時とは異なりネット検索だけど)、今はやめておこう。

Good morning, Good byeなどの言葉は知っていたし、それらが「よい朝ですね~」とか「お別れだけどよいお別れだよね~」といった感じから来るのかな?とニュアンスとして捉えていたので、なんだか複雑な気持ちになったのは今でも色鮮やかな記憶だ。

「よい後悔?よい悲しみ?」当時の私にはまったく初めての言葉の組み合わせ方だった。そのために、「ショック」というか、何かモヤモヤ気になり続ける結果となった。まったく言葉の接続として直感的に理解できなかったが、マンガの1シーン1シーンの情景にはとてもマッチしていた気がしたからだ。

チャーリー・ブラウン、スヌーピー、ライナス、シュレーダー(当時はシュローダーではなかった)、ルーシーやペパーミントたち、それぞれ性別も人種も人か犬かも関係なく、明るい子、悩ましい子、意地悪な子など性格も様々だったが、みなそれぞれの人生(子供なのでそうは思ってない風だったが)の壁にぶつかり、いたしかたない状況だというようにこのセリフを口にするのだった。

私は、今思うと、このシーンにどこかホッとしていたのだと思う。それほど強くはなかったとはいえ、こじらせたところがあった自分の暮らしの(ある意味誰にでもある)生きづらさを、それは体現していたし、そのセリフをしょっちゅう言うキャラたちは、同時に屈託なく平和な日々を満喫してもいた。

私が英語やアメリカに興味をもったきっかけの一つがここにあったのだなぁ。登場人物全体というか世界観(このマンガは実はセカイ系なのだろう)全体がシュルツさん自身から来て、それを「やれやれ…」と翻訳してくれた谷川氏に私は人生の一部を支えられたのだな、と思う。

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