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法務部の成り立ちと、その選択圧

こんにちは、松永です!

今日は、法務の未来を描くために、まずは、過去に遡って、法務部の歴史を紐解いていきます。


法務部の成り立ち

まず、日本において、法務部はいつできたかということですが、以下の記述が参考になります。

企業の中で,主として法律問題を扱う部局が最初に誕生したのは,第二 次世界大戦前の三井物産ではないかと思われる。その「文書部小史」によ ると,三井物産の法務組織が「文書部(課の誤植か?)」の名称で初めて誕 生したのは,大正 3 年(1914年)とのことである3)。三菱商事に法律問題 だけを扱う部局が総務部から独立して文書課ができたのが,昭和13年 (1938年)のようであるから,主として法律問題を扱う部局が独立したのは三井物産の方が三菱商事より24年も早い。同小史によると,その後,昭 和14年 4 月に三井物産は「文書課」を「文書部」に名称変更している。

「総合商社と国際企業法務の変遷」平 野 温 郎他編 『企業内法務部のあけぼの』

ここにつづけて、当時主として法律問題を扱う独立の部局があったかどうかは定かではないが、国内の訴訟がほとんどない一方で、国外の訴訟にはいくつかあり、商社が巻き込まれていたとしていました。

特に調査はしていないですが、国際取引の複雑性、英米法と日本法との違いなどから、リスクをマネージする必要性が相対的に高かったと想定されることから、商社から法務部が創設されたとしても違和感はないですね。

戦争及び戦後復興期

その後、日本は、戦争及び戦後復興期の混乱の中に置かれます。

戦前から終戦後しばらくの間は、大企業においても総務とか庶務とか呼ばれた部署の係員が一般事務をやりながら兼務の形で、なにか法律問題が生じたときには、顧問の弁護士先生のところに駆けつけて、指示を仰いだり、紛争処理をお願いしたりするやり方が一般的であった。契約書の作成についても、このような弁護士先生の専権事項であった。

「法学入門」講座 企業法務部 実務の現場から 岡本幹輝

そもそも、戦争や、戦後復興の時代には、混乱の最中で、経済活動が活発ではないこともあり、会社組織自体が限定的だったものと思われます。

高度経済成長期

その後、戦争及び戦後復興期を経て、高度経済成長期に入りますが、その時期の法務部については、以下の記述が参考になります。

戦後も十年経つと、日本経済も復興期を経て折からの朝鮮事変の特需景気に浴したこともあって急速に力をつけ、米英を始めとする欧米先進工業国から競って新技術を導入して新製品を生産し、マスコミを利用した強力な宣伝により、大量生産大量消費の高度経済成長期を形成するようになる。このため技術導入のライセンス交渉や新しいマーケティング戦略策定のために、欧米諸企業にならって自前の法務機能を持ち始めるところも出てくるようになる。かくして家電や合繊など当時の先端産業といわれていた大企業の一部では、1960年代の初め頃から社内に法務課ないし法務部を独立部署として編成し、英文契約の起案をはじめとして行政上の許認可取得への対応などにおいて、各部門へのリーガル・サービスを供給する態勢を整えるところが出始めた。

「法学入門」講座 企業法務部 実務の現場から 岡本幹輝

なるほど。高度経済成長期によって、経済活動が活発になり、その中心となった家電や合繊などメーカーにも、法務部の設立の需要が生じたということですね。

バブル期前まで

その後、日本の経済が絶頂を迎えます。ジャパンアズナンバーワンの時代(1979年)ですね。

さてそれから更に十数年経って急速に欧米先進国に追いつくように力をつけた日本企業は、今度は技術を貰う立場から逆に、主にアジアを中心にした開発途上諸国に対して技術を輸出できるまでに成長してきた。このための現地合弁事業を設立したり、技術者を派遣して指導を行なうなどの必要性から、契約交渉の機会はますます増大し、製造業のみならず商社、金融などの大企業で、法律という専門知識を有した自前の法務部門を持つところはこの頃には一般化したといってよい。

「法学入門」講座 企業法務部 実務の現場から 岡本幹輝

この頃から、積極的に、海外投資を始め、それに伴って、関連企業にも法務部の設置の必然性が生じてきたようですね。

一方、高度経済成長の歪みともいえる公害や、サリドマイドやスモンに代表される薬害問題などで、一般大衆を原告とする集団訴訟もこの頃多発するようになる。このような環境問題や製造物責任を原因とする問題は、社外の弁護士まかせにしておける問題というより、自社の製品、製造工程や技術に通じた社内の専門家を養成して処理に当たらせるべき問題である。かくて常設の法務部門の設置は、本来的に間題を抱える製造業を中心に、大企業のみではなく広く中小の企業にまで見られるようになる。

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一方、国内では、高度経済成長の歪みから、公害訴訟が多発するようになり、自社の専門家を養成するために法務部を設置する圧力がさらにかかったようですね。

法務部創設の選択圧

最近、直近の研修の中で、選択圧という言葉が気に入っています。私の理解だと、現状の仕組みや制度は、過去のいろんな選択肢から、環境の変数によって選択された結果であり、選択される引力のようなものと理解しています。

法務部の成り立ちを見ていくと、当初は、国際取引におけるリスクマネージの選択圧から、商社に法務部の設立する選択が高まったと言えます。
その後の戦後の混乱期を経て、経済活動の高まりから、メーカーや金融へと広がり、裾野が拡大していったようです。

環境側の変数としては、国外取引の活発化、高度経済成長期により大量生産大量消費、新興国への投資、公害や環境問題などにより、法務部創設の選択圧が高まったように思います。

今日は、以上です!ありがとうございました。

なお、永遠のベータ版なので、誤りや気づきがあれば加筆・修正します!

参考文献


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