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日本思考遺産

かんながら

 先日立春を過ぎての初詣に行きました。
上総國一之宮 玉前神社。たびたびお詣りさせていただいているお社です。
初めて伺った時の歓びは忘れません。

 拝殿前に至る階段の左右石壁に大きく浮き彫りになっている文字があります。
社殿に向かって右に惟神祐一徳、左に惟民帰一徳と旧字体で素敵に立派な文字。どんな意味なのか。
丁度社務所から出ていらしたご神職さんに勇気を出してお尋ねしてみましたが、ご神職さんも定かでないとのことでした。
ここから興味がとても湧いてきてました。
何かワクワクした歓びを感じました。
 
 地元のお祭りで神社と関わることがあったり、日本の歴史や神社めぐりは興味があり好きなことでした。それが好きから探究考察に進化したようでした。
 
「惟神」はいくつかの神社の拝殿に額として掲げてあるのを見ていました。
惟神は、かんながら、かむながらと読みます。
その意味を調べると、神として、神のままに、神の思し召しのままに、などがありました。
惟神という言葉はとても古い時代からあるようで、その意味は確定しているとは言えないようでした。
 
 惟神の惟という漢字には、おもう、よく考える、という意味があります。惟神とは神を思う、神をよく考えるということになります。
神をよく考えるとはどういうことなのか。
かんながら、かむながらは古くからある言葉というけれどどれくらい古いのか。
もしかしたら縄文時代まで遡るかもしれない。平和を一万年以上も続けることが出来た人々が口にしていた言葉なのかもしれない。日本の原点の時代まで遡ってあった言葉だったらすごいなぁ。
惟神は目にしたことはあるけれど惟民は初めて。たみながらと読むのかな。祐一徳、帰一徳ってどういう意味だろう。なかなか奥が深そうだな。などと思ってワクワクが増し増しでした。
 
 惟神には深くて広い意味があるのではないかという氣がして来ました。
そこで縄文時代のことを調べてみようと思いました。縄文時代は平和が一万年以上も続いたと言うけれど、まずはどんな社会だったのか調べてみようと思いました。
そこから人々の思考と行動のかたちがみえてくるのではないかと。
「惟神」はその糸口かもしれない。
縄文探究、縄文時代の思考法の探究が始まりました。
 
ここまでお読みいただきまして
ありがとうございます。
少しずつ投稿させていただきたいと思っております。
よろしくお願いいたします。


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