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128日後に銀行員に転職するシニアエンジニア

自己紹介も兼ねて、これまでの経歴を振り返る。


序章 IT業界で働くきっかけ

大学在学中、卒業生が興したITベンチャー企業を生協アルバイトセンターで紹介され、大学で農学を学ぶ傍ら、プログラマとして4年間勤め上げた。各種ショッピングサイトや会員管理システムなどの構築を多数手がけ、この経験が今後もIT業界で働いて行こうと決意するきっかけとなった。

ここは「農学とIT関係なくね?」と結構聞かれるポイントではあったので、もし次の転職活動があるなら経歴概要のところにちゃんと書いておこうとは思う。次の転職活動などもう考えたくもないが。そろそろ骨を埋めたい。

「農学と金融関係なくね?」という意見をいただくことが多々あるが、まあそんなことはない。大学で都市計画法を学んだ話をすると銀行では大ウケする。意外なものが武器になるものだなあと。

なお、この時期に当時の上司から情報セキュリティアドミニストレータ試験を勧められ、2回目の受験で見事に合格している。

  • 情報セキュリティアドミニストレータ

当時は若かったためか、下位資格(初級システムアドミニストレータ&基本情報技術者)にはまったく興味が無く、そのような態度を咎めもせず情報セキュリティアドミニストレータ受験を勧めてくれた上司には感謝の言葉もない。また、この上司はネットワークスペシャリストを名乗っており、この頃からネットワークスペシャリストが目標のひとつであった。

1章 紆余曲折の末、生命保険業務へ

1節 日本航空経営破綻

入社時は物流に興味があり、それに近い分野ということで航空分野に携わっていた。当時は大昔のメインフレームがまだまだ元気で活躍していたが、運がよかったのか、着任したプロジェクトはJava開発であった。

2010年、まさかあの日本航空が経営破綻するなんて思いもよらなかったが。

この頃は資格取得はほとんど考えておらず、この仕事がない時期に自己研鑽しておけばよかったとは思う。結局取った(取れた)ものは入社前教育で課題とされた応用情報技術者のみ。

  • 応用情報技術者

自社ではほとんど評価されなかったものの、応用情報技術者以上の試験区分に合格していると転職時に非常に高い評価を得られるという点は忘れてはいけない。

2節 生命保険PMOになる

支払プロジェクト(4,000人月)のPMOという途方もない役割に「人が足りないから」というだけの理由で異動決定。要件定義フェーズ~保守フェーズまでの進捗管理、品質分析、構成管理、変更管理など幅広い実務を学ぶ。

今思えばこれはとんでもない経験。少なくとも2年目の若者がやるような内容ではない。生命保険の業務領域を雑に分けると新契約・保全・支払の3つに分けられるわけだが、この中でも支払は特に難易度が高い。要件定義フェーズ~保守フェーズまで全部やっているのも結構珍しいパターン。

プロジェクトマネージャではないものの、プロジェクトマネジメントを最初から最後まで全部やったという点は結構評価される。というより、ちょっと過大評価されている感はある。この頃が特殊なだけで、経歴の大半は開発だったので。やってやれぬことはないが。

2章 生命保険業務領域の開発者へ

1節 開発者への転向

1社目とは打って変わって、開発をメインで行うこととなった。Java、Oracle、Linuxなどのオープン系技術分野に加え、ネットワーク・ハードウェア・ミドルウェアなどの知識も活かし、サブリーダーとしてメンバーの技術力を底上げすることに注力した。

これだけだとマネジメント志向だと誤解されることも多いが、どちらかというと技術力でメンバーをぶん殴って従わせていたと言った方が正しい。技術力のある者が一番偉いと思っていたし、今でもその考えに変わりはない。

この「ミドルウェア」というのは主にApache HTTP Serverのことで、これがわかると必然的にUnix/Linuxやその基盤となるネットワークやハードウェアの仕組みも芋づる式についてくるので、ほとんどApacheだけで飯が食えた。というか今でも普通に通用する。一方で、ApacheがわかるJava技術者はほぼいなかった。逆にわからなくて困らないのだろうか。不思議。

業務領域としては新契約が中心で、いわゆる業務知識を求められる場面は少なかったものの、別領域ではあるが支払業務の全体像が分かっていたので、申込書データを作って成立まで持っていくくらいなら造作もなくやれた。業務知識は期待しないよう宣言はしておいたものの、意外にもこれが高く評価された。

さらに、意外と技術者がいなかったのが代理店業務。保険会社共同ゲートウェイという、保険業務の知識だけでなくインフラの知識まで求められる厄介な代物があるが、これも難なくやれる。普通は「基盤チーム」とかがフレームワークを完備してくれて、普通のJava技術者では関与しにくい領域ではあった。

2節 働き方改革

過労で体調を崩して一時休職。復帰した頃には、世の中は「働き方改革」などと言い出していて意味がわからなかった。

3節 社会への不安の中で

2020年、コロナ禍による不況が発生するも、保険業界に関してはほぼインパクト無し。仕事も普通にあった。

とはいえ、ある日突然仕事が無くなってしまうことを日本航空時代に経験しており、危機感は抱いていた。仕事が無くなってからでは遅いと思い、このときに資格取得を決意する。

この頃に取ったものは以下。

  • Oracle Certified Java Programmer, Gold SE 11

  • ネットワークスペシャリスト

  • CFP

  • 1級ファイナンシャル・プランニング技能士

  • 証券外務員一種

学生時代からの念願であったネットワークスペシャリスト試験に合格したものの、遅きに失した感はあった。無駄ではなかったが、20代のうちに取っておけばもっと違うキャリアパスがあったかもしれない。

4節 グランドスラム達成

内製化開発の推進を理由にベンダー削減が始まり、ごたごたに巻き込まれて異動が決定する。ベンダー削減された一方で、業務委託(社員代替)は増員しているという話もあり、内製化って一体何だろうなとモヤモヤすることはある。

異動先のプロジェクトはまさかの保全。奇しくもここで「新契約~保全~支払」という、生命保険業務3領域制覇(グランドスラム)を達成する。プロジェクトは一瞬で収束してしまったが、まあ気にしない。

5節 三本の矢

今年から着任したプロジェクトが外資系で、英語は必要ないとは言われたものの、英語が話せないと肩身が狭い。みんな英語で話していて、そのへんにインド人がゴロゴロいる。

このままだとクビになるなという危機感が常にあり、急きょ英語を学び直すことにした。その後、3か月足らずの学習で730点以上を達成。

  • TOEIC 730点以上

これでインド人と会話ができるかというと、技術的な非常に偏った分野の会話であればできる。「Javaアプリケーションをデプロイして、その後サーバーを再起動して」とか。会議で自分の意見を言ったりというのは今でもなかなか厳しい。

それ以外にも資格取得は継続しており、同時期に以下についても達成。

  • 証券アナリスト一次試験

  • ITサービスマネージャ

金融×ITという組み合わせを武器としていたが、ここに英語が加わると三本の矢みたいで面白いなあと。業務で英語を使うかどうかは別として、英語学習にはもっと早い段階で着手しておくべきだった。

3章 そして銀行員へ

転職が決まり、開発者から超上流工程への転向が確定した。三本の矢(金融×IT×英語)が綺麗にハマった構図である。

一応、申し訳程度に「エンジニア転職で年収1,000万円」も達成。怪しい情報商材を買わなくとも、こういう選択肢もあるという点は参考にされたい。

To be continued…

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