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テーマ:僕の信じる神は僕を儚いとは言わなかった
群像劇のようなお話が進んで行きます。とある牧師のお話
絶望の淵に立ちながら人々に助けられ、また助けた人


 教会はボロボロになってしまった。何度も立った説教壇はなくなり、それがあった場所には朽ちた木の残骸が積みあがっている。ステンドグラスは一部を除いて砕けている。教会一番の自慢だった聖母マリアの顔を跡形もなく崩れ去って、窓枠にステンドグラスの一部が残っているだけだ。
 天井を見上げると空が見える。ぽっかりと空いた穴から見える空はどこまでも青く、美しい。そして、寂しさというか、悔しさというか、なんとも形容しがたい感情が溢れてくる。朽ち果てるのはしょうがない、元々古い建物だったのだ。ステンドグラスだって建物を修繕した職人さんのご厚意で頂いたものだ。
 でも僕には、今からここでもう一度始める自信がない。信者が座っていたベンチに腰を下ろす。ベンチも朽ちていたり、ボロボロで座れなかったり、弾丸で穴が開いたものもある。命からがら逃げた内戦の成れの果てだ。
 唯一の救いと云えば祭壇が残っていることだろう。この中には、他の教会から分けて頂いた聖遺物が入っている。
 僕は祭壇を見つめた。今日ここに来たのは、これからの身の振りを考えようとしていたからだった。もし、祭壇が残っていなければ僕を育ててくれた司祭の元にお世話になろう。もし、祭壇が残っていればこの街でまた牧師として人々に教えを広めよう。そう心に決めてここに来た。
 結果、祭壇は残っていた。だから僕はまだこの街で頑張ろうと思う。しかし、その決意をもってしても、再出発と云える自信がないのだ。教会はボロボロ、衣類は今着ている一着のみ、これだって裾が擦り切れて、土汚れが目立っている。明日といわず今日の食べるものもない。食べるものは隣国からの救援隊の炊き出しに参加するか、「元」が付くかもしれない信者達に声をかけるかだ。
 教会の状態を見て、奮い立たせていた気持ちがしぼんでしまう。斜め後ろから『現実を見ろ』と『何も出来やしないんだ』と僕を責め立てる声が聞こえるようだ。
 何も考えたくなくて説教壇のある場所に立つ。聖書を置く場所がないから、聖書は手にもって読む。今は聖書を読んで、自分を落ち着かせようと思った。深呼吸をして声を出す。何度も読んできた部分を初めて説教壇に立った時をイメージして読み上げてみる。うん、意外と声は出るようだ。

 どれだけそうしていたか、流石に聖書を持った手を疲れ始めてきたときに一人の男が教会に入ってきた。虚ろな目で教会を見渡した後、ベンチに座った。ベンチの座面を懐かしそうに撫でている。男はやつれ、痩せ細っている。四十代か五十代といった所だろうか。
 いぶかしんで男を見ていると目が合った。へなりと笑う顔にようやく記憶が蘇ってきた。僕は彼に何度もあっている。彼がレジスタンスとして活動していたことは知っていた。でも、彼は多く見積もっても今年二十歳になるか、ならないか位だったはずだ。この一年でここまで老け込んでしまったのか……
 彼は、僕を呼んだ。返事をすると、口を動かして言葉を選んでいる。ようやく零れた言葉は、彼がレジスタンス活動で何をしたかを如実に語るものだった。
「戦争をしたくなくて、人を殺したのは罪ですか?」
 僕は彼を知っている。彼が、母親思いで、仕事に文句も言わないで取り組み、戦争を早く終わらせるためにレジスタンス活動に参加したことも知っている。
 その上で、僕は彼を糾弾できるのだろうか。戦争を終わらせるための行動を何もしなかった僕が、内戦中に逃げ惑うばかりだった僕が彼を悪だと断じれるのだろうか。
 考えが巡る、正義のために動いた彼が裁かれ、何もしなかった僕が裁く、とんだ皮肉だ。でも、僕は彼の行ったことを肯定することは出来ない。
「どんな理由であれ人を殺した時点で罪でしょう。主はそれを見ています」
 人を殺したことを僕は肯定してはならないのだ。


 戦争が始まったばかりの時は、街はいつもの通りだった。新聞は戦況を伝え、自国の軍がどれ程の活躍をしたかだとか、敵軍の捕虜をどうしただとか、何処までは真実か分からない記事が並んでは人々の関心と隣国への敵対感情を昂らせていた。
 徐々に雲行きが怪しくなったのは、夏の盛りの頃。地方の人々を街に集めて軍需工場で働かせ始めたのだ。既に多くの成人男性は戦争に行ってしまっている。この状況下で地方に残されたのは、女性や子ども、体の弱い男性だった。いつの間にか、隣国との戦争は、戦争に関わらせるべきではない人々すらも巻き込んだものになっていた。
 教会では、地方の人々が集められた段階で炊き出しを始めた。食べるものは配給制になり、食べるものは人々の手元に渡っていた。しかし、それがいつまで持つのかも分からなかった。
 地方にいた人々は畑を耕し、牛や羊を飼っていた人々だ。彼らを街に連れてくるとなれば、畑を耕す人もいなくなる。必然的に食料が不足することは目に見えていた。少しでも食料を備蓄しなければ冬は越えられない。
 それに、急激に増えた人口に街が対応できていなかった。大衆食堂には人が押しかけ、道には紙袋が捨てられるようになった。
 人々が安心して食事ができる所を用意する必要があった。炊き出しは毎週日曜日の礼拝の後に行った。始めは信徒の中の有志が炊き出しの手伝いをしてくれた。次第に炊き出しの準備をしてくれる人が増えて、多くの人が参加してくれるようになった。
 戦況はどんどん悪化していった。自国は優勢であると言っていた新聞は、敵国の戦略が如何に卑怯なものであったかと伝えていた。
 活気に満ちた街は暗く沈み、警官が道を歩くときは皆視線を逸らし、道を譲るようになった。子どもに話しかけられて嬉しそうに笑っていた警官はいつの間にか警棒を持って市民を厳しい目で睨め付けていた。
 ある日の礼拝が終わったあと、ベンチに座ったままの少年に声をかけられた。外の炊き出しに行かないのか声をかけようかと迷っていた時だった。
 少年の体は細く、見るからに病弱そうだった。幼さを残す顔立ちで、嫌な咳をしている。少年は言うか言うまいか迷っている風だったから、隣の席に座って決心がつくまで聖書をめくりながら待つことにした。
 聖書を開いて幾分も経たない内に、少年がか細い声で言った。
「戦争に参加したくないというのは、罪ですか? 」
 彼の目には少し涙が浮かんでいた。今まで抑え込んできたのであろう感情があふれ出てきているのだろう。
 僕はそっと彼の髪を撫でた。
「今の、この国では罪でしょう。しかし、主はそれを見ています」
 この国においては罪であったとしても、殺さないをいう選択を主は確かに見ている。彼がこの世界で罰せられようとも必ず主によって召し上げて頂ける。
 彼の思いは決して糾弾されるべきものでも虐げられるものでもないのだから。
「さぁ、炊き出しが始まっています。今日は貴方のお母さまも参加されていますから顔を見せて差し上げなさい」
 持っていたハンカチで彼の涙を拭って、席を立たせる。少年は、はい、と返事をして外に走って行った。
 どうか、彼にご加護をお与えください。


 日曜日の礼拝の後、大柄な男達が集まっていることは知っていた。少年がその男達の主張に心惹かれていることも、その様子を見ながら母親が心苦しそうにしていることも知っていた。
 街中で戦争をやめろと声高に言ったとしても、捕縛されて牢に入れてられて終わりだ。でも、礼拝が終わった後、数人しか人がいない空間では、お互いに口を閉ざしてしまえば何を言ってもばれない。
 少年が僕に問うたときも、その男達は教会内で国王に戦争をやめさせると宣言していた。
 彼らの言葉に僕はいつも曖昧に笑って「主の加護を」というだけに留めた。あの時は、僕の発言が、教会の不利益になることは絶対に阻止しなければならなかった。
 次の週、また次の週と過ぎるにつれ少年は男達と一緒に活動する時間を増やしていった。彼らのことを人々はレジスタンスと呼び、彼らの活動を支援しようと街の住民はお金を出し合っていた。
 彼ら、レジスタンスは人々を守るために国と闘ってくれる、そういった認識が広がり、彼らの存在が心の支えになっている人も多くいた。
 日に日に厳しくなる統制と減っていく配給、街に住む人々は贅沢を禁止された。それでも、大きな暴動が起こらなかったのは、レジスタンス達が動いてくれていると皆分かっていたからであった。
 それでも、人の心は曇り、攻撃的になり人々も一定数出てくるようになった。毎日を怯えて暮らす人々にも、内から湧き出る怒りを抑え込んでいる人々にも心の支えが必要になっている。僕はレジスタンス達のように声を上げられない人々を守るために礼拝と炊き出しを続けた。人々が行動を起こすのならば、その行動を起こす心を守る立場に成りたかった。
 レジスタンスが人々を守るために国と闘うのであれば、僕は人々を守るために信仰を守ろうと決めた。信ずるものがあれば人間は強くなる、信ずる対象がいるだけで救われる人々はいるのだから、僕は祈りを絶やすことは絶対に出来なかった。

 秋が過ぎて、冬を越え、人々が疲弊して、国も破綻しそうだ。それでも僕は祈りをやめなかった。日曜日の礼拝に来る人が一人減り、二人減り、それでもやめられなかった。これが僕の出来る戦いだと信じていたから。
 警官に監視されていることを知っても、僕自身は祈りを捧げる場所と時間を提供しているに過ぎないと、堂々とした態度で居続けた。
 何度か警察にレジスタンス達のことを聞かれたけれど、知らないと答えた。
 レジスタンスとして活動しているかもしれない人のことなら知っていたが、本当に活動しているかを僕は知らないし、彼らがどんな活動をしているかは知らない。結局の所、僕は何も知らなかったのだ。
 それに、去年の秋の終わりを最後に、彼らは教会に来ていない。あの嫌な咳をしていた少年が今どうしているのかを僕は知らないし、母親も知らない。礼拝に来なくなった人がどうなったのかも知らない。人々の救済に繋がると信じて、信仰を続けるだけだった。

 6月3日、新聞が大きく紙面を使って、貴族の邸が何者かによって放火されたことを伝えた。その日を境に、街のなかでは警官と住民との衝突が多発し、どんどん過激になっていった。
 警官が暴動の鎮圧と称して住民に発砲し、人々が多く集まる場所に爆弾を投げ込んだ。人々は手元にある僅かな武器で警官と闘った。
 レジスタンスによる貴族邸の焼き討ちが、抑圧されていた人々を解放した。
 ある者は警官を殺害し、ある者は平和を求める歌を歌いながら行進した。ある警官は無抵抗の子どもを殺し、ある者は自分のしていることが正しいのかと自問した挙句首を吊った。
 そして、街は戦場となった。
 僕も、教会も警官から追われる立場となっていた。
 教会に銃を持った警官が押し入り、破壊した。僕は命からがら逃げ延びて、教会が爆破される様を見届けることしかできなかった。持ってこられたのは着の身着のままの服と、ボロボロになった聖書だけ。
 「信仰を守ることで人々の救済になる」
 僕はそう信じていたけれど、本当に救われたのが僕だけだったんじゃないか。終わらない内戦と毎日積みあがる死体の数に、僕はなすすべもなく逃げ惑い、思い出したように祈るばかりだった。


 戦争が終わり、追われることもなくなった。山を彷徨い、街に少し下りては警官に見つからないように気を張る生活は、僕自身が思っていたよりも自分を追い込んでいたようだ。
 直ぐには街に戻れなかった。一度、別の教会に逗留し体を休めた。この時に、僕を育ててくれた司祭から辛いならば一度戻って来ても良いと連絡を貰った。
 連絡を貰って僕は考えていた。手元にはボロボロになった聖書がある。山の中で火が必要な時にも燃やすことが出来なかった。捨てることの出来なかった、僕の信じるもの。これがあればきっと何とかなると自分に言い聞かせていた。僕は信仰を捨てることは出来なかった。捨てていたら躊躇いなく、司祭の元に逃げ込んでいただろう。
 信仰を捨てられなかった僕は賭けることにした。僕が街でもう一度やり直すかを、一度街に戻ってこの目で確認することにした。

「どんな理由であれ人を殺した時点で罪でしょう。主はそれを見ています」
 レジスタンスに参加していた少年に答えてから、少し考える。僕は信仰を守ることで人々を救えていたのだろうかと。
 人を殺したことを僕は肯定してはならない、それは確かだ。でも、実際に街の人々に生きる希望を与えたのはレジスタンス達ではなかったか? 僕は誰も救えていなかったんじゃないか。僕の言葉はお綺麗ごとなだけで、何も出来ないんじゃないか。そんな考えがグルグルと頭の中を巡る。
 僕の答えを聞いた彼は、小さい声で、そうかぁ、そうかぁといって教会を出て行った。

 彼がいなくなってから、僕は日が暮れそうな空を見上げた。白い鳩が僕を覗き込んでくる。これからどうするのか? と問いかけるように見えた。
 僕はどうしたいのだろう? 信仰を守ることで人々を救えるのだろうか? 聖書の表紙を指先でなぞりながら考える。人々を僕は守ることが出来たのだろうか?
 今日はもう帰ろう。目の前の問題から逃げる子どものように立ちあがった。今の僕の問いに答えられる人間はきっと僕だけなのだから。今日は少し疲れた。
 鳩が鳴く。もう直ぐ山に帰る時間なのだろう。軋む床板を踏んで、夕日が明るい外に出た。
 外に出て、目を見開いた。
 礼拝に来ていた人達がいる。子どもが僕に気付いて「牧師さんだ」と声を上げる。その声につられた大人が僕を見る。
 次々と声をかけられた。皆手にボロボロになった聖書を持っている。どうやって手に入れたのか、パンを持つ人もいる。焼いた魚だろう物を鍋に入れている人も。
 内戦の中、確かに、人々に信仰は守られていた。
 ああ、なんだ。信仰は人々を守るものではなくて人々に守られるものだったか。そして、信仰は人々の拠り所になって、人々を癒すものだったか。

 僕は今、笑っているだろう。
「皆さん、お揃いですね。今日はオルガンも座席もありません。しかし、お手元に聖書があります。今日はなんのお話をしましょうか」
 今ページをめくって、人々に話をしよう。信ずるものの癒しはここから。


ニーレンベルギアシリーズ5作目
これから復興を遂げる町とその人々、その人々の支えとなった宗教という関係が書きたくなり、書いたことを覚えています。
他のシリーズ作品が気になる方がいましたら、「#ニーレンベルギアシリーズ」で探して頂くと出てくるかと思います。
テーマはお題サイト「確かに恋だった」様から頂きました

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