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静かな誕生日
年末の夫の入院騒ぎで、日常以上のことをするエネルギーが枯渇してしまった。
それでも立て続けに誕生日はやってくる。
夫と私は誕生日が3日違いで、毎年合同のお祝いと称しておいしいものを食べに行ったり、旅行に行ったりするのをささやかな楽しみにしていた。
今年は日本料理屋さんを予約していたが、手術の傷も癒えておらず、キャンセルしようかと迷ったけれど、夫がどうしても行きたい様子だった。料理の写真を一枚一枚吟味した結果、問題なさそうと判断したため、キャンセルはせずそのままレストランに向かうことにした。
まだ年始の気配が色こく残っており、誕生日祝いのムードは皆無だった。
そして年々、誕生日が嬉しくなくなっている自分に気づく。
初めて訪れた評判の良いレストランは、料理人の方が仕入れから調理、接客まで一人で切り盛りされていた。
座席もカウンターのみで、6席ほど。
ディナーは敷居が高いけれど、いつかランチに行ってみたいとGoogle Mapで保存していた場所だった。
夫を見て、「どちらから来ましたか」と話しかけてくれた。
今後日本が移民国家になったら、このような質問も過去のものになるのかな、とつい余計なことを考える。
「スペインです」と私が代わりに答えた。
すると、たいてい好意的な反応が返ってくる。
彼が政治的にセンシティブな国の出身じゃなくて本当に助かっている。
その後もしばらく会話が続いたけれど、誕生日のことはなんとなく言い出せないまま帰ってきた。
ここしばらく、寝る前に動画配信サイトで「きのう何食べた?」2を見ていた。
誕生日に歳をとることを嫌がる相手に対して、次のセリフがあった。
「年とると、みんななんとなく『誕生日なんか、めでたくない』なんて言うけどさ、長い人類の歴史の中で、人間は飢えや、戦争や、はやり病でバタバタ死んできたんだよ。今年もなんとか一年生き延びたって、それだけ切実に祝ったのが誕生日だったと思うんだ。己のパートナーが大きな病気もケガもなく、無事ひとつ年を取ったんだよ。めでたい以外のなにがある?」
ハッとした。
来年はもっと盛大に誕生日をお祝いしたいと思った。
お金をかけるという意味ではなく、もっと心をこめたい、という意味で。
写真は、ランチ後に訪れたコーヒーショップのもの。
番号札が私のラッキーナンバーである4だった。
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