音楽療法と障害者音楽に携わってきた、 大澤先生と共に。
恩師 大澤和子先生との出会いは、もう40年以上前にさかのぼる。
大澤先生は、音大卒業後、長野で音楽教師をしていたが、結婚と共に、
埼玉の浦和に移り住み、先生がクリスチャンだったこともあり、浦和 麗和教会にて、奉仕活動の一環として、オルガン奏者を始めると同時に自宅でも、ピアノ教室を開き、子供たちに、ピアノを教えていた。
そんな中で、礼拝に来ていた、障害を持って生まれた子供を持つ親御さんから、子供にピアノを教えてもらえないだろうかと頼まれたのが、障害者と関わることになるきっかけだった。
当初、 大澤先生は、ピアノを教えることが出来るのだろうかと、すごく悩まれたようだが、両親の熱心なお願いと、ピアノを教えるということよりも、この子が生まれてきて、音楽に触れ、少しでも、その時間が、楽しいと感じられたら、それでいいじゃないかとの思いから、快くレッスンをすることになった。
そうすると、ピアノは、弾けなくても、音楽に触れることで、レッスンに来ることが楽しくなるようで、障害を持った子供が、楽しいと思える、時間を作れたとに、とても感謝され、口コミで、障害を持った子供たちが、集まってくるようになった。
その中には、ピアノを弾けるようになる子供も多々いて、今度、ふれあいコンサートに出演する吉岡君は、大澤先生から、今では、私が教えていますが、本当に、一度聞いてみてほしいぐらいにしっかり弾けます。
吉岡君の親御さんとも、話しますが、吉岡君は、重度の障害を抱えています、それでも、ピアノに出会い、自分が楽しいと思える、世界があることが、本人にとって、どれだけ重要なことか、吉岡君は、作業所に行って働いてもいます、そんな中で、ピアノを弾く時間が、彼の楽しみになっているなら、少しでも彼の人生を豊かにしているんじゃないかと思い、ピアノに出会い、自分が楽しいと思える、世界を作ってあげてくれた、 大澤先生から、その役目を引き継いだ自分自身も豊かな気持ちになっています。
大澤先生が、お年をめされ、4、5年前までは、埼玉医大と共同で携わっていた、音楽療法の学会なども、自分で車を運転して行っていたのだが、ここ数年で、身体の衰えが顕著になり、音楽療法も、障害者のピアノレッスンも、少しずつ、私がお手伝いすることも多くなり吉岡君は、今では、クレッシェンドピアノ教室に通ってきて、私が教えるようになっています。
当初は、私に出来るか不安だったし、実際に始めたら、正直大変なこともいっぱいありますが、親御さんから、ピアノに向き合う時間を楽しんでると聞かされると、そんな苦労も吹き飛びます。
1人の人間の人生に関わり、少しでも、人生を楽しめる、お手伝いを音楽を通して出来ることが、お世話になった 大澤先生がやってきたことのお手伝いを少しでも出来てるんだと、嬉しく思います。
まだまだ、 大澤先生のようにはいかないと思いますが、少しでも、人生を豊かにする、お手伝いが、出来るのであれば、続けて行きたいと思っています。
3月28日に、是非聴きに来ていただき、音楽の力を見て聴いて感じていただきたいです。